二 の 九

 万知也が窓の外を眺めていると、一組が体育の授業をしていた。いつもなら目を引く美蘭乃の姿がない。帰りも万知也を呼びにこちらの教室に来なかった。欠席だったのだろうか。体調が悪いと法事に参加しなかったのは、嘘ではなかったのかもしれない。


 自宅に一度帰り、着替えて走りに出た。神社の石橋の上に私服姿の美蘭乃を見つけた。どこか深刻な面持ちで、堀を眺めている。万知也の気配を察知して、振り向いた。


「……顔色悪いな」


 そればかりか、常に完璧に仕上げている髪型が、崩れている。美蘭乃は頬のてっぺんを変に持ち上げる例の作り笑顔を見せた。


「嬉しい。心配してくれるんだ」


「今日、学校休んでただろ。出歩いて良いのか、」


 美蘭乃はきわめて短いズボンを履いて、思いきり素足を出していた。


「ちょっと寝不足なんだ」


「寝不足、」


 たしかに少しやつれた様子だった。


「寝不足になる原因が、何かあるのか、」


 美蘭乃は答えない。向こうから子どもたちが列になってやって来る。縦に並んで、手を繋いで、二人の横を通っていった。どの子も両の睛の間隔が、やたら広い。判で押したように。同じ顔が続いた。まさか七つ子と云う訳ではあるまい。背恰好が一緒だから、そう感じるだけだろう。


 子どもたちが行ってしまうと、罵るように美蘭乃は云った。


「何、あの子たち。気味が悪い」


 顔のそばに飛んできた蜻蛉とんぼを素手で摑まえると、躊躇なく口に入れてむしゃむしゃと食べた。万知也は我が目を疑う。


「お前、今、蜻蛉を食べなかったか、」


 美蘭乃は顔を顰めた。


「何云ってるの。蜻蛉なんか食べる訳ないじゃない」


 ポケットからプラスチック製の筒を取り出し、中身を手のひらにのせて口にした。ラムネのようだった。大きく音を立てて噛み砕く顔を。万知也は困惑して眺めた。


「手を出して」


 美蘭乃はラムネの容器を振ってみせる。


「……いらない」


「汚くないよ。あたし、触らないから」


「そう云うことじゃない。夕飯前だから、いらないんだ」


 何それ、と、美蘭乃はせせら笑う。筒を傾けて、自分の手に新しいラムネをのせる。


「幼稚園児みたい。お行儀の良い万知也君」


 ラムネを口に放り込み、煉瓦れんがでも砕いているかのような音を出す。わざとそんな音を立てているようだった。飲み込むと、また次のラムネを食べる。


「お婆ちゃんの作るご飯、不味まずいの。田舎くさくて、侘しい料理ばっかり。味付けも下品だし。まともに食べられない」


 恥じらいなく噛み砕く音が、万知也の耳に不快に響いた。


「下品なのはお前の方だろ。毎日毎食作ってもらって、感謝もしないで文句を云うのか」


「なに本気にしてるの。冗談に決まってるじゃない」


 美蘭乃は腕をからませてくる。軟体生物みたいだな、こいつは、と、万知也は思った。思考も行動も、捉えどころがない。


「そうやって怒る顔も好きだよ」


「それも冗談なんだろ」


 美蘭乃の腕をわざと乱暴に振り払う。ラムネの容器が足元に落ちた。


「ううん、本気中の本気で、万知也のことが好きなの」


 美蘭乃は笑っている。お得意の笑顔細工。万知也はラムネの筒を拾い上げ、差し出した。「何で俺なんだ」


 一年半前まで、存在も知らなかったはとこだ。いきなり好きだの結婚しようだの云われても、ふざけているとしか考えられない。

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