第69話 二人手を繋いで
まっさらな氷の天井をじいっと見つめていた。氷越しに見えるオーロラの美しさに不思議な気持ちになる。幼き頃、時々星空を見上げ眠ったが、このように圧迫感のある夜空は見たことが無かった。
「何かさあ、セラここにずっと居ろってことじゃない」
トニヤが毛布に包まり呟く。とてもいい部屋を用意された。客室という訳ではないだろうがそれなりに細かな配慮は感じられる。といっても、周囲が氷なので温かい訳じゃない。ほの明かりを焚いてくれているが手足は冷えたままで寝心地も悪い。
ヴーアの人々は生涯こういう場所で暮らしてゆくのだと思うと気が遠くなった。
「明日には帰るよ」
トニヤがうん、と小さく返事した。
「精霊王の血が途絶えるとどうなるんだろうね」
「大地が枯れて、精霊が消えて、川は消える。湖が枯れて、空気が淀み、あとは精霊学者は仕事を無くす」
トニヤがけらけらと喉を鳴らした。
「スタックリドリー先生どうしてるかな」
「さあね」
彼の地の師はセラの本を書くと張り切っていた。如何程まで進んでいるだろう。
「ヴーアの人々はさ、この冷たい地で精霊王を守って来たんだよ。それってすごいことだと思わない?」
「命の森が続いてきたことと一緒だよ」
「そうかな」
「人は神聖なるものを見つけては崇拝する。崇拝するうちにそれ以外の選択肢が無いような気がしてそれ以外の信仰を受け入れられなくなる」
「難しいね、どうしてそんなこと知ってるの」
「宗教学の本で読んだ」
「ボクもね、セラが森を出てからたくさん読んだんだ。でも、ほとんど頭に残ってないんだ」
「読書は時間で無く知識を埋める物、父さんがいってたね」
トニヤは思わず苦笑いになる。
「ヴーアの気持ちも少し分かるんだ。大事な物が無くなろうとしている時の焦る気持ち。でもそれをセラに要求するのは少し間違っている気がするんだ」
セラはそれに答えなかった。
「精霊王の跡をついでこの地に残れっていわれたらどうする」
トニヤが泣きそうな目でセラの目を見つめている。セラはふいっと目を反らした。
「帰るっていっただろ」
「でも、不安なんだ。セラが心のどこかでここに残りたいって思うんじゃないかって」
「思ってない」
「本当に?」
セラはふっと笑うとトニヤの方へと向き直り、すっと手を伸ばして肩をぽんぽんと打ち始めた。
「さあ、眠りなさい。坊や眠りなさい」
「坊やじゃないよ」
セラの子守唄にトニヤが涙を拭く。
「あなたはわたしの宝です。その笑顔、その涙。見るたびに心が温まるのです。あなたを愛した日々はわたしの宝です。あなたを愛した日々は宝です」
トニヤが肩を打っていたセラの手のひらをぎゅっと握る。
「セラ、明日一緒に帰るよ」
セラは頷く。
「絶対だよ」
セラはまた頷く。
「ちゃんと返事して!」
「分かったよ」
セラは思わず笑みをこぼす。
「旅を終えたら、母さんとトニヤと三人でステラの町で暮らす。オレは占いして、トニヤは料理人で母さんはパンを焼く」
「あっ」
「え、違う?」
「そのことだけど。やっぱりボクは本屋さんでもいいかな、と思って」
「また、夢が増えたな」
「真剣だよ、本当に真剣に考えてるんだ」
「いつもね」
トニヤは、はあっとため息を吐く。
「夢たくさんあるんだ。体は一つしかないのに」
「じゃあ、オレはトニヤの夢を一つくらい分けてもらおうかな」
「いいよ、どれにする」
「幸せな結婚して子供を育てたい」
「好きな人いるの!」
「いないよ」
トニヤはちょっとがっかりした様子で目を伏せる。
「夢ってどうして増えていくんだろうね」
「それはトニヤじゃないから分からない」
「夢って少ない方が選びやすいのかな」
「そんなことないよ。夢はいっぱいある方がいい」
トニヤの手を握り返し、優しく囁いた。
その晩二人は子供の頃のように手を繋いで眠った。
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