第54話 森を夢見て
セラは森の中にいた。鮮緑の木立の中でティルルと鳥が鳴いている。
ジュナの木が薄黄色の小花をつけているから春先だ。刈られたばかりの心地の良い林道を彷徨い歩いて行く。
清爽な風が吹き、森の奥から若葉の香りを運んできた。
林道の脇の低木にはルルスの赤い実やレーベンの青黒い実がなっていて、それらの恵みを横目に愛でながら森の奥へと分け入っていく。
探しているのは男だ。
それもとてもとても大きな男を探している、あらゆる森の生命を支えるとてつもなく大きな男だ。
その男はきっとこの森にいると確信している。今頃は静かに眠りついているのだろう。息吹さえ聞こえない。
歩いていると景色が一変した。今度は夏の森だ。知らない木が紛れている。命の森ではないが力強い。極太の幹で金切り虫が鳴いていて、周囲に多くの昆虫の姿がある。
季節は次第に秋へと移ろい、落葉して冬が巡る。
男は北から木枯らしが吹いて大地が凍りついても姿を現さない。この森に確かにいるはずなのに。
ふと考える、自身はどうしてその存在を知っているのだろう。
突然、空気を震わすほどの鈍音が聞こえた。枯れ枝の森の景色が揺らぐ。凍りついた地面の中で大きな何かが胎動していた。まるで打楽器を激しく打ったときのような振動がセラの心臓を襲う。もう一度大きくドクンと震えた。体が抉られたように揺れる。沈黙の森が目覚めたのだ。
――セラ、愛しいセラ。
奏でる震えに紛れ、優しく響いたのは男の声だろうか。拍動は止まらない。
――セラ、孤独なセラ。独りで寂しいセラ。
感情を逆なでするような寂しげな声だった。偉ぶるな、男の憂いに怒りが沸き起こり、声を振り上げようとしたが思うままに発せない。喉がきつく絞り上げられる。
――北の地で待っている。
夢はそこで途切れた。
目覚めると体中に汗を掻き、心臓が大仰な音を立てていた。真白い天井を見て、城であることに気付く。安心しろ、大丈夫だ。ここはもう森ではないのだ。
不快な焦りを振り払うように起き上がった。夜気に火照った体が冷却されていく。目を向けると窓の外には松明の灯が点在していて、活動している人は少ない。もう夜も深いのだろう。
こうして夜毎、繰り返される不思議な夢はセラを苦しめ続けた。顔も知らぬ大きな男が凍った森でセラを呼んでいる。北に来いと急き立てている。自身はこの地での安住を望んでいるのに、知らない誰かが心を持ち去ろうとしている。
(あんたは誰なんだ)
目を閉じて、苛立ちまじりに脳で呼びかけてももう誰も返事をしない。夢から目覚めたセラを誰も呼んではいないのだ。
疲れた心に北へ行かなければならないような観念ばかりが漂う。また、しばらく堂々巡りで眠れまい。静かに顔を上げて月夜に真っ直ぐ問いかける。
オレを未知の地へ誘うのは誰なのか。
「セラは毎晩誰と話しているの」
突如話しかけられて、考えに没頭していたことに気付き首を上げた。情けないことに目の前のただの数行も読めていなかった。一方の王女は手元の本を読み終えたようだった。
ああ、ごめんと立ち上がって机に七冊目を置くとはぐらかすように微笑んだ。
「誰かと話してた?」
「誰かが会いたいって呼びかけているじゃない」
言葉を失う、不思議の彼女には自身の夜毎のやり取りが聞こえていたのだ。
「そうだね」
セラはそれ以上何と説明していいか分からず口を噤んだ。自身でもよく分からない戸惑いなのだ。心底うんざりしている。でも、王女はそれを議論する相手ではないと思った。
「どこの誰かも分からないだろう、仕方ないさ」
おざなりな返事をすると、王女は淡いガラス玉のように瞳を輝かせてセラを見つめた。
「知っているよ」
王女の不可解な言葉に首を傾げた。
「何を知っているの」
「わたしは大切な人なら会いに行く」
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