第43話 さらなる旅路へ

「いやー、すごい物を見た」


 大事を見た師は興奮状態だった。また同じ言葉を繰り返している。アミトの消滅からすでに一週間が経とうとしている。


「良かったですね、これで本が書けます」


 セラはいつもの乾いた応対をしながらロッキングチェアで本を眺めている。


「タイトルは何としよう。神の光。いや、闇の消滅……」


 吐息して腕を捲りあげた。肘に到達しそうなほど文様は立派に育ち大きくなっていた。


「キミのそれは遺恨ではないよ」


 その指摘にアミトの言葉を思い出す。アミトは遺恨はないといっていた。


「別に有難い物でもないと思いますけどね」


 そういいながら袖を下ろす。


「もしかするとキミの文様に宿ったのは神の力ではないだろうか」


 セラが顔を歪める。また、唐突なことをいい始めたと呆れ顔を浮かべた。


「あの時キミは『星呼び』と呟いたんだけれどそれは覚えているかい」


 セラは記憶を辿ったが、正直あの時のことはあまり覚えていないのだ。


「星呼びという名前で思わず閃いたよ。古い論文に北の地で少数民族が使っていた聖術だという記述があったのを思い出した」


 そういって分厚い論文を突き付けた。即座に読めるものではなさそうだが。


「どれほど信憑性のある物かしれないが、少なくともボクはキミの起こした軌跡を信じるよ」


 セラは顔をしかめたまま、論文に目を落とした。


「少数民族の村へ赴けばキミの力の秘密について何か重大なことが分かるかもしれないね」


 師はそういうと確信めいたものを噛みしめてうんうんと頷いた。確かに自身の文様についての重大な手掛かりは得られた。だが、セラは思う。その真実を追い求めることが今の自分にとってどれほど重要であるか。


 セラはアミトの最後の言葉を思い出した。



――お前は長く生きられない。



 限りある生を自身の文様の探究へと注ぐこと、そのことの意味をそっと考えた。




 セラは二年に渡る長期滞在を経てステラの町を離れた。ステラの町で静かに余生を送るという選択肢もなかったわけじゃない。それほどに暮らしよい町だった。


 師は遺恨でないと断言したが、それを完全に受け入れた訳ではない。だから余生と敢えて受け止める。生きることには慎重でありたいから。


 少数民族の村まではかなり遠く、また歩くことになりそうだ。


 スタックリドリーが町の入り口でセラの旅立ちを見送る。


「セラ、ボクはキミの物語を書くよ」


 セラは少し笑った。学者が論文ではなく物語とは。だが、師の思い切った決断は正しいのかもしれない。

 これまでの人生で笑えないほどに辛いこともあった。けれど、それもまた第三者の目線で物語にすると起伏の富んだストーリーになるに違いない。そんなことを頭の片隅で思う。他人に自身の矮小な人生を彩り豊かに語られるというのも案外悪くはないだろう。


「お世話しました」

「何だいその挨拶」


 師が間眉を顰める。


「お世話になってないからですよ」


 そういって手を差し出す。師はふうっとため息をついた後、すっきりとした表情でセラの手を握った。


「お世話になりました」


 セラは頭を下げる師を笑う。


「北に向かうとウェストフラムという自然豊かな国がある。王が最近、妃を娶ったそうだが一部にはその妃が精霊であるという噂がある、というのを最近酒場で聞いたんだ」

「精霊……」

「どうせ北に行くのなら立ち寄り妃にお目通りを願うといい。聡明な相手ならば、いい助言が得られるかもしれないよ」


 セラは軽く頷くと「ありがとうございました」と告げた。


 悠久の大地を南風が昇っていく。南風は北へ向かうセラの背中を押すようにひたすら北へと流れ、小高い山地を駆けあがる。


 光満ちる山肌の向こうに広がるのが大いなる希望であればいいと柄になく願った。

師というには少し威厳にかけ、滑稽で、おっちょこちょいで、でもセラは彼のそうした人間味が気に入っていた。いずれ出版された本を読んで偉そうに文句をいうのもいい。為すべき仕事と振り返るべき思い出が増えた。


 こうした出会いを通して、セラの人生はまた孤独と優しさの間で揺れ動く。


 たぶんこの世に一人きりの人などいないのだろう。いないと思っても必ず誰かがそばにいてほほ笑んでいる。こうした関わりを築きあげながら、人は皆死へと向かっていくのだ。死とは生まれた時に与えられ、誰しもが持っている定めなのだから。


 ただ死をおそれ生きようとするのを止める選択肢は、今のセラにはまだない。

 セラの旅は生きるための旅。


 運命と向き合うために更なる北を目指す。

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