第42話 処刑場
「ここに精霊様がいらっしゃるの」
少女に案内された場所を見て二人は愕然とする。
そこは処刑場だった。
円形の石畳の中央に首を寸断するための処刑器具が置かれて、その下には大量の黒ずみが広がっている。流血という長い歴史を経て今日に至ったのだろう。
「ステラはその昔上流貴族の町だった。南方から奴隷を買い、使用人として働かせ、年老いて使えなくなるとここへ連れて来て処刑した。知ってるよ。古い老人に聞いたんだ。この場所にはそんな人々の思念が溜まっているのかもしれない。精霊がいるというのであれば多いに納得出来る」
師はセラの後ろに隠れながら冷静に語った。いってる場合かと呆れたが、学問の好奇心で冷静でいられるからこそ師はどこまでも精霊学者なのかもしれない。
目を向けると遠い昔に失われたはずの無情の光景がありありと目に浮かんできた。
セラは拳を握りしめて、汗を流しながら、この場所に漂う思念を感じ取った。
――殺さないでくれ
――もっと大切にしてくれ
――まだ働ける
――盗んだのはオレじゃない
――頼む、許してくれ
――逆らう気はなかったんだ
――生きたい、オレはもっと生きたい
生を求めた亡者たちの声が聞こえてくる。未来を望みながら、寸断されてきた人々の絶望が鼓膜を激しく揺らす。
セラは耐えきれず唇を引き結んだ。
「見えているのかい、セラ」
「ええ、とっても」
敢えてその悲歎を知りたいものなどいないだろう。分かってしまったことさえ心苦しくなる。ここは遥か昔に歴史から切り離された場所なのだ。
「さあ、占いをしましょう」
蒼白な少女はそういって手を広げた。そのまま仰向けに気絶するように地面に倒れ、少女の倒れた石畳の下から巨大な躯が闇をまといながら浮上した。
こげ茶のローブに身を包んだ骨身の死霊の姿に息を飲む。
師がセラの背後で、震える声で「アミトだ」と囁いた。
アミトとは死を司る冥界の精霊で負が蓄積された地に稀に出現する精霊だと、師は本に記していた。互いに知識はある。だが、こうして会うのはやはり初めてなのだろう。
「いけにえを差し出せ」
アミトは地の底を這うような声でセラへと近づいた。
「いけにえを差し出すつもりはない」
「それでは占えない」
「何も占うつもりはない」
セラは涼しい顔で伝えた。
「それでは困る」とアミトは不気味に笑う。
「我はお前に運命を焼きつけよう。お前の魂に望む通りの未来を焼きつけよう」
「お前に質問がある」
セラは凛とした様子で話した。
「わたしに質問はない」
「オレの遺恨はどうすれば消える。消す方法を教えろ」
「遺恨が欲しいのか」
「遺恨はもうある。だから必要ない」
「お前に遺恨はない。さあ、必ず当たる占いをしよう」
遺恨はない、その言葉を焼きつける。アミトは確かにそういった。
「ではオレの人生を占え。オレはどうなるんだ」
「中央に進み出て跪け。我を崇めよ」
言葉を飲んで歩き始めたセラの背中に師が叫ぶように声をかける。
「セラ、耳を貸すんじゃない!」
中央まで進むとセラは膝をつき、アミトを見上げた。
アミトがスッと躯の手を伸ばし、セラの額に触れる。
脳裏を映像が螺旋状に走り、見慣れた景色が浮かんだ。
青葉が茂るジュナの林道が見える。森の高台へと続く道だ。
その道を喪服を着た人々が重たい棺桶を抱えてゆっくり登っていく。
――セラは厄介な子だった。
棺桶に寄り添って歩く母が呟く。
――あの時拾わなければよかった。
――母さん、ボクがいるから安心して。
トニヤが母の手を握る。
――セラのせいで森が消えた。ずっと続いてきた高潔な魂が。
――焼こう、セラを焼こう。焼いて灰は風に流そう。風に乗り早くこの森を去れ。お前は愛されない子供だった。
森の大人たちが口々に喋り出す。
「これはオレの望みじゃない」
「心の底から望んでいることだ」
アミトの指から湧き出る遺恨がセラの額へと流れ込む。遺恨が体を駆け抜け、足から石畳へと伝わり、集まった遺恨が大きな墨となって足元に巨大な穴を作る。部屋いっぱいに広がりきると穴の淵から無数の十字架が勢いよくいっせいに突き出した。
十字架に縛られていたのは冥府に繋ぎとめられた老人たちだった。体中に槍が突き刺さり、呪うような声で泣いている。
泣き声は次第に呪音へと変化して空間に反響し始めた。セラの手足を真っ黒な遺恨が駆け巡る。遺恨は顔を埋め尽くし耳の中へと入り込んだ。
「我とそなたの契約の時だ」
地獄の囁きが鼓膜を撫でる。体中を遺恨が覆い、体が氷のように冷たい。大きく目を見開くとそのまま意識が振りきれてセラは仰向けに穴の中央に倒れた。
アミトはその様子を見届けた後、スタックリドリーへと話しかけた。
「審判人よ、許すといえ」
「ひっ」
スタックリドリーは恐怖のあまり、言葉を発することが出来なかった。
「我との契約を許すと言え」
「け、契約は無しだ。我々を今すぐ解放しろ」
するとアミトは高らかな声で笑う。
「罪人は捌かなければならない。精霊に関わろうとした愚かな者たちよ」
スタックリドリーは唇を食いしばり、セラを見つめ溜まらず大声を張り上げた。
――セラ! セラ!
師の声が遠くで聞こえる。頬に冷たい感触を感じるのにもう体が動かない。自分が自分でない感覚だ。人形のように体が硬い。人の器から脳髄がこぼれ出ていく。ああ、魂が消滅しようとしている。
森に帰りたい。死ぬ時は森に帰りたい。静かに森で消えてゆきたい。父のように……
心が静かに萎んでいくのを感じた。消えそうな心で思う。そうか、森に帰りたいのか、オレは。
深層を悟り、わずかに残る小さな望みをも捨て、諦めかけた時に、澄んだ言葉が耳に届いた。
「立ち上がりなさい」
セラの意識がスッと引き戻された。
「不屈の魂で立ち上がりなさい」
指に光が籠り始めた。あの熱量だ。冷えた体が熱を帯びていく。
セラは声に引きずられるように、土を掴み半身を起こしゆっくりと立ち上がった。全身が強く光り、星の輝きが瞳を煌めかせる。セラの足を伝い、光が同心円状に石畳へと広がっていく。光り輝く経脈の筋が地面に壮大な文様を描いた。文様の出現と共に死者を繋ぎとめた十字架が消滅していく。
「セラ!」
師が必死に名を呼んだけれどそれはセラの意識に届いていなかった。
セラがスッと手を振り上げると夜空が突き抜けた。空を焼く力を湛えた神聖なる星々が頭上に輝いている。ステラの町に降り注ぐ数多の星が絶大な力をみなぎらせていた。
『星呼び』
セラのものともとれぬ静かな声が落ちる。
指でスッと空を切るとそれに合わせて星々が焼けつく光を打ち卸した。光は真っ直ぐアミトの全身へと降り注ぐ。アミトが狂おいながら冥界の叫びを上げた。
「貴様! 何だ! この光、この輝き……」
苦しみの声が空間を揺らす。セラは耳障りな声に瞬きもせずアミトを焼きつくしていく。次第に闇の衣が消えてゆく。
猛ったアミトは躯のままセラに飛びかかろうと持てる力を振り絞ったが、到達するより前に蒸散した。
セラは死霊を焼きつくすとその場に屑折れた。
スタックリドリーはその情景を呆気に取られて見つめていた。
「神の力……」
圧倒する光景に自然と感動の言葉が漏れた。
景色は元の処刑場に戻る。アミトはいなくなり、後には倒れた少女とセラとスタックリドリーが残された。スタックリドリーは正気を取り戻して駆け寄ると、セラを揺すり起こした。
頭を持ち上げるとセラの柔らかな黄金の髪がこぼれる。
「セラ! おい、セラ」
セラが微かに目を開く。遠くで師が呼んでいる。力が入らず、指さえ動かせない。意識がまた落ちてしまう。霧散してゆくアミトの最期の生命が空間に渦巻いているのが見えた。邪悪は消えたのだ。もう犠牲が出ることはない。この町に平穏が戻る。ほっとして瞼が落ちてくる。
掠れゆく意識の中に差し込まれたアミトの最期の言葉が脳の底に静かに落ちていく。
「お前は長く生きられない」
セラはスッと意識を失った。
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