第39話 下区の事件

「下区の事件を知ってるか」


 セラは師の自宅のソファに横になり本を読みながら問いかけた。


「下区ってなあに」

「下区は下区」

「へええ」

「やあ、おはようセラ。精霊と話してるのかい?」


 セラの声を聞いた師が奥の寝室から起きてきた。頭は乱れた髪が渦巻いている。


 セラは立ち上がると師の朝食の準備を始めた。家政婦のようなことを頼まれている訳ではなかったが、セラが構わないと師は人並な生活を送れない人だった。


 すぐに痩せるし、部屋は散らかるし。食事を取らずに飢えたらセラの文様についても調べられなくなる。何より怠惰な生活は見ていられない。だから、仕方なしに身の周りの世話をするようになった。


 セラが今朝、パン屋で買ってきた柔らかい白パンを頬張りながら師は「困った事件だね」とこぼした。上区で暮らす師が事件についていて知っているのは、以前役所に事件に関する助言を頼まれたからだった。


 師は呼ばれて四件目の事件現場に足を運んだ。だが、師には精霊の知識があれど彼らを見ることが出来ない。直接の犯人は分からないと伝えたが、しつこく自身にも分からないことを問われるので、精霊について知りたければボクの本の読むといい、と怒鳴り帰って来てしまったのだった。

 以後調査協力は行っていない。


「占い師を殺した犯人を知ってるか」


 セラは小さな星の人に向かって問いかけた。


「遊ぼう!」


 星の人が目を輝かせる。


「遊ばない」


 セラはそういうと立ち上がった。


「下区へ行きます」

「キミのようなひ弱な人間が行くと……」

「身ぐるみを剥がされるんでしょ」


 セラは気に留めることなく部屋を後にした。



       ◇



 下区へは上区を出て中区に入り、公園の木々に隠された寂しい階段から入る。

 昼間に下区からこの階段を上がって来る人間はごく少数だ。人々は身分を悟られぬよう人知れず朝やってくる。


 階段を降りるごとに空気が冷たくなった。セラは肌に纏わりつく冷気を肌身で感じながら異様な気配を感じ取った。ここは、来てはいけない場所、胸の奥がざらつく。セラの勘が引き返せと警告していた。


 長い階段を降り切るとカビた臭いがした。それに下水のような不快な臭いが入り混じる。地上の光は入らず、壁際には薄闇を照らす松明が掲げられている。


 ここには元々処刑場があったという。

 何百年も前に処刑という制度が無くなり、空いた地に貧しい人々が住みついた。


 精霊学の観点からいうとこういった場所は非常に良くない。人々の思念が張りついていることがあるのだ。こういう命の流れは負の精霊を生む。その証拠に道の至る所にインプ(闇の精霊)が佇んでいる。


 歩いていると道ぶちで粗末な絵画を売っていた男が話しかけてきた。


「お前上等な着物を着ているな。上の人間か?」


 セラは立ち止ると男を見降ろした。


「知り合いの占い師が死んだ。殺した犯人を知っているか」


 すると男は鼻を鳴らして笑う。


「殺したのは精霊だ。皆、知ってる」

「占い師はディノという男だ。死ぬ前に話したばかりだった」

「ああ、先週死んだあの当たらない占い師か。死んだのは『ナヴィ』という料理屋だ。この通りを真っ直ぐ進んだ後、大きな角を右に折れるとある」


 そういって男は物欲しげに指を擦り合わせた。セラはポケットからディルを出すと男に渡した。 


 ナヴィというのは店主の名前だった。看板はなく、髪が伸びざらしの女性が一人で切り盛りしているむさ苦しい小さな店だった。


 客は他に二人いた。どちらも目立たない身なりだが、精霊区で見かけたことがある。おそらく占い師だろう。セラはカウンター席に座ると果実酒を注文した。

 戸棚から降ろした自家製であろう酒の瓶から黄金色の液体をとくとくとグラスに注ぐ。それをドンッと置くと店主はまな板の前に戻り、再び野菜を刻み始める。一人でやっていると休んでいる暇などない様子だった。


「ディノの死について知りたい」


 すると店主は目も向けず返答した。


「あんたいい身なりだけれど仲間の占い師かい。ディノは確かにこの店の屑かごで死んでいた。おかげで商売あがったりだよ」

「ディノが死ぬ前にしていたことを知りたいんだ」


 店主は炒めていた大きな鍋を振った。


「普通だよ。店に来て安いブランデーだけ飲んで、裏に吐きに行った。そしたら死んでたのさ」

「この店に来る前はどこに寄ったか知らないか?」


「そんなこと知らないよ。占いやってたんだろ。今日は珍しく当たった、何てほざいてたから」

「占い……」


 セラは口ごもった。まるで皮膚を針で引っ掻いたような違和感が残る。


「あんた占い師様なら占いで何でも分かるんじゃないのかい」


 店主は出来た料理を持って別の客の所へと行ってしまった。

 ディノが死ぬ前に占いを当てた。このことがどうしても気になった。占いがヘタなディノの占いはほとんど当たることがない。それが何故か当たった。


 ただの偶然かもしれないが、もしかしたら意味のあることかもしれない。

 セラはその足で精霊区へと向かい、アリアに問いかけることにした。



――ディノを殺したのは精霊なのか。



 すると陣の上に浮くアリアが笑う。


「わたしにそれを申し上げることは出来ません」

「仲間の秘密を売るのは気が咎めるか」

「……」


 アリアは何も答えなかった。


「では質問を変えよう。ディノが最後に占いをした客を知りたい」

「ウィンディという女性です」

「ウィンディはどこにいる」


「いません」


 いない。死んだ、ということと理解して質問を止めた。ディノが死んだ、占いをした客も死んだ。セラはウィンディという名前を頭に刻みつけると師の宅へと戻った。


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