第23話 経脈

 船舶は新たな乗船客と大量の荷と食料を積み込み再び航海へと出た。

 次の目的地はルビニークという島で、ムルティカからは五日ほどかかる。この辺は小島が多く、頻繁に寄港しながらの旅路になるので下船の機会が増えると副船長に聞いた。マーティスはそれが楽しみなようでうきうきと浮かれながら仕事をしていた。


 ムルティカを離れて三日が経った。海路は東寄り、ほとんど通らないがこれから危険な海域を一部掠める。本当は避けられれば問題ないのだが、航海上どうしても通らないという訳にはいかない。船員は緊張感を持って作業に当たっていた。


 寄港まであと半日というところ、セラは甲板で副船長がムルティカで新たに購入した民俗学の本を読んでいた。世界のことを知れると期待したが内容は凡そ、ムルティカのクルタス神の信仰と精霊の説話についてだった。何というか真実というよりほとんど願望を書いた本のように感じられ、特に島に流れる経脈云々から精霊が湧き出ているというのには胡散臭さを感じた。


 ただ、事実か、ということを除けば面白い本だという評価は出来る。文体など余程しっかりしているし、何より見聞が広がった。いつかムルティカを訪れたいという人に出会えば面白可笑しく本を紹介するのもいい。そんなことを思いながら本を閉じた。


「オレが買った本をオレより先に読むなよ」


 本を戻すと休憩中だった副船長が笑った。


「まあまあ、面白かったですよ」


 そんな冗談を挟みながら新しい本に手を伸ばそうとした時、背筋を寒気が一気に駆け上がった。


(経脈に乗った!)


 慌てて甲板へ出ると先程まで晴れていた空に暗雲が立ち込めていた。

 高波が押し寄せ船が大きく上下する。甲板に波が乗りあげて人々が船室へと走っていく。


「さっきまで晴れていたのにウソだろ」


 操舵室から出てきた船長が帽子を押さえながら叫んだ。


「さあ、セラ入るんだ」


 船長はセラの腕を掴み、船室へと引き入れた。




 人々は不安な夜を過ごした。騒ぐのを止めてじっとハンモックに身を潜め、けれど眠れるはずもなく、揺れる船室で船が沈まぬように祈った。旅に出てこれまでにも雷雨の日はたくさんあった。でもそれらはおそらくただの天候不順。今度のとは事情が違う。セラはそれを肌身でひしひしと感じていた。


 実際、今度の異変は三日三晩続いた。激しい落雷と吹きつける暴風に船は激しく揺れ、三年以上船に乗っているマーティスでさえ「こんな嵐は初めてだ」と不安そうに漏らすほどだった。


「沈んだらどうしよう」


 不安がる人々の声が浮かんで消える。


「ああ、神よ。どうか我々をどうかお救いください」


 祈るような仕草をして恐怖に耐える人々の姿はどこか哀れに思えた。

 セラはひとり本を読みながらじっと考えていた。今、船はおそらく経脈に乗っている。それも相当に良くない精霊のいる経脈に。


 これまでの航海でも経脈に乗っていると感じることは多々あった。別に経脈そのものが悪いというわけではない。経脈とは精霊があふれる場所というだけのことだから。問題は経脈と混ざり合う思念の種類だ。森がそうであったように海にも悪しき思念は存在する。


 このまま進めば船は間違いなく遭遇してしまうだろう。海に嵐を起こすほどの魔物に。


「ああ、しんどいな」


 副船長が隣のハンモックに寝そべった。船舶の乗務員は精神を削るように海と戦っている。ろくに眠ることも出来ないだろう。


「航路を変えてはどうですか」


 セラはそっと助言した。


「とっくにやってるよ。でも舵が効かないんだ」


 そういうと副船長は帽子を顔の上に置いて腕を胸の上で組んだ。


「似ているんだ。あの時に」


 副船長は悲しげに呟いた。あの時、というのはおそらく以前一度だけ精霊を見たという時のこと。あの時、ベテランが二人死んだのだ。


「今度は船ごと沈むかもしれないな」


 セラは何も返せず、黙ってそれを聞いた。

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