第21話 ムルティカ
船は初めの寄港地、ムルティカへと到着した。ムルティカはティエリア海の南西に浮かぶ島だ。港に接岸するとたくさんの乗客が船舶を降りた。ただ、荷を持って降りた乗船客はほんの一握りで、ほとんどが羽伸ばしと観光目的に船を降りた。皆、相当陸地が恋しかったに違いない。
「ああ、陸地」
マーティスが恨めしそうに呟く。積荷の仕事があるので彼には自由時間がない。セラは仕方なく一人で島を巡ることにした。
「お土産に官能本を探してくるよ」
「ホントか、ホントだぞ」
「嘘だよ」
二人で腹を抱えて笑い合い別れると、セラはムルティカへと降りた。
港を離れ、すぐ近くの蛇のように長い市場へ足を踏み入れた。
独特の香の匂いがする。
大変に信仰の厚い島のようで、道の至る所に祈りの花皿が奉げられていた。
露店の裏手には黒いごつごつとした岩山がそびえ、その岩山の手前に信仰対象となる立像がいくつも立っていて、祈りをささげている現地人もたくさん見られた。ムルティカは溶岩噴火で出来た島のようだった。
観光客と現地人は一目瞭然だった。現地人の男性は焼けた褐色の半身をさらけ出して腰元に単色の布を巻き、女性は細い体に色とりどりの大判の布を巻きつけて木造りの大ぶりのアクセサリーを首や手首、足首に身に着けていた。南国情緒あふれるこの島の子供たちは枯野色の草鞋で元気に走り回っている。
セラは市場を歩きながら咽返るほどの熱気を感じていた。
声が飛び交い、至る所で値段交渉が行われている。市場の入り口で多く売られていたのは多色織りの目の詰んだ絨毯、小さな淡いガラスの吊るし飾り、渋い色合いをした木彫りの人形など観光客向けの民芸品が多かった。
買う気はなかったけれど時々足を止めて商品もよく見た。
「お兄ちゃんこれ要らないかい」
「金持ってないんだ」
商売人はそういうと皆身を引く。マーティスに教えてもらった便利な挨拶だ。
だが、売っている物はどれも丹念に作られた物のようで素晴らしく、なのに値段を聞くとそれほど高い物ではなかった。
奥へ進むと次第に民芸品の店が無くなり、代わりに食料品店が軒を連ねた。
野菜、果物、魚介類、島民の生活の基盤を支える場所のようだ。頭に大量のフルーツが乗ったかごを乗せて運んで行く女性と手を繋いで歩く小さな子供、荷車を引きながら鮮魚を売り歩く男性とそれを買い求める客。雰囲気は煩雑だけれど非常に活気があった。
めくるめく露店に気を取られ、気付けばいつの間にか市場を抜けていた。
人は途端に少なくなり音が途切れる。
代わりに目の前に荘厳な石造りの神殿と黒色の絶壁をくり抜いた中に石の巨像がそびえていて、思わず見上げ圧倒された。
「少年はクルタスの神々を御存じか」
隣で声がして見降ろすと白髪で杖をついた背の低い、品のいい老婆がいた。
「知らないな」
セラが首を振ると老婆がゆるりと話し始めた。
「世界の始まりの日、北限の地にクルタスの神々が精霊の血を播いた。精霊の血から芽吹いたのは最初の精霊、精霊王だった。精霊王は自身の血脈を星に張り巡らし、その血脈を経脈というが、経脈とこの星の意思が混ざり合い、数多の精霊が誕生した。
すべての精霊はいわば精霊王の分身。そしてこの神殿は伝説の始まりであるクルタスの神々を祀る場所。信仰の始まりはその昔、クルタスの神の一人、ヤットがこの地で逗留したという伝説にある。この地を幸運にも訪れたのだからクルタスの神々に感謝していくといい」
そういうと持っていた一輪の花をセラに手渡した。セラは言葉に応じて花を手に石造りの堅牢な社を潜った。
経脈という言葉は知っている。副船長から借りたスタックリドリーという学者の本にもあった。この世界に精霊王の生き血である経脈がこんこんと流れていて、経脈の上に万物が蓄積すると偶発的に精霊が発生するという考え方には賛同できる。実際、精霊が見えるセラには大地に流れる経脈というものの存在が強く感じられた。
命の森、海の上、行く先々で不思議な魂の流れを感じてきた。だが、神が云々ということに関しては正直首を傾げる。セラは無神論者だ。
精霊王を播いたのがクルタスの神であるとか、彼がこの地を訪れたとか、もしここが精霊の加護を受けた島であるならば、精霊はその姿を現すだろう。セラは花を巨像の前の祭壇にそっと奉げると手を組んだ。偉大な精霊がいるのであれば姿を現してほしい。自身の身に起こったことを教えて欲しい。
そう願ったけれど、結局精霊は姿を現さなかった。
人々の信仰と精霊の意思は違う所にあるのかもしれない。船へと戻りながら何となくそんなことを思った。神々を祀ったからといってそこに精霊が宿るわけじゃない。実際、信仰の厚いこの島にさえ精霊はいない。
その理由はたったひとつ。
おそらくこの島には経脈が流れていない。この島は精霊の加護を受けた島では無いのだ。自身も経脈というものがはっきり見えるわけではないが、森や海で感じた浮き上がるような微妙な感覚がこの島では感じられなかった。
だが、それを指摘する必要もなければこの島の人々が真実を知る必要もない。
クルタスの神が逗留に訪れたこと自体は本当かもしれないし、それとこの島に精霊がいないのは関係の無いことだ。
信じることで救われる人もいるのだからそれでいい。献身的に祈りを奉げる人々を眺めてそんなことを思った。
船に戻るとマーティスが抱擁してきた。
「仕事終わったんだ、女遊びしようぜ」
セラは呆れ顔をした。
「おいおい、まさか女に興味無いっていうんじゃないだろうな」
セラは声を出して笑うとひと言「ないよ」といった。
「去年の旅で見つけたいい店があるんだ。今夜一緒に行こう」
あまり気は進まないけれど、マーティスの頼みだ。セラが「いいよ」というとマーティスは喜んで肩を組んだ。
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