第二十八話・涙の対面
医療施設はまるで総合病院のような造りをしていた。受付や待合室があり、診察室や処置室の扉が幾つも並んでいる。
薬が用意されるまでの間、医療施設を歩いて見て回る。内部には怪我人の姿がちらほらあった。任務を終えて帰ってきた人達なのかもしれない。
「この辺が持病のある人専用のエリアで〜、向こうが怪我した人専用のエリア。大体の病気や怪我に対応できるんだって」
「へえ」
気を使った三ノ瀬が付き添って解説していくが、さとるは気のない返事を繰り返すばかり。
「ね、ねえホントに座ってなくて大丈夫?」
「なんか、じっとしてると落ち着かなくて」
「そうだよねぇ〜……」
人を殺したこと。
みつるが居なくなったこと。
これからのこと。
混乱した頭で考えるにはどれも難しい問題で、とにかく気を紛らわせようとフロアを歩き回る。
すると、どこからか無邪気な笑い声が聞こえてきた。可愛らしい声に惹きつけられるように、さとるの足が自然にそちらに向かった。
入院エリアの一角。
声の主は二歳くらいの女の子だった。
点滴を受けている女性が、ベッドの枕元に置かれた椅子に腰掛ける女の子の手を握っている。親子なのだろう。女性は愛おしそうに娘に微笑みかけている。
それは、ゆきえだった。
彼女はここで処置を受けて、今朝になって娘のみゆきと再会したのだという。丸二日ぶりに母親に会えて、みゆきは嬉しそうだった。暗くなりがちなシェルターの中で、みゆきの笑顔は眩しいくらいに周りを照らしていた。
「堂山さん、熱下がったみたいね〜。親子の再会を邪魔しちゃ悪いし、挨拶はまた今度にしましょうか」
「そう、ですね……」
離れた場所から母娘の様子を眺める。
ゆきえの子どもはあの女の子だ。自分ではない。そんな当たり前の事実を突きつけられ、さとるは胸が握り潰されたように感じた。腹の底からモヤモヤしたものがせり上がってくる。
「……ッ、……吐きそう」
「わーっ待って! トイレトイレ!!」
しばらくして吐き気が治った後、処置室の簡易ベッドを借りて休ませてもらった。険悪な雰囲気の会議室に戻りたくない三ノ瀬はずっとさとるの側に付いている。
「……三ノ瀬さんは、人を殺すの平気……?」
さとるが小さな声で尋ねると、三ノ瀬はうーんと唸った。
「平気じゃないよ。銃を撃つのは好きだし楽しいけど、別に人を傷付けたいわけじゃないわ」
「そうなんだ」
「やらなきゃやられるっていう状況だから
「そっか」
三ノ瀬の答えはシンプルだ。
聞けばなるほどと思う。
さとるも同じ考えだ。
死にたくないから殺す。
それ以上でも以下でもない。
「なんかすいません。オレ、弱くて」
「ぜんぜん弱くなんかないって」
三ノ瀬がさとるの頭をわしわしと雑に撫でる。髪がぐちゃぐちゃに乱されているというのに、その手が妙に嬉しくて、さとるは涙を見られないように背を向けた。
「そ、そういえば
「あー……アイツは今ちょっとね」
言葉を濁しながら、三ノ瀬は天井を見上げた。
同じ頃、シェルター最上層に右江田の姿があった。ここは外に繋がる大扉があるホールだ。昨夜到着した時から彼はずっとここにいた。
広いホールの片隅に、検死を終えた
奥にあるエレベーターが止まり、眼鏡の女性……
ゆっくりと近付いてくる小さな足音に、右江田が顔を上げた。少女と視線が合い、咄嗟に俯いて目をそらす。
「ひなたちゃん、お別れしようか」
「……」
少女……ひなたはブルーシートの手前で立ち止まり、立ったまま動けずにいた。見下ろした先にあるのは、人の形に盛り上がった白い布。これを捲れば何があるのか、ひなたは理解している。
理解しているからこそ動けない。
見てしまえば認めざるを得なくなる。
唯一の肉親の死が確定してしまう。
葵久地は急かすことなく、ただ隣に寄り添った。幼い少女に現実を見せることに抵抗もあった。
だが、この時を逃せば二度と顔を見ることが出来なくなる。遺体をいつまでも保管しておくような場所はシェルター内にはない。別れが済めば、どこかに埋葬することになる。
「ホントにおじいちゃん、なんだよね?」
「……ッ」
この場に来て初めてひなたが口を開いた。
小さく掠れた声は僅かに震えていて、右江田は膝に置いていた拳を握り締めた。
いつまでもこうしていてはいけないと思ったのだろう。ひなたはついにブルーシートの傍らに膝をついた。向かいには俯いたままの右江田の姿がある。
白い布の端を掴んで持ち上げると、ちらりと白髪混じりの頭が見えた。ビクッと身体を揺らし、そこで一度手が止まる。何度か深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、再び白い布を捲り上げた。
「あっ……」
横たわっていたのは間違いなく祖父だった。
血の気の失せた肌。
堅く閉じられた目。
緩く結ばれた口元。
想像していたより穏やかな表情をしている、とひなたは思った。服装は別れた時のまま。手を伸ばして頬に触れてみると、ひんやりと冷たい。弾力のない触り心地に、この身体はもう動いたり喋ったりすることは出来ないのだと悟った。
「おじいちゃん」
必ず迎えに来ると言ってくれた。
それを信じて送り出した。
約束は果たされぬまま終わった。
「おっ、おじい、ちゃん……!」
祖父の亡骸に縋り付き、ひなたはボロボロと涙をこぼした。時折しゃくり上げ、袖口で涙を拭う。泣き喚いたりせず控えめにすすり泣く姿が哀れに見えた。
ひなたの涙が止まるまで、葵久地も右江田も一言も喋らなかった。
「あの、」
ひとしきり泣いた後、ひなたは泣き腫らした目で、向かいに座る右江田に声を掛けた。
「おじいちゃんを連れて帰ってきてくれた人ですよね。ありがとうございました」
「え、いや、あの、俺は」
ひなたに礼を言われ、右江田は戸惑った。
元はと言えば、車から降りる多奈辺を引き止めなかった自分が悪い。あそこで違う選択をしていれば、と何度も何度も悔やんだ。多奈辺の死の責任は自分にある。礼を言われるどころか、ひなたに憎まれてもおかしくないと右江田は考えていた。
「ち、違う。俺のせいで多奈辺さんは」
必死に事実を伝えようとするが、うまく言葉が出てこない。右江田は俯いたまま、肩を震わせて涙をこぼした。
大人の男が泣く姿を見て、ひなたは驚いた。
ここに来る前、三ノ瀬から島でのことを聞いている。祖父がどのように戦い、どのように死んだのかを。もちろん右江田のことも聞いた。その上で、彼に礼を言ったのだ。
ひなたには右江田を責める気はなかった。
それなのに右江田は泣いている。
「なっ、泣かないでよぉ……わっ、わた、わたしだってガマンしてるのに、なんでおじさんが泣くのぉ……!」
「ご、ごめん、本当にごめん」
必死に堪えていた悲しい気持ちが溢れ出して、ひなたはとうとう大きな声を上げて泣き出してしまった。多奈辺の遺体を挟み、大人の男と小学生の女の子がわんわん泣いている。
葵久地がどんなに宥めても、二人はしばらく泣き止まなかった。
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