第七話・別離

 山奥にあるシェルターの入り口に到着した一行。扉の内部にマイクロバスごと入った後、真栄島まえじまがこう言った。


「協力者の皆さんはここまでです。ご家族とはここでお別れとなります」


 地下深くにあるシェルターに入れるのは保護対象者のみ。つまり、ここが家族との最後の場となる。

 それを聞いて、みつるの顔色が変わった。両手で隣に座る兄の腕を掴み、揺さぶるようにして問い詰める。


「協力者ってなに? にいちゃんはシェルターここに入れるんだよね? ねえ!」

「みつる、すまん。にいちゃんは一緒に行けない」

「……なんで!」


 バスの中には眠っている人がいる。出来るだけ声を抑えてはいるが、それでもみつるは兄を問い質す事が止められなかった。


「シェルターって、お母さんから僕たちを守るものかと思ってた。でも、違うの? 何から守るっていうの?」


 今にも泣き出しそうなみつるの声に、他の協力者達は黙り込んだ。

 お互いの事情は知らない。だが、出がけに見た母親に対する兄弟の反応を見て大体の想像はついていた。本来ならば、ここにいる協力者は母親だったはずだ。違うということは、つまりそういうことだ。


「みつる。おまえは何にも心配しなくていい。外が落ち着くまでここのシェルターで暮らして、後は国が面倒を見てくれるそうだから。な?」

「だったら、にいちゃんはどこに行くの」

「みつる……」


 声を押し殺して泣く弟の震える肩を抱き締め、さとるは唇を真一文字に結んで目を閉じた。





 堂山どうやまゆきえは膝の上で眠る我が子の頭を何度も撫でていた。支度のために早起きして、バスに乗るまではしゃいでいたから疲れが出たようだ。まだ目を醒ます様子はない。もし起きていたら、母親が離れると知ったら大泣きするだろう。故に、このまま起こさずに別れると決めていた。


 みゆきの小さなリュックの中には絵本とおもちゃがひとつずつ入っている。切り詰めた生活で、ほとんど何も買ってあげられなかった。読みすぎてページの端が折れた絵本も、押しても鳴らないボタンがあるおもちゃも、二人の大切な思い出の品だ。


「みゆき……」


 二歳の娘は優しい母の手に撫でられて、眠ったまま満足そうな笑みを浮かべた。その頬にぽたりと涙が落ちる。ゆきえはそれを指先で拭った。





 ひなたはマイクロバスがシェルター前に到着する前に目を醒ましていたが、車内のただならぬ雰囲気を感じ取り、寝たフリを続けていた。しかし、みつるの言葉を聞いて、どうやらここで祖父と別れることになりそうだと勘付いた。

 目を閉じたまま、祖父の服の裾をぎゅうと掴む。それを多奈辺たなべが解こうとするが、ひなたの手は離れない。


「……これじゃバイバイ出来ないなぁ」


 困ったような祖父の声に、ひなたはようやく目を開けた。急に起き上がった孫娘に多奈辺は驚いた。


「お、起きてたのかい」

「おじいちゃん、どっか行っちゃうの? 戻ってくる? ひなたを置いていかない?」


 今まで我慢していた言葉がひなたの口から全て飛び出した。

 多奈辺の息子夫婦……ひなたの両親は交通事故で亡くなっている。ひなたを幼稚園に預けている間、二人で車に乗って買い物に出掛けた道中で単独事故を起こしたのだ。お迎えの時間が過ぎても両親は来なかった。小さい頃のその記憶が家族との別れを拒絶していた。


 ここで正直に答えれば、ひなたはきっと耐えきれないほどの悲しみを背負うだろう。そう思った多奈辺は自分の不安な気持ちを抑え、ニッコリと笑ってみせた。


「大丈夫だよ、ひなた。じいちゃんは必ず迎えにくる。今までだって、どんなに遅くなってもお迎えに行かなかった日はないだろう?」

「……うん」





 安賀田あがたは薬で眠る妻、ちえこの手を握っていた。

 難病を発症して以来、ちえこはいつも苦しんでいた。


 原因不明の痛みに。

 思い通りに動かない体に。

 夫に負担を掛けていることに。


 それまでの人生も決して楽ではなかった。子供がなかなか授からず、両家の親から何度も催促があった。当初、安賀田は知らなかった。席を外している間に、自分の両親が妻を責め立てていることに。ちえこも決して言わなかった。一人で何年も耐えていた。それを知った時、安賀田は激昂して実家と絶縁した。

 しかし、妻はそれすらも自分のせいだと悔やんでいた。難病の原因は判明していないが、ストレスも一因ではないかと医者に言われ、安賀田は目の前が真っ暗になった。自分は妻を幸せにするどころか、不幸にしているのではないかと。

 献身は全て罪滅ぼしのつもりだった。


「おまえの苦しみに比べたら、これくらい」


 眠っている間だけは安らかな妻の寝顔を、安賀田はその目に焼き付けた。





 保護対象者はここでバスから降ろされた。

 外からは無骨なコンクリートの壁にしか見えなかったが、内部は意外にも綺麗な造りをしていた。扉も機械で制御されており、片隅には監視員の詰め所らしき小部屋まであった。様々な配管が壁添いに張り巡らされ、それらは全て地下へと伸びていた。


 シェルター職員の女性が車内に乗り込み、寝たままのみゆきをゆきえの手から預かった。そっと抱き上げ、小さなリュックと着替えの入ったカバンを一緒に受け取る。体が離れる瞬間ゆきえは辛そうな顔をしたが、すぐに笑顔を取り繕い「お願いします」と頭を下げた。


 ひなたとみつるは荷物を抱え、自分の足でバスから降りた。ひなたは涙を流していない。祖父が必ず迎えにくると約束してくれたからだ。年下の女の子が泣いていないのだから、みつるも泣くわけにいかなくなった。兄のさとるをこれ以上困らせないよう必死に堪えている。

 ちえこは一旦右江田うえだが抱きかかえて降ろし、専用の車椅子に移された。医療スタッフらしき白衣姿の女性が数名迎えにきている。それを見て安賀田は安堵の溜め息をついた。


 協力者の四人は車内に残り、窓から家族の姿を名残惜しそうに見下ろしている。これが最後だ。


「では、出発します」


 運転手の合図で扉が閉められた。


 ひなたが大きく手を振り、多奈辺も小さく振り返した。みつるはただ立ち尽くして、寂しそうに笑う兄を見つめるしか出来なかった。みゆきを抱いている女性職員が窓のそばにきて寝顔がよく見えるように向けてやると、ゆきえは泣き笑いの表情で何度も「ありがとう」と繰り返した。安賀田はもう妻のほうを見ることが出来ず、自分の席でじっと俯いて座っていた。


 マイクロバスが走り出した。ホールから出て、再び山間の道を通る。

 協力者達はまだ行き先を知らない。共に乗っている勧誘員の三人も同じ作戦に参加するということも知らない。


「皆さん、これから我々は海に向かいます。最寄りの港ではありませんが、それほど遠くもありません」


 真栄島の説明を聞いて、安賀田は頭の中の地図を呼び起こした。


 移動中、別に目隠しをされていたわけではない。高速道路のどこで降り、どの方面にどれくらい走ったかは覚えている。つまり、現在のおおよその位置は把握している。住んでいる地域には大小幾つか港がある。最寄りではないということは……という具合に予測していく。


「もしや目的地は登代葦とよあし港ですか」

「おや、分かりましたか」


 安賀田の予測は当たっていたようで、真栄島は驚いていた。他の三人はキョトンとしている。

 登代葦は海に面した地方都市だ。行き先は工場地帯に隣接された工業港で、一般にはあまり知られていない。安賀田はたまたま仕事柄その場所を知っていた。


「今からその港へと向かいます。おっと、まだお昼を食べていませんでしたね」


 道中、サービスエリアにあるフードコートで食事と休憩を取った。

 家族を安全な場所に預けられたことで、協力者達は精神的に安定している。別れの時は辛かったようだが、今は安心感の方が強い。

 車外に出る際には、真栄島や運転手が一人一人にさり気なく付き添うようにしていた。念の為の見張りだ。しかし、誰も錯乱したり逃亡を企てる気は起こさなかった。

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