ホワイトデー特別短編『ヒロイン達へのお返し』
三月十四日。
前世、日本で過ごしていた頃の記憶を持つ俺にとって、その日は単なる平日じゃなかった。
およそ一ヶ月前の二月十四日に、女性が男性に好意とともにチョコレートを贈り合うイベント≪バレンタインデー≫があるとリリア達に伝えたことで、それはそれは賑やかな一日を過ごした。
人間の胃袋を余裕で破壊せんとするほどの巨大なチョコを受け取ったり。
自分の体にチョコレートを塗りたくろうとしてリリアに刺されかけた従姉妹がいたり。
ハート型のチョコレートを渡すのが恥ずかしくて、直前でハートが真っ二つに割れたり。
のんびり新作チョコレートを一緒に作ったり……
まあ、前半の二つはともかく、後半のセシリアとアナスタシアのチョコはそれなりに美味しかったし楽しめた。
リリアとフローラも、俺に対する想いだけは受け取れたわけで……つまり、なにが言いたいかと言うと……
しっかりバレンタインデーにチョコを貰った身としては、そのお返したる≪ホワイトデー≫にプレゼントを贈ろうと思った。
だが、ここでひとつ問題が。
バレンタインデーの話をしたついでに、ホワイトデーの話……要するに、チョコを貰った人はチョコを渡してくれた人にお返しという名のプレゼントを贈るもんだよ、ということをすでにリリア達にバラしてしまったのだ。
我ながら迂闊にポロッと口にしてしまった。反省してる。が、そんな気持ちなど露ほども知らない彼女たちは、嬉々としてプレゼントの内容に一言加えてきた。
それは……
▼
三月十四日、当日。
我が家の客間に呼び出したリリア達の下へと向かう。
今日だけは妙に長く感じる廊下を歩き、角を曲がって突き当たりの部屋に辿り着く。扉の向こう側から、すでに姦しい声が聞こえた。
用意したプレゼントを気に入ってくれるかどうか。あまり他人に贈り物をしない俺としては、馬鹿馬鹿しいと解っていながらも緊張する。きっと、彼女たちは嫌な顔ひとつしないというのに。
これは人間としての性質かな? と心の中で首を傾げてドアノブを捻った。扉を開けると、テーブルを挟んでフローラとセシリア、リリアがソファに座っていた。リリアの隣にアナスタシアがいないのは、今日、彼女は商会のほうが忙しくて来れなかったためだ。おかげでリリアの隣に座っても狭くはないが、彼女がいないとわずかな寂しさを覚える。
一応、後日にホワイトデーのお返しをするとのことで会う予定にはなっているが、まるで彼女だけ爪弾きにしてるような気分になって嫌になる。いやいやいや。明日には会って話しをするのだから問題はないだろう。首を横に振ってネガティブな思考を取り除く。
改めて、わざわざ集まってくれたみんなに声をかける。
「リリア、フローラ、セシリア、今日は我が家に集まってくれてありがとう。ご足労、痛み入る」
そう言いながらごく自然な流れでリリアの隣に腰を下ろすと、すぐ横からクスクスと笑い声が聞こえた。
「ふふふ。気にしないでください。
なぜか含みのある言い方に、俺はただただ苦笑を浮かべて無言を貫いた。
すると、対面のソファに座ったフローラもまた、笑みを浮かべて答えてくれる。
「お姉ちゃんはいつだってマリウスくんのために時間を作るよ! というより、もう結婚したらずっと一緒にいられるね。あれ? 妙案じゃない!?」
「フローラさん」
「はい」
例のごとくリリアに咎められてフローラはしゅんとする。
そんな彼女を無視してセシリアが口を開いた。
「わ、私も嬉しいよ? ちゃんと呼んでくれて。マリウスのためなら、どんな予定もキャンセルするわ!」
「あはは……別に今日である必要はないんだから、そこまでしなくていいよ。事実、アナスタシアは明日に持ち越しだし」
「油断しないでくださいマリウス様」
キリっとした顔でリリアが言う。
「アナスタシアさんは狡猾です。前のバレンタインデーでも、自分だけちゃっかりマリウス様と二人っきりになってました。
「お、おう……一緒にチョコを作っただけだよ?」
「信じられません。もちろんマリウス様は信じておりますが、アナスタシアさんのことは微塵も信用していないのです。こればかりはお許しくださいね、マリウス様」
とかなんとか言いつつ、彼女の瞳には「まあ、マリウス様も信じてませんけどね? どうせしたんでしょう? イチャイチャ」と言う文字がありありと浮かんでいた。憎しみに近い感情に染まった瞳孔が、一切揺らぐことなく俺の顔を捉える。
自業自得なのでなにも言うまい。
「本当なら明日の予定だってキャンセルして妨害したいというのに……お父様から絶対に参加するよう言われて……」
「私も領地に行かないといけないのよね……なんとか今日の予定だけは外さずに済んだけど」
「お姉ちゃんはバリバリ用事があったけどすっぽかしたよ! 今ごろお父様やお母様がカンカンだろうね」
「ああ、それに関しては事前にサンタマリア伯爵から強制送還の依頼を承っております。どうせ娘のフローラはマリウス様の所に行ってるだろうから、もし会うことがあったら何卒お願いします! と懇願されました。そして鎖も準備済みです」
じゃらじゃらじゃら。
部屋の隅に控えるメイド————ってティル!? なんでそんな分厚い鎖を持ってるんだ!? 一体いつリリアから預かった!?
反射的に鎖の音を聞くと、びくりと体が震える。対面に座ったフローラなんて、顔を真っ青にしていた。
「や、やだ……! お願い、リリア殿下! どうかお許しを……!」
ガクガクと全身を小刻みに震わせながら、両の手を合わせてフローラは懇願する。
それを見たリリアが、「仕方ありませんね……」と言わんばかりにため息を吐いた。
「安心してください。今日はホワイトデー。それをあなたが楽しみにしていたことは知ってます。行い自体は反省すべきことですが、まあ、プレゼントを貰うまでは待ってあげますよ」
「強制送還されるのは確定なの!?」
「当たり前です」
きっぱりと無慈悲に彼女は告げる。
やや残念そうにうな垂れたフローラを見て、彼女のプレゼントは最後に渡そうかな、と思った。と言っても、プレゼントを渡すだけなのでそう時間はかからないが。
「では早速、時間も時間なので始めましょうか。お願いしていいですか? マリウス様」
フローラのせい? でどんよりとした空気を、リリアが手を叩いて霧散させる。すっかり笑顔を浮かべた彼女の圧に負けて、俺はこくこくと頷いてそれを了承した。
座る前にテーブルの上に置いておいた箱の中から、小さな包みを手にしてそれをリリアに渡す。最初は婚約者である彼女からだろう。
リリアは、俺からのプレゼントを受け取ってここ最近では一番の笑顔を刻んだ。思わずどきりと心臓が跳ねる。
たまに見せる恐ろしい表情と奇行さえなければ、彼女は超が付くほどの美人なのだ。十人中十人が振り向くような美少女なのだ。
「マリウス様? なにか言いましたか?」
びっく————ん!!
心の中を読まれて大量の汗が流れる。
努めて冷静に首を横に振って答えた。
「なにも言ってません! ええ、なにも!」
「……そうですか。まあいいでしょう。それよりいまは、この包みの中身が気になります」
ほんの一瞬だけ彼女の背後に般若が見えた。
内心、「確信してやがる……!」と思ったのも束の間、受け取った手のひらサイズの箱の包みをとって開け始める。
え? てっきり家に持ち帰って開けるのかと思った。え? ここで開けちゃうの? 本人の目の前で? せっかく綺麗な包装紙で包んだのに!?
そんな俺の心の声など無視して、彼女のために選んだプレゼントが白日の下に晒された。
それは、紫色のイヤリング。
かつて初めてリリアにプレゼントした時のことを思い出しながら選んだ一品だ。なぜ紫色なのかと言うと、それこそがリリア達からの要求だったから。
私たちへのプレゼントは、絶対に紫色のものにしてほしい、と。
「これは……イヤリング、ですか」
「ああ。リリアは前に買ったやつを気に入ってくれてるけど、その……まあ、これを機に……思い出の更新も悪くないかな、と」
うわぁああああ!!
なんか恥ずかしいこと言ってるよ俺!
客観的に見て気持ち悪くない!? 気持ち悪くない!?
神妙な空気に呑まれておかしなことを言ってしまい、顔を真っ赤にして羞恥心に負ける。だが、プレゼントを受け取ったリリアは、そっとイヤリングに触れて「ふふ」っと笑った。そして、純粋な笑みを浮かべた彼女はこちらに顔を近づける。
「ありがとうございます。また、私の宝物が増えました」
言葉とともに、————唇に柔らかい感触が当たる。
それが彼女の唇だと理解するのに、たっぷり五秒もかかってしまった。
「…………リリア、さん?」
唇を離した彼女を呆然と見つめながら、俺の思考が一瞬だけ完全にショートする。
まさか、人前で…………っ!
茹るように顔が熱を帯びる。リリアの顔も赤いが、そこには満足げな表情が見える。
やられた、と思った時には遅かった。対面からフローラとセシリアが抗議の声を上げる。
「わーわーわー! 反則反則ぅ! お姉ちゃん的にアウトだよそれは! お姉ちゃんともキスしよっ!? ねぇ、キスしよっ!?」
「り、リリア……いくらなんでも、その……うらやま……じゃなくて、破廉恥だわ! そういうことはもっとムードのある落ち着いた場所で……じゃなくて、私たちのいない場所で……!」
「大胆なキスは婚約者の特権です。まあ、セシリアになら頬っぺたくらいは許可しましょう。さあ、早く次のプレゼントをどうぞ、マリウス様」
「え? この状況でそれを言うの?」
さも当然のようにホワイトデーを進行させようとするリリア。よく見ると、彼女の顔も相当に赤い。自分の行動を顧みて、急に羞恥心が膨れあがったのだろう。
それを指摘すると剣が飛んできかねないので、グッと喉元までのぼった言葉を無理やり呑み込み、俺は次のプレゼントを正面のセシリアに渡すことにした。
彼女へのプレゼントは、リリアよりやや大きいくらいの箱。
「じゃ、じゃあ……はい、セシリアへのプレゼント」
羨ましい、いいな、私も……とぶつぶつ呟いていたセシリアも、俺からのプレゼントを渡されると素直にそれを受け取った。
「あ、ありがとうマリウス……えへへ。中身はなにかな? 開けてもいい?」
セシリアはちゃんと聞いてくれるんだな。
もうリリアに開けられたし、拒否する理由はなかった。ひとつもふたつも変わらん。
「いいよ。ただし、ガッカリしないでくれよ?」
「マリウスからプレゼントを貰ってガッカリすることなんてないわ。極端な話、ゴミでも嬉しいもの」
それはあまりにも極端すぎませんか?
そう言う前に、セシリアはいそいそと包装紙を外して箱を開ける。
中から出てきたのは、これまた紫色のネックレス。
普段使いできるように、なおかつリリアと被らないものを選んでみた。
セシリアはネックレスを持ち上げると、瞳を輝かせて喜ぶ。自分の首元にそれを持っていき、頬にわずかな朱色を浮かべて「に、似合うかしら?」と俺に尋ねる。
もちろん俺の返事は決まってる。
「似合ってるよ。でも、セシリアにはやっぱり青色がピッタリだと思うな、俺は」
「ううん。いいの。これが一番いいの。……マリウスの色が、一番好き」
「うっ」
セシリアの囁くような呟きが聞こえ、心臓にダメージを負った。
そういうことを言うのは反則だと思う。心底嬉しそうに言われたら、婚約者がいる身で素直に喜んでしまう。
「ねぇねぇお姉ちゃんのは!? 次はお姉ちゃんのでしょ?」
ほっこりとした空気を配慮することなく切り裂いたフローラが、手をあげて豊かな胸を揺らす。リリアがジト目で彼女の横顔を睨む。セシリアはネックレスを抱きしめながら自分の世界に浸っていた。
これならフローラにプレゼントを渡しても問題ないかな。
「はいはい。フローラのはこれだよ」
最後にひときわ大きな包みを彼女へ渡す。大きさが重要視されるならフローラが一番だな。
「わぁ! 大きいねぇ。なにかな? なにかな!」
リリア同様、俺に尋ねることなく包装紙を外す。底の深い箱をゆっくりと開けて、中に入っていたプレゼントを高々と持ち上げた。
聖女とさえ言われる彼女に似合うよう、白を基調とした帽子。表面には小さな紫色の花が描かれている。
「花柄の……帽子?」
「うん。やっぱりフローラには、それが一番かなって」
なんとなく、店で見つけた時に「これだ!」って思ったんだよね。不思議だ。もしかして過去の俺は、もしくはマリウスくんは……花にちなんだものでも贈ったりしたのかな?
ぜんぜん覚えていないが、しかしやっぱりフローラには花のかぶりものがよく似合うと思った。名前も、
「マリウスくん……! やっぱり大好き!! 愛してる! せっかくだから、マリウスくんの白いチョコレートを——!」
「はい、強制送還」
「え?」
「畏まりました」
リリアの言葉に、ぴたりと動きを止めるフローラ。こちらへ飛び掛らんとする構えのまま、ブリキ人形のようにギギギ、と首をリリアのほうへ動かした。
しかし、リリアがなにかを答えるまえに、いつの間にかフローラの背後に立っていたティルが、鎖を手にフローラへ迫る。
「あ、ちょ——まっ!」
フローラが暴れる暇さえなく拘束される。なんて慣れた手つきだ。お前、リリアに染められてないか? 俺の時より従者っぽいぞ?
「助けて! マリウスくぅううん!!」
フローラの絶叫が室内に響き渡る。哀しいかな。俺にはなにもできなかった。涙で顔を濡らした彼女から視線を逸らし、何事もなかったかのようにリリアへ話しかける。
「プレゼント、気に入ってくれてよかったよ」
「ええ。今後、このイヤリングを付けるので一緒にデートしましょうね」
「えへへ~……マリウスからのプレゼント……」
「いやぁあああああああ!!」
俺とリリアが笑い合い、セシリアは未だトリップ中。廊下から大きな悲鳴が聞こえてくるが、それにツッコむ者は……ひとりとしていなかった。
後日。アナスタシアの自室にて。
「……ん、どう? これで完璧?」
「完璧。さすがアナスタシア。初めてのホワイトチョコでも美味しいよ」
「そんなに難しいものでもない。チョコの作り方を知ってれば、すごく簡単」
「まあね。でも、ほんとにこんなんでよかったのか? ホワイトデーのプレゼント」
「いい。この時間が、何よりの幸福だから」
「? そ、そうか」
よく解らなかったが、彼女がそれでいいなら俺に文句はない。
一緒にホワイトチョコを作った俺とアナスタシアは、それをおやつにのんびりとした時間を過ごす。
途中、少しだけ寝入ってるあいだに、いつの間にか俺の膝上にアナスタシアの体があった。顔を正面に胸元に頭をあずけて寝ている。
よくあることなので特に動揺もしない。……ん? 慣らされてる? まさかな。
彼女を起こさないよう、俺は再び瞼を閉じて意識を落とした。
その後、家に帰った俺の首元を見て、ティルが「き、キスマーッ!?」と目を見開いていた。アナスタシアのやつ……寝ぼけたな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます