第113話 不穏な影
俺が始めての狩りに出かけてから、早一週間が経った。そのあいだ、猟師仲間のネアやルシアとはそれなりに仲良くなれたと思う。未だネアの刺々しい? 態度は健在だが、ルシアが補足しなくてもなんとなく彼女が歩み寄ってくれてることが判るようになった。
王都ではいなかったタイプだ。どちらかというとフォルネイヤ会長に近いと思う。性格が。
フォルネイヤ会長元気かな、そう言えば。王都にいる時はちょくちょく様子を見に来てくれたが、呪いの影響が完全に消えたのかどうか、体はよくなったのかどうか、今さらながらに気になった。
「——マリウスさん」
「ん? なに?」
王都を出て二週間ちょっと。妙に懐かしく感じる過去を振り返っていると、不意にルシアが声をかけてきた。視線をそちらへ向ける。
「なに、じゃありませんよ! 何度も呼びかけてるのに酷いですっ」
「え? ごめんごめん。考え事してた。なにかあった?」
ここ最近、ネアとルシア……特にルシアとは気安く話せるくらいになった。彼女は俺より一つだけ年下だからと敬語を使ってくれるが、俺は遠慮しなくていいと言われたのでタメ口だ。ネアは同い歳らしいから、彼女にも敬語を使わなくなった。
そんなルシアだが、頬を膨らませて拗ねる様子は動物のリスやハムスターを連想させ、怒ってるのに怖くない。むしろ可愛いから反応に困る。
「だから、この足跡ですよ足跡。こんなに大きな足跡があったのに、マリウスさんスルーするからびっくりしました」
「足跡?」
ルシアが指差すほうへ視線を向ける。すると地面に、俺の手よりデカイ足跡……おまけに爪の跡までクッキリと刻まれていた。確かにこれをスルーしたらビビるだろう。考え事とは恐ろしい。
「これは……相当デカイ獣の足跡だね。もしかして熊かな?」
「恐らくね。私たちもこれほどの獲物は久しぶりに見るわ」
「前にも同じくらいの獣が?」
「ええ。と言っても、その獣を狩ったのは先代の猟師……私たちの師匠だけどね」
「僕たちは師匠が狩った熊を見たの。もう多すぎてびっくりしたよ」
「ルシアちゃんなんて泣いてたものねぇ」
「お姉ちゃんもね」
姉妹のいつもどおりの喧嘩を横目に、俺はジッと獣の足跡を見つめる。俺は記憶を失ってから魔物を見たことはないが、記憶にある魔物もこれくらいデカイ。討伐経験があるらしいが、今の俺は素人もいいとこだ。所詮、田舎でウサギやらイノシシやらを狩っていきがってるだけ。本物のバケモノを見たらきっと対処はできないだろう。
ふるふると嫌な考えを頭の中から追い出し、ぐるぐると唸りながら睨み合う姉妹の喧嘩を止める。
「はいはい、喧嘩はそこまでだ。今は騒ぐよりやるべきことがあるだろ」
「マリウスさんはどっちの味方なの!」
「当然私よね? ハッキリしなさい!」
「いやいや……どっちの味方でもないから。それより、このことは念のため村長へ伝えないと。しばらくは、獣が見つかるまで子供たちも外出を自粛させないとね」
「「確かに……」」
やや納得のいかない表情を浮かべながらも、姉妹は俺の意見に賛同してくれる。まだ獲物はあまり狩れていないが、今日はさっさと三人で村へ戻った。
村長に巨大な生き物が村の近くにいるかもしれないと報告すると、村長はおそるおそる「君たちに討伐とか……できたりするかな?」と言ってきたので、「危険は冒せない。無理だと判断したら逃げる」と回答しておいた。文句を言われたりするかと思ったが、村長はたいへん申し訳なさそうな顔で「もちろんだとも。君たちの命こそが最優先だ」と頭を下げてくれた。いい人でよかった。
まあ、本当に熊が村に出てきたりでもしたら、俺が命を懸けてでもみんなを守るが。
自宅へ帰る途中、俺は密かにそんな覚悟を決めるのだった。
▼
村長の好意で借りてる自宅へ帰ると、いつものように料理を作っていたティルが俺を出迎える。
見慣れたメイド服ではなくエプロン姿なのが、今でも違和感を与えた。でも可愛い。
「おかえりなさいませ、マリウス様。今日の狩りはどうでしたか?」
「ただいま、ティル。順調……とは言えないね。ちょっと問題があって」
「問題?」
「ああ。これまで狩ってきたどの獣より大きな足跡が見つかった。村の近くに熊がいるかもしれない。だから、ティルは絶対に村の外には出ないでくれ」
「く、熊!?」
ティルが顔を青くする。決して大袈裟じゃない。
王都と違って高い壁もない、警備も不十分な村では、たとえ一匹の熊であろうと魔物に匹敵する脅威だ。下手すると熊一匹で大半の住民が食い殺されてしまう可能性すらあった。
「マリウス様はどうするんですか? そんな状況でまさか狩りに行くわけ……」
「狩りにはいく。けど、一番はその獣を見つけることかな。いないならいないでいいが、本当にいるなら見つけておかないと大変なことになる」
「そ、そんなっ。危険です!」
「危険は承知のうえだ」
「許可できません!」
キィーン、とティルの金切り声が響く。俺は表情を歪めながらも言った。
「大丈夫だよ。無理はしない。村長にも逃げる許可は貰ってる。だから、心配しないでくれ」
「そんなの無理に決まってるでしょう!? マリウス様になにかあったら……」
じんわりと涙を浮かべるティル。彼女の気持ちは理解できるが、ここは我慢してほしい。グッと甘えたい気持ちを抑え、彼女を抱きしめる。
「約束する。俺は絶対にティルの下に戻るよ。なにがあってもね」
「……本当、ですか?」
ティルの腕が俺の背中へ回り、きつく、強く抱きしめてくる。
「本当。絶対。約束。だから、この村を救うためにも行かせてくれ。ネアやルシア達だけじゃ、いざって時に危険だ。前衛で体を張れる俺がいないと、二人が死んじゃうかもしれない」
だから俺の行動を許してくれ、と言外に気持ちを込める。すると彼女は、しばらく無言でなにかを考えたのち、パッと腕を離して俺の下から離れた。涙を袖で拭きながら、とびきりの笑顔を浮かべて言う。
「わかりました。私はマリウス様を信じます。信じて、ずっと待ってますからね!」
ああ……俺にはもったいないくらいの女性だ。思わず惚れそうになった。
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