第105話 旅路

 ひたすら牧歌的な景色の広がる道を往く馬車。最初に見えた街は、グレイロード公爵邸で確認したかぎり、羊毛で有名な土地だった。


 広大な自然を有するがゆえに、その街は羊や牛の世話に力を入れている。農業もそれなりに盛んだとか。


「やっとひとつめの町が見えてきましたね。目的地はまだまだ遠いのに、ずいぶんと疲れた気がします」


 荷台から身を乗り出してまで遠くを見つめるティルに、同意と言わんばかりに俺も並ぶ。


 彼女にはどこへ行くのか、旅の合間に教えてある。だからこそ、わざわざそんな遠くに行く必要があるのかと首を傾げられたが……隠れた理由を話したら納得してくれた。


「そうだな。少なくともあと二つの街を経由しないと着かない。金以上に時間の浪費がもったいないよ」


「一週間から二週間ほどは潰れますからね。いいんですか? 貴重な夏休みを旅に消費して」


「今さらだな。ここまで来た以上は後戻りなんかできない。それとも、ティルだけでも帰るか? 秘密を守ってくれるなら俺はそれでも構わないぞ」


「ご冗談を」


 俺の言葉を鼻で笑う。


「私がマリウス様を置いていくはずがありません。それなら先にマリウス様の覚悟が折れるほうが早いです」


「言うねぇ」


 どこまで本気なんだか図りかねる。


 たぶん、本当に一ミリも離れる気がないんだろうな。喋ってる最中、一度も彼女の瞳は揺らがなかった。そこまでの覚悟を抱けるのが不思議でしょうがない。


「なら、こんな問答はやめて、街でどんな食事を摂るのか考えよう。肉料理が美味しいと聞いたぞ」


「そうですね。私も実は楽しみだったりします。小さい頃からグレイロード公爵家で働いていたので、王都の外には出たことがありません。たくさんの初めてをマリウス様と共有したいです」


「はいはい。あんまり冒険者の人たちに勘違いされるようなことは言うなよ。しっかり声を潜めてくれ」


「え~? もしかして恥ずかしいんですか? マリウス様も男の子ですねぇ」


「今すぐ馬車から放り投げてもいいんだぞ?」


「すみませんでした!」


 自分の立場が弱くなるとティルはすぐに頭を下げる。その潔さも嫌いじゃないが、ニヤニヤしたり謝ったりと自由な彼女はムカつく。


 羨ましいと思ってしまうのだ。


 そんな居心地の悪い感情を中指に込め、俺は彼女の額にデコピンを喰らわせる。


 バチンッ! という音を立ててやや後ろにティルが仰け反った。


「あいたっ!?」


 微妙に赤くなった額を撫でながら、憎たらしそうに俺を睨む。


 だが、スッキリした俺は逆にふふん、と鼻で笑ってやった。いつまでも手玉にとられる俺じゃない。


「マリウス様……淑女の額に攻撃を加えるなど、紳士のすることではありませんよ」


「淑女? そんなのどこにいるんだ? 俺の目には、悪戯心を引っさげた醜い悪魔しか映ってないが?」


「むむっ! 言うに事欠いて醜い悪魔!? あんまりです。シクシク」


 やる気のない泣き真似が炸裂。やれやれと俺は視線を逸らした。


「馬鹿なことやってないでおりる準備をしろ。そろそろ正門に到着するぞ」


「誰のせいですか誰の。……ああ、本当に他の街へ足を踏み入れるのですね。ワクワク半分、不安半分といったところでしょうか」


 珍しく、ティルがマイナスなことを口にする。彼女でも不安に思うことがあるのだな。いや、違うか。


 俺に気を使って不安を隠しているのだ。彼女だって年頃の若い女性。着の身着のまま外へ出たことを多少なりとも後悔してる可能性はあった。それら全てを俺のために呑み込み、こうして尽くしてくれている。


 ならば、俺ができるのはたったひとつ。彼女の不安を共有し、少しでも取り除いてやるくらいだ。


 白く細い、雪のような手を握り締める。


 俺の手が伸びたことに驚くティルだったが、お互いの体温を感じると振り払うことはせず、むしろ表情が徐々に明るくなっていった。


「安心しろ。なにがあっても俺がティルを守るから。だから、ティルも俺を守ってくれよ?」


 にやりと笑って言うと、彼女も釣られて笑う。


「……はい。必ずや、私がマリウス様を守ってみせます。なので、私のことも必ず守ってくださいね? 期待しまくります」


「なんだそれ」


 二人揃って同時に大きな声を出して笑う。


 馬車を囲む冒険者たちは何事かと視線を向けるが、楽しそうな俺たちの様子に首を傾げてからなんでもないなと目を逸らす。


 数分後。無事に馬車は街に到着した。ここからさらに南西方面へと俺たちは休憩を挟んで向かっていく。


 なんだかんだ、ティルのいる旅は退屈しなかった。

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