第98話 デートをしよう

 夜が明けた。


 暖かい太陽が空に昇り、カーテン越しに部屋を照らす。


 数時間の睡眠ですっかり体の疲れが取れた俺は、目を覚ましてすぐにカーテンを開けた。生憎と外の景色を楽しめるような状況ではないが、それでも見慣れぬ世界は美しい。無言で白く輝く太陽を見ていると、不思議と心が落ち着いた。


「……頑張らないとな」


 記憶喪失。


 昨日、見知らぬ少女たちに告げられた言葉を、起きてからずっと考えている。記憶が無いのだから当然だが、記憶喪失なんて単語はいくら口の中で転がしても漠然としていた。現実味がないというか、まるで他人事のような気さえする。


 だがそれは、まぎれもなく俺の身に降りかかった災厄。哀しそうな目で俺を見る彼女たちの顔を見たら、記憶喪失くらいなんとかなるだろう——なんて楽観的には考えられなかった。


 だから俺としても頑張らないといけない。なにを頑張ればいいのかなんてわからないが、道はきっと彼女たちが示してくれる。せめて俺は、その期待と想いに答えねばならない。


 そう自分に言い聞かせて、俺はグッと背筋を伸ばした。


 ——そこへ。


「マリウス様!」


「おわっ!?」


 乱暴に扉を開け放ち、リリア達が姿を見せる。


 唐突な出現に、口から心臓が出そうになった。バクバクと早鐘を打つ心臓を胸元越しに押さえながら、努めて冷静に挨拶を交わす。


「や、やあリリア、おはよう。どうしたの? 急に。慌ててるようだけど……」


 ちゃんと昨日言われた通り敬称も敬語も使わない。できるかぎり彼女が知るマリウスを演じるが、上手くできていただろうか? 特に彼女からは何も言われないので大丈夫だと信じたい。


「おはようございますマリウス様。すみません。早朝から騒いだりして……ですが! どうしてもマリウス様にお話したいことが!」


「話? なにか記憶喪失に関する打開策でもあった?」


「はい! 皆さんと話した結果、やはり記憶を呼び戻すためには、呼び戻したい記憶を連想させるようなことをしたほうがいいと言う結論に至りまして」


「うんうん」


 なるほど納得できる意見だ。けど、具体的に記憶を連想させる事ってなんだろう? 俺には記憶がないからサッパリわからなかった。


「つきましては、マリウス様にお願いが」


「お願い?」




「——私たちとデートしませんか?」




「…………」


 デート?




 ▼




「お待たせしましたマリウス様」


 たったったっとリリアが駆けてくる。後ろには護衛らしき騎士が二人もいた。加えてメイドもいるのだから、やや目立つ。


「すみません。私からデートをしようと言い出したのに、こんなに待たせることになって」


「しょうがないよ。着替える時間は必要だろう? それくらいなら何時間でも待つさ」


「キューン! 記憶が無くてもマリウス様の優しさとカッコよさは変わりませんね!」


「え? そ、そうかな? 俺って前からこんな感じだったの?」


「それはもう。多くの女性を魅了してしまう困った殿方でした」


「マジか……」


 俺ってそういうろくでもない奴だったのか……。リリアはなんでそんな奴を好きになったんだ? 俺が彼女だったら、軟派な奴はちょっとな……。浮気とかしそう。


「でも、誰にでも優しいあなたを私は愛してます。多少は嫉妬しますが、それくらいは許してくださいね?」


「多少って……剣を振り回したり婚約者を縛るような行為が多少……ん?」


「マリウス様!?」


 リリアが声を荒げる。俺も心底びっくりした。今の言葉……ごく自然と口から出たが、今の俺に該当する記憶はない。しかしなぜかわかる。そんな目に遭ったかもしれない、ということが。


「もしかして今……少しだけ記憶が?」


「は、はい。恐らくは。多分、呪いの影響がそこまで強くない証拠ですね。これならすぐにマリウス様が私のことを思い出せるかもしれません!」


 うーん。先ほどの言葉を思い出すかぎり、記憶を取り戻すのが本当にいいことなのかどうか怪しくなってきたが、いつまでも他人のフリはできない。彼女たちを傷つけるのは、恐らく俺も過去のマリウスも本望ではないだろう。


「はは。幸先がいいな。希望が見えてきたよ」


「ではでは早くデートを始めましょう。せっかく二人きりで遊べる機会です。久しぶりにとことん楽しみましょう。それが、マリウス様の記憶に通ずるはずですから」


「ああ。男として恥ずかしいが、エスコートは任せるよ」


 リリアと共に歩きだす。ごく自然に彼女は手を伸ばし俺の手を取るが、それもまた記憶を思い出すのに必要なことだろうと割り切り、沸いた羞恥心をグッと抑え付ける。


 今の俺にとっては初めてのデートが始まった。

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