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午後九時を少しまわった頃、「大収穫ですよ」と嬉しそうな顔をしてカイリ君は戻って来た。最後にカイリ君を見た時は黒いシャツで寒そうだったのに、今は薄いダウンジャケットを羽織っている。それも、もちろん黒色なわけで——。
——寒いだろうなって心配してたけど。
「ジャケット持ってたんだ」
「ああ、これ? こういう普通のは普段着ないんですけど、すごい便利ですね。始めて着ました。クルクル丸めるとこんなに小さくなるんですよ。真矢ちゃん知ってましたか?」
「もちろ——」
「それよりも、大収穫です!」
カイリ君はよほど嬉しいのか興奮気味に話をする。
「さっきの女性、吉永さんというのですが、その失踪した事務員の上司にあたる方でした。簡単に云えば真矢ちゃんにとっての加藤さんみたいな人です」
「それは色々聞けた——」
「そうなんです! 色々どころか必要な情報は全て訊き出せた気がします」
「へぇ、すごい」
「すごいですよ。やっぱり名刺って大事ですよね。すぐに探偵社の人間だと信じてくれました。それに広末工業と違って入り口にガードマンがいないので、それも助かりました。広末工業は入り口でシャットアウトだったので。ああ、それよりも。わかりましたよ!」
「うん」と気圧されながら返事をする。カイリ君はスマホを取り出しながら、その返事も待たず話を続ける。
「失踪した事務員の名前は中嶋美咲さん、当時三十三歳。商業高校卒業の高卒入社で真面目な社員だったそうです。ただ吉永さんが云うには、製造業のくせに化粧が濃いと注意したことがあるとか。まぁ、そこはおばさんの僻みも入ってると思うので、そこは置いておいて。それで——」
「ストーップ!」と一旦話を制す。人気のない工業団地。社用車でもない普通車を一時間以上も停めている。それにスマホで車内に明かりが入り、目立ちそうだと思った。
「カイリ君、まずはさ、この場所から移動してもいい?」
「あ」と車外に視線を向け、カイリ君は話を続ける。
「そうですね。確かに。ここでは吉永さんにまた会ってしまうかもしれないですし。僕、気に入られたっぽいんですよね。ほら、僕って——」
「はいはい。顔がいいからね」
「そうなんですよね〜」
——自意識高い男め。でも。
ひとりきりの車内。待っていた時間は心細く、カイリ君が戻って来て嬉しいと正直に思った。空気感が変わり、わたしの心も少し明るくなる。
「とりあえずこの工業団地を抜けてまた近くのコンビニに停めようか」
「あ、いや次はここに——」
カイリ君に指示される住所にナビを設定し、車を走らせながら話の続きを聞くことにした。目的地までは車で二十分。
「それでこの住所はどこなわけ?」
「失踪した中嶋さんの実家です」
「え?!」どくんと心臓が波打つ。
失踪した元カノの実家。
——ということは、ご家族にお話を聞くということになるよね?
カーナビの到着予定時刻を見る。
ナビの表示によれば、到着は午後九時半頃の予定だ。
「それは、ちょっと。さすがに時間も遅いし」
「大丈夫です。もう連絡済みです」
「連絡って……。でも、それって失踪した人の家族に話を聞くわけでしょ?」
「はい。お母さんがおひとりで住んでいるそうです」
——失踪した娘のことを聞く……。
明るくなり始めた心が一気に重たくなった。行方不明の娘。話の流れだともう一年以上、音信不通の娘ということになる。
「真矢ちゃん? どうかしましたか?」
「うん。なんかその話聞くの重いなって」
「心配ご無用。僕がさっき探偵事務所と名乗って連絡したので、真矢ちゃんは隣にいてくれるだけでいいです」
「それはそれで心配かも……」
——行方不明者のご家族。その心中をお察ししてカイリ君に話が聞けるとは思えない……。
「それに一体どんな手を使ってそんな個人情報聞き出して来たの?」
「ああ、それはもうすごくシンプル」
「シンプル?」
「あのおばさん、水曜サスペンス劇場が大好きだそうで」
「水曜サスペンス?!」
「はい、水曜サスペンス。ほら、刑事ドラマとかそういうやつですよ」
「それで?」
「それで探偵事務所の名刺を出したらすんごく食いついてきて。依頼主のことや込み入った事情は話せないのですがって云ったら、分かるわ分かるわ、そういうものよねって」
「へぇ〜」
「それにちょうど社内で中嶋さんの話題が出たばかりだったそうで。あれですよ。さっき真矢ちゃんが喫茶店で聞いて来た話」
「鈴木さんの元カノで——」
——子供を堕した。
「って話?」
「そうそう。その話を聞いたらしくて。だからすごく話が訊き出せました。そういう噂話って女の人好きですよね〜。特におばさんは」
「確かに」
——加藤さんみたいな感じってことか。
妙に納得し、ちょうど信号待ちで停車した。寒々しい工業団地を抜けどことなくほっとする。国道沿い、牛丼チェーンの看板やガソリンスタンドの明かり。大型トラックや自家用車が走る様子に人の営みを感じた。カイリ君はペットボトルに残っていたお茶を飲み干して、話を続ける。
「それで、失踪した日のことも分かりました」
「失踪した日——」
「はい。その日は鈴木さんの事件があった日と訊いていましたがそうではなくて」
「違ったの?」
「違ったというか、鈴木さんの事件が報道された日だったそうです」
「へぇ……」
「事件を知らなかった中嶋さんが出社し、そのことを吉永さんが教えると、中嶋さんは気分が悪くなったとトイレへ行き、全然戻って来なかったと云っていました」
——それはわたしが聞いた話も同じだ。
「でも、吉永さんはその後で、中嶋さんに会ったそうです」
「そうなの? そのまま消えたんじゃなくて?」
「はい。会社から出ていくとこをを見つけて、どうしたの? と声をかけたそうです。でも無視して去っていったようで。吉永さんはその態度に苛立って追いかけたそうなんですが、まるで人が変わったように『こんな汚い場所、用はない』と吐き捨てて出て行ったそうです」
「人が変わったように?」
「まるで別人だったと云っていました。化粧は派手でも大人しい子だったのに、自分の事を見下すような目で見て『用はない』と吐き捨てて出て行ったそうです。かなりご立腹で話をされていたので間違いないと思いますね。その
ちょうど信号が変わり、ナビの指示通りハンドルを右に切る。
——確かに気になる。鈴木さんの事件を聞いて気分が悪くなるってことは理解できる。ショックでそのまま会社から出て行ったのも理解できる。でも、人が変わったって……。
「僕はそこがすごく気になります。その時から、中嶋さんとは一切連絡が取れないそうです」
「実家にも?」
「実家にも戻っていません」
「そっか……」
——失踪者の死亡届は確か七年。災害時などの特別失踪者は一年だったはず。
以前、災害でお子様を亡くされ、何年か経ってご葬儀をした家族があった。ご遺体のないご葬儀。区切りをつけたいと依頼した旦那様と、それを頑なに受け入れることができない奥様。
——あの子はどこかで生きています。葬式なんて出したらもう二度と戻ってこない!
泣き崩れる奥様を抱き抱えて旦那様は耐えていた。失踪宣言を出し死亡届を出さなければ、戸籍上は生きていることになる。ご高齢のご夫婦。自分達に何かあった後でも戸籍上は生き続ける我が子。弔うことができるうちに、一緒のお墓に入るために。それぞれの思いがあり、決断したご葬儀だった——。
「真矢ちゃん? どうかしましたか?」
「うん、ちょっとね。なんか、話を聞くのが重いなって思って……」
「なぜですか?」
「だって、失踪した娘さんの話を聞くってことはさ、もしかして死んでいる可能性もあるって、きっとお母様は思われてるような気がして。それに生きてるなら連絡が取れるだろうし。なんかね、ご遺族に話を聞きに行く気分で——」
「死んでませんよ」
「え——?」
「生きてるって信じてましたよ、お母さん。だから娘さんのことを探している人がいて、話を聞かせてくださいって云ったら、ぜひ探してくださいって。だから今から行くんです。真矢ちゃん、頭が葬儀会社ですよ。さささ、切り替えて切り替えて!」
「そっか……。頭が葬儀会社……」
「ほら、次は左ってナビが云ってます」
「うん——」
カイリ君の言うことは正しい。
子供がどこかで生きているって信じている。
当然だ。
それをわたしは——。
「切り替えて」と呟いて、わたしはハンドルを左に切った。
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