第182話 奴隷、錬金人形の変化に気づく

「ああああッ! アタシの食費が減っちゃってるじゃない。ほら見てよ、半分以下になってるわ! あああぁ……アタシが寝てる間に何があったっていうの……もしかして、アンタたちだけで使っちゃったんじゃないでしょうね!」


 眠りから目覚めたアイネスの怒鳴る声が、右耳から左耳へ抜けてゆく。

 ゴーマラス共和国の中心である、首都ゴルナダに着くや否や、アイネスが金貨が入っている袋の音の変化に気づき、なぜか俺を責めてきた。


「情報を得るために、やむを得ず使っただけだ」


「それにしても減りすぎでしょ。減ったお金でどれだけ食べられたことか……」


 天を仰ぎ、全身で感情を表現するアイネスは、この金が自分のものだと勘違いしている節がある。

 ここははっきりと言っておいたほうが今後のためか。


「言っておくが、この金は元々アイネスの食費じゃないからな」


「そそそ、そんなのわかってるわよ! ちょっとからかってあげただけなのに、本気にならないでよね」


 アイネスは恥ずかしくていたたまれなくなったのか、当然のようにセレティアの服の中へと逃げ込んだ。

 これでひとまずアイネスが街中で姿を晒すこともなくなった、ということで良しとしよう。

 だが、セレティアは納得がいってないような、呆れた顔を向けてくる。


「二人は本当に仲がいいわね。でもわたしとしては、事あるごとにココへ入ってはほしくないんだけど」


 セレティアはうんざりといった表情で自分の胸を指差した。

 さっきまでそこにいて出てきたと思ったら、すぐさま戻ってこられたら、うんざりするのもわからなくもない。

 だからといって、俺に言われてもどうすることもできないわけだが。


「アイネスに言ってくれ。その習性は俺が口出しできるわけじゃない」


 フィーエルといた頃はあんな癖はなかったし、きっと居心地がいいのだろう。

 それを俺が口にするのもどうかと思う……。


「無理強いをするつもりはないけど……入っても邪魔にはならないから」


 アイネスは体の形状を自由に変えられる。

 今まであまり気にしていなかったが、服の中にいる時は、あの姿を維持する必要がないのだろう。

 

「――――それにしても、あの資料にあったとおり、首都なのに褒められるところはないわね」


 セレティアの表情が険しくなるのも当然で、他国では奴隷と思しき者たちが、ここまで人目を憚ることなく使役されているのを目にすることはない。

 老若男女関係なく、貫頭衣一枚だけの格好で、町の至る所で馬車馬のように働かされている。


 戦時でも鉱山でもなく、日常に奴隷が溶け込み、ここまで堂々と酷い扱いを受けている国は俺の記憶にはない。

 サイ一族のような奴隷の一族ですら、隔離された場所で過ごすのだ。


「こんな国をスルーするなんて、ウォルスが言ってた二人の問いの答えって、きっと最悪なものね」


「歪な環境が何を意味しているのか、だな。他国と比較するかぎり、この環境が歪そのものに映るんだがな……」


 歪に映っても、結果から見れば、これは問題ないのだろう。

 これが問題ならば、他国で暗殺が起きるはずがない。

 この国の方針の中で、他国と決定的に違う部分があるはずで、それを見つける必要がある。

 リヒドはあの時、俺に対して”歪な環境”を”歪な世界”と言い直していた。

 もしあれに意味があるのなら、一国の環境という程度のものではなく、もっと広い視野で見ることができるものであってもいいはずのもの……。


「共和国にした意味ってあるのかしら」


 セレティアは独り言を呟きながら、キョロキョロと周辺を見回す。

 ギラついた目を向ける者、昼間から酒を手にフラつている者、他国でも治安が悪い区画はあるが、中心となる町でこの光景はない。

 そこに響く、子供のものと思われる鳴き声。

 もはや悲鳴に近いそれは、建物を一つ挟んだあたりから聞こえてくる。


「ウォルス!」


「わかっている」


 走り出すセレティアの後ろをついていくと、そこには首都にあるまじき光景が広がっていた。

 荷車に木箱を積んでいる奴隷たちの中で、一際小さい奴隷の子。

 十歳にも満たない幼い奴隷の子が、公衆の面前で鞭を持った男に何度も打たれる異様な光景だ。

 誰も止めることなく、鞭は激しさを増してゆく。


「ガキが休んでんじゃねぇぞ。俺の奴隷ならさっさと立てッ」


 泣き止まない奴隷の子に対し、容赦なく振るわれる鞭。

 そこに一切の迷いはなく、死んでも構わないといったものだ。

 そんな光景を前にして我慢ならなかったのか、セレティアは身を挺して止めに入った。


「なんだぁ? てめぇも殴られてぇのか!」


 セレティアごと打つ気なのは間違いなく、男は今までで最も大きく腕を振りかぶる。

 奴隷の子の前で、両手を広げて微動だにしないセレティアは、為政者としての空気を纏い始めている。


「悪いな、その鞭を打たせるわけにはいかない」


 今にも振り下ろされそうな男の手首を掴み、鞭を奪い取る。


「てめぇ、こんな真似して許されると思ってねえだろうな?」


 力でねじ伏せることは可能だが、この場合、こちらが一方的に悪くなる。

 奴隷をどう扱おうと主の自由であり、それを妨害するのは許されない。

 だが、どこの国であろうと、穏便に済ませる手段が一つだけある。

 特にこの国では、最も有効な手段となっていることは既に実証済みだ。


 ――――腰の袋から金貨を一枚取り出し、男の手に握らせる。

 途端に、男が落ち着きを取り戻してゆくのがわかる。


「ま、まあ俺もやりすぎた感はあったか」


「話がわかる男でよかった。こちらとしても、目に余るものがあったんでな」


 こちらの話が纏まったのを確認したセレティアは、すぐさま泣いている奴隷の子の前にひざまずいた。

 想定外の行動のとおり、セレティアから発せられた声は、想像していたものとは丸っきり違っていた。


「どういうこと……これ……」


 励ます言葉をかけると思っていたところに、困惑した声が漏れる。

 振り返ったセレティアの顔からは血の気が引き、その表情は俺に助けを求めているようにさえ見える。

 決して怯えているわけではなく、答えを出せないでいると言ったほうが近いかもしれない。


「どうしたんだ」


 セレティアが再び見つめる先には、さっきまで倒れていた奴隷の子が、何事もなかったかのような顔を向ける。

 肌には傷一つなく、血の痕跡すらどこにもない。


「……ウォルス、傷が消えたの……血も出てなかった」


「なんだ、そいつらのことも知らねぇのか。そいつら人じゃねえんだよ」


 奴隷の主である男はぶっきらぼうに言い放ち、金貨を腰のポケットへ仕舞った。


「この国の者は、錬金人形を知っていて奴隷にしているのか」


「れんきん人形? 名前は知らねえけどよ、少し前から増えたんだよ。人じゃねえけど言葉は通じるし奴隷にもできる、特殊な魔法でできてるって話でよ、なんたって国が容認してんだ。こんなに使い勝手のいいもんはねえよ。そこの奴隷全部、そのなんとか人形ってやつだぜ」


 奴隷たちの中には、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる者や、今にも泣きそうになる者など、自分たちが置かれている状況を理解している、と疑いたくなる反応を示している。

 だが、これも所詮蓄積された記憶によって形成された反応のはずだ……。


「ウォルス、この子たちを――――」


 そこまで言って声が詰まるセレティアは、俺に聞くまでもなく答えに気づいるものと思われる。


「――――それはできない。一時的な感傷に囚われ、目の前の問題に手をつけることは悪手でしかない。第一、その奴隷たちは人じゃないんだ……」


「そうだけど……」


 セレティアは納得がいかないのか、暗い表情を浮かべる。

 子供の錬金人形に感化されたのだろうが、目の前の奴隷たちがいくら人に見えても、ただの人形だ……。


「おねえちゃん、ぼくだいじょうぶだから。ほら、


 奴隷の子が腕を見せ、逆にセレティアを励まし始めるが、その姿に、さっきまで胸につかえていただけの違和感が、強烈なものとなって思考を支配する。

 気丈に振る舞う奴隷の子の姿を、アイネスはセレティアの胸元から顔を半分だけ出し、食い入るように観察する。


「アタシが知ってる反応と違うわね。ウォルス、アンタも気づいてるわよね?」


「……ああ」


 奴隷の子の反応から、その正体がはっきりした。

 アイネスは冷静に、ただ目の前の事象だけを分析しているのだろう。

 俺とアイネスのやりとりを聞いていたセレティアは、最初こそ理解できてなさそうな顔をしていたが、すぐに目の前の錬金人形の変化に気づいたようだ。


「ウォルス、この子たち、わたしが知ってる錬金人形じゃないわ……成長してるのよ」

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