第178話 王女、立ち直る

「はぁ……全然らしくないわね」


 アイネスに空元気を見せ、ウォルスを追いかけさせたまではよかった。

 その間に、普段の自分に戻れば、全ては丸く収まるはずだったから。

 しかし、誰もいなくなった部屋で、セレティアは一人猛省していた。

 鏡に映る自分の姿が、普段のものとはかけ離れた、やつれた一人の少女でしかなかったからだ

 王女の威厳など微塵も感じられない姿に、セレティアは眉間に深いシワを刻む。

 叱咤激励するように、己の両頬を叩き、何度も深呼吸を試みたが、何も変わらなかった。


「ウォルスもアイネスも、わたしがまだ、うら若き乙女だってことを忘れてるのよ、きっと」


 護衛奴隷が、世界で最も有名だったカーリッツ王国第一王子の転生者。

 そのせいで世界中の人の記憶が書き換えられてしまい、さらには、記憶を書き換えられなかった謎の人物まで現れる始末。

 その謎の人物は、ウォルスでさえ逃してしまうほどの強敵ときていた。

 同年代の少女が同じような状況に陥れば、自分以上に動揺し、とうの昔に気がどうにかなっていたに違いない、とセレティアは聖書を読み上げるように、ブツブツと独り言を呟いた。


 そんなセレティアが呟く部屋の壁をすり抜け、静かに一つの影が迫っていた。


「何がうら若き乙女よ。そんなこと百も承知なの」


「ひぃっ!!」


 悲鳴とともに飛び退いたセレティアの背後に、上機嫌な姿のアイネスが現れる。


「戻ってきたのなら、ノックくらいしてほしいわね」


「アタシが、人間のルールに縛られるなんておかしいでしょ。そんなことより、まだウジウジしてるようね」


「仕方ないでしょ。今までの歴史が違うとか、ウォルスでも勝てないとか、色々考えることがあるんだから。それに――」


 セレティアが意を決して話しだした内容を、アイネスは退屈そうに聞き、最後には呆れた顔を作った。


「そんなこと、どうでもいいじゃない」


「他人事だと思って……」


「あれは全部、ウォルス自身が解決しなければいけないことで、アンタには関係ないことよ。アンタは一国の王女であり、セレティアって名は誰もが知る傑物なの。堂々と胸を張ってアイツを支えてやればいいのよ。現状それができるのは、唯一、アンタ一人だってことがわかってる? フィーエルにだってできないことなのよ」


「……そんなこと言われても……アイネスもいるじゃない」


「何バカなこと言ってんのよ。アタシは割り切って付き合ってるけど、本当の記憶は持ってないんだから。今のアイツを支えてあげられるのは、同じ人であり、記憶を有しているアンタだけ。いい加減、特別なのを自覚しなさい」


「……わたしだけ、特別……」


 セレティアは予想だにしない答えに、思わず息を呑んだ。

 特別という言葉に込められた意味を考え、反芻するうちに、今のままでも力になれるという希望、嬉しい感情、様々なものがこみ上げてくる自分に気づいた。

 同時に、王女と護衛奴隷という立場自体が、既に瓦解し、新たな関係になりつつあることにも。


「だからアンタがしっかりしなきゃいけないの」


 アイネスの小さな手が、物理的・精神的、両面においてセレティアの背中を叩いて押した。


「わたしが精霊に励まされる日がくるなんて、夢にも思わなかったわ」


「何言ってるの、アンタとは結構長い付き合い……ああ、これも偽物の記憶だったわね――――でも、アンタの人間性までは変わってないはずだから、何も問題はないか」とアイネスは子供を見つめるような温かな瞳を、セレティアへと向ける。


「何よ」


「もうすぐこの国から、色々情報が出てくるわ。アイツが禁書で手がかりを得たからね」


「本当!?」


 セレティアはさっきまでの表情とは正反対の、迷いのない、希望を見いだした表情でアイネスを見つめる。


「アイツを誰だと思ってるの。アタシも認める、最強の魔法師なんだから当然よ。情報に対してアンタなりの見解を出すなり、アイツの意見に耳を傾けて同調するだけに留めておくなり、とにかく普段のアンタでいなさい」


「……そうね、わたしらしくないわよね。ウォルスならどうにかしてくれるでしょうし。以前から足を引っ張ってるんだから、今更よね」


「あら、急に吹っ切れたわね」


 見つめ合う二人は同時に噴き出し、暗く沈んでいた部屋が一気に明るい雰囲気に包まれた。




       ◆  ◇  ◆




 部屋から漏れてくる、セレティアとアイネスの談笑。

 禁書庫に向かう間は、鈍よりとした空気に支配されていたことを思うと、正反対の状況になっていることに、ほっと胸を撫で下ろす。


「ウォルス殿、そんなところで何をしておられるので?」


 両手にかなりの量の資料を持ったライザが、怪訝な表情で話しかけてきた。

 一番上に乗っているものに目を通す。


「アーリン女王に頼んでおいたものか。仕事が早いな」


「まさか、こんなものまで要求されるとは思ってもおりませんでした」


「それはお互いさまだろう。ここまで仕事が早いのなら、暗殺者の情報を、一部俺に渡していなかっただろう」


 ライザは両目を瞑り、一呼吸置く。

 焦りや動揺は見られない。

 気持ちを鎮めるように、ただ静かに呼吸を整える。


「それは当然です。ウォルス殿が望んだ情報は、我が国における最重要機密も含んでいるのですから」


「今度は期待していいわけだな」


「そうですね。ですが、これは禁書とは別の意味で、外部へ出すべきものではありません。周辺国との関係が崩れてしまうかもしれませんので」


「心配しなくとも、あくまで暗殺者との関連性について調べるだけだ」


「――――それを願うばかりです」


 ライザは資料を俺に手渡すと、軽く敬礼をしてからくるりと背を向ける。

 その背中からは、初めて出会った時の、団長としての風格が戻っているように思える。


「多少は腹を括ったようだな」


 誰もいなくなった廊下に、俺の独り言が誰に伝わるわけでもなく、ただ吸い込まれるようにして消えていった。

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