第177話 奴隷、無意識に脅す

 色欲竜と同じ名の女、リヒド。

 そして、その女と同行していた、かつて禁忌を犯した男と同じ名で呼ばれていた男、ヴィル。

 この二人は記憶を改竄されたこの世界において、なぜか俺の名を知っていた。

 記憶を改竄したと思われる怠惰竜イグナーウス、それと少なからず関係があるのかもしれないと思っていたが、どうやら、かなり中心に近い人物とみていいようだ。


 だが、ここまで証拠が出揃っても、ヴィル・ノックスという人物が、本当にあのヴィルという男と同一人物なのかと疑ってしまう自分がいる。

 あのヴィルという男が俺の前でやってのけたことと、禁書に載っていたことを考えると、あの男は不死なのではないかという仮説が立てられるのもまた事実。


 ――――不死ならば、間違いなく禁忌に触れるはずだ。


 ヴィル本人も正確には死んでいないと言っていたことからも、そもそも死ぬことができないとすれば、あの男の発言と禁忌との関係性も成立する。


「――――死ぬ直前に発動している呪いの類だとすれば、俺が発動を感知できないのも……」


「ちょっと、一人で勝手に悩むんじゃないわよ。少しは情報を共有しないさいっての」


 アイネスに耳を引っ張られ、現実に引き戻される。

 目の前では機嫌が悪いアイネスとは対照的、現状を理解できていない様子のアーリンがオロオロしていた。


「――――ああ、悪かったな。詳しいことは部屋に戻ってから話す」


 怠惰竜イグナーウスに繋がる情報は得た。

 居場所に繋がる直接的なものはなくとも、今回の記憶の改竄に、あのリヒドとヴィルという人物が何かしら関わっているのは確実となった。


「……あの、禁書について何がわかったのですか?」


 禁書を地下深くの禁書庫に保管し、クロリナ教へは決して渡すことのなかったピスタリア王国。

 その存在の意味すら失っていたであろうアーリンの目には、今の俺の姿は不可解なものとしか映っていないだろう。


「この禁書に書かれている男、ヴィル・ノックスは禁忌に触れた者だ。クロリナ教の枢機卿団なら、禁忌について知っている者がいても不思議ではない。今以上に、クロリナ教には気をつけることだ。万一見つかれば、思っている以上に深刻な事態に陥るだろう」


「……禁忌とは、いったい何なのです」


 アーリンの声が若干震えているのがわかる。

 若干の恐怖と、それ以上に女王として、知らなければいけないという使命感があるのだろう。

 答えてやってもいいが、俺が説明できるのはごく一部。

 それに、どこまで話していいものなのか……正直判断が難しい問題だ。


「アンタみたいな小娘は、禁忌のことなんて知らなくていいの! 知ったら最後、死ぬまで怯えて暮らすことになるわよ」


 大袈裟に、わざと怯えさせるような口調のアイネスが、アーリンの目の前まで飛んでゆく。

 言葉だけでなく、魔力をどんどん高めて追い詰める姿は、最早アーリンが言っていた悪い精霊そのものにしか見えない。


「国を治める者として、それでも聞かねばならないのでしょうが……ただ、それを子孫に受け継がせることになることを考えると、これ以上尋ねることは、私にはできそうもありません。ただ、禁書に書かれていることが真実なのだと、精霊の言葉をいただいたことだけを伝えるとしましょう」


 アーリンは顔を引きつらせながら、アイネスの望む答えを口にした。

 歯をカチカチと音を鳴らしていることから、恐怖を隠すことすら忘れているように見える。

 アーリンには、暗殺者であり、渦中の中心にいる、ヴィル・ノックスがやった他国での暗殺に関して聞かねばならないことが山程ある。

 この様子ならば、何を言っても断られそうにない。

 頼むなら今しかないだろう。


「今から話すことは、ピスタリア王国にとって重要なものだ。まず俺たちは、逃げた暗殺者を追うことになる」


「我が国としても、協力できることがあれば是非!」


「それはありがたい。ではまず、暗殺者を撃退したことについて、俺たちのことは口外しないでもらいたい」


「何故です? 名を広めるには、これ以上ない功績ではありませんか」


「追うのと同時に、暗殺者のターゲットでもある疫病神俺たちを入国させたくない、という国も出てくるだろう」


 さっきまで怯えていたアーリンは落ち着いた様子で、深く考え込みだした。


「……それだと、我が国がどうやって撃退したか、それを捏造することから始めなければいけませんね」


 恐怖で思考停止状態かと思ったが、どうやら頭はすこぶる回転しているらしい。


「撃退したことが広まれば、周辺国からの接触が増えることも予想される。当然捏造した情報では、そのうち綻びが生まれ、ピスタリア王国は窮地に立たされるだろう。撃退する力もなく、どうやって暗殺者からの手を逃れたのかと。実は暗殺者と通じていたのではないか、自作自演なのでは、なんて噂が立つかもしれない」


「それだけは何としてでも回避せねば、我が国の信用が失墜してしまいます」


「心配しなくとも、惜しみない協力さえもらえれば、失墜する前に必ず奴らを追い詰めてみせる」


「……惜しみない協力とは?」


「暗殺が実行された国の詳細、それとこのピスタリア王国との共通の文化。暗殺が起きてから今までの時系列と分布図、未だ何も起きていない国々との違いが知りたい。特に、民に知られてはマズいような裏の部分、そういう類いのものだ」


 こんな要求に首を縦に振る王など、通常ならいるはずがない。

 アイネスに震えていたアーリンならともかく、落ち着きを取り戻した今の状態では断られることも考慮し、次なる一手を考えておかなければいけない、などと考えていると、再び部屋に”カチカチ”という音が響きだした。


「わわ、わかりました。今すぐ用意しますから、少々時間を」


 アーリンは慌てた様子で扉へ向かって走りだし、乱れた髪を直しもせず部屋を出ていった。

 階段からは、カツカツというヒールが遠ざかる音が聞こえてくる。


「急にどうしたんだ……」


「何よ、とぼけちゃって。そんな怖い顔で迫られたら、アタシでも従っちゃうわよ。アンタもなかなかやるわね!」


 アイネスはケラケラ笑いながら、アーリンを追い立てるように出ていった。


 ――――そんな顔をした覚えはないんだが、手がかりを手に入れ、少々力が入りすぎたのかもしれないな。

 このまま突っ走ってしまわないよう、少し落ち着いたほうがいいか。

 禁書にもまだ取りこぼしている情報があるかもしれない。

 もう少し禁書を読み込んでから、ゆっくりここを出るとしよう。

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