第35話 ヘソが埋まった腹みたいな話だと思ってくれたらいい

「じゃあ、たとえば冬の朝の休日。ベランダで霧がかった湖畔を眺めながら、温かいアッサム・ティーを飲むの。ベッドには一歳半になる赤ん坊がいて、キラキラしたヨダレを垂らしているのよ。そういうのは、素敵でしょう?」

「まぁ……そうだな」

 私たちに子どもはいない。それから、できることもなかった。きっと、自分たちには必要なかったのだ。

 それでも、その風景が客観的に見て、『素敵』なのだということくらいはわかる。

「でもね、そこにあるのはイメージの皮の違いだけ」

「カワ?」

「皮よ。あたしたちを包む、皮」

 彼女は自らの腕の皮を摘まんだ。皮膚は柔らかく、どこまでも伸びていきそうだった。

「『かめあたま山』は内省的で自己愛的で偏執的、脱構築主義な作りをしているの。攻撃誘発性ヴァルネラビリティを持つ男が生み出した孤独が、入れ子構造になった、ウロボロス……」

「もういい。私はね、君がなにを好きだって構いやしないよ」

 彼女の言葉は脂肪まみれで、ヘソさえ見えやしない。

 あるいは、みのむしだ。私たちは自らを社会から守るために言葉によってみのを作る。

 だが、彼女はいきすぎだ。バスケットボール大になり、木からぶら下がることができないくらい膨れている。

 平易な言葉で喋ることの大切さを忘れた、おろかな詩人。

 有り体に言えばつまらないのだ。

 彼女の話は。


 彼女は、私を離してはくれなかった。

「ううん、ちゃんとわかってよ。面倒臭がらないで。聞き分けのいいふりしてるけど、わかるのよ、そういうのって。話を一方的投げられるのは、つらいわ」

 一方的、ね。

「湖畔での素敵な過ごし方は、無反省で因数分解的、牧歌的、パラダイムの完全肯定、あるいはヌーヴォーロマンへのアンチ・テーゼ……反小説への、さらに否定……。暴力と戦うための暴力と、静謐な調和ハルモニアのわかりやすいプロバガンダ、カリカチュアライズ……。でも、その二つの物語は『素敵』って言葉で括れるのよ。単位は同じなんだけど、貴方はその揃え方を知らないから混乱しているの。たとえば、一マイルは1609・344メートルでしょ。全部がその応用なのよ。それから……」

 そのあと、何を話していたかまったく覚えていない。

 きっとつまらなさすぎて、脳のヒューズが飛んでしまったのだ


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