02 うちの大好きな

 ただ棒立ちになったまま。

 の顔には、なんの表情も浮かんではいなかった。

 ただ目を見開いたまま。

 瞳と唇を、微かに震わせている。

 ハードカバーの日記を両手にしたまま、正面すぐの壁を定まらない焦点で見つめている。


 美夜子の頭の中は、完全に真っ白になっていた。

 なにを考えればよいのか、それどころか、これまでなにを考えていたのかすらも分からなくなっていた。


 ゴン、バタン、日記が机の上に落ちて閉じ、倒れた。


「ぼくも、知らなかった。……こ、こんなこと、所長から聞かされていない! ぼ、ぼくは、ぼくはずっと、ミヤちゃんが本当の……」


 のりまき青年は、はっとした顔で口を閉ざした。

 失言に気付いたのなら、閉ざすしかないだろう。

 所長の本当の娘だと思っていたのが複製クローンだったなんて、当人に面と向かっていえるはずがない。


 もちろん、日記の内容が真実か否かはまだなんの確証もないことだ。

 だが真実であるならば、ここまであった様々な出来事を完全に所長個人の胸に隠し切れる方が難しいというもの。

 つまりは、振り返れば典牧青年の胸にも所長の行動について思うところが多々あるのだろう。

 彼はすっかり青ざめた顔で、ブツブツ呟いてなんとか納得を探し自分を冷静に保とうとしている。


「あ、あの、で、でも、み、ミヤちゃん……」


 そんな冷静でいられない状態であっても、なんとか美夜子を慰めたいのだろう。でも言葉つっかえつっかえで、まったく意味のある言葉にはなっていなかった。


「そそ、そ、そんな複雑に考えるこっちゃないんや! ノリマキノリスケのボケサク! きっと、ほほ、ほら、あ、あ、あ、あれや、この日記、エイプリルフールに読ませたかったんとちゃうのかなあ」


 みやもとなえは典牧青年のもじゃもじゃ頭に手を掛けさらにもじゃもじゃもじゃもじゃ掻き回しながら、ガッチガチに強張った笑みを浮かべている。


「いやあ小取のおとんの嘘んこ日記、ページも厚くてこら力作やわあ。手書きやろ、乙やわあ」


 早口でそういうと、さらにはあははっと乾いて引きつった笑い声。

 だがその早苗の笑い声は、金切り声にも似た大きな叫びに掻き消されていた。


 美夜子が、頭を抱えて絶叫しているのだ。

 叫び、吠え、喚き、呪いの声を吐き出しているのだ。

 狂ったかのように、栗色の髪の毛を振り乱しているのだ。


「あ、あたしは……あたしは!」


 震える美夜子の声。

 あどけなく可愛らしいはずの顔は醜く歪み、目からはボロボロと涙がこぼれている。

 こぼれ、ぽたりぼたりと床に染みを作る。

 狂わなければ狂ってしまう、狂わないために狂う、それは生存本能として理にかなったものであるのかも知れないが、ただ自らを破壊、崩壊させているとしか見えない、そんな乱暴かつ残酷な光景でもあった。


 ただ、美夜子のその本能による自己破壊は続かなかった。

 美夜子の意思によるものではなく。


「なんてことあらへん!」


 早苗が、抱き着いていたのである。

 ぎゅうっと力一杯、震える美夜子の小柄な身体を抱き締めていたのである。


「身体ボロボロ死に掛けて機械にされた不幸な女の子が、めかまじょなんや! なのに今さら元がどうとか関係ないやろ! ほんまもんの娘やないとか、クローンやなんや、なんぼのもんや! 笑って飛ばせ、小取美夜子! ……うちにとっては、うちにとっては、お前がほんまもんの美夜子や。うちの……うちの大好きな、小取美夜子や!」

「早苗……ちゃん」


 狂い掛けていた美夜子は、自分を抱き締めて必死な言葉を乱れ打つ早苗の勢いに引き戻されて、ただ呆然となっていた。


 なおも言葉を吐き出し続ける早苗の気持ちが、じわじわと美夜子の心へと染み入って行く。


「あり、がとう、早苗ちゃ……」


 感極まった美夜子はお礼をいおうとしたがいえず、うくっとしゃくり上げてまた泣き顔に顔を歪める。

 だけど、泣き出すことは出来なかった。

 強く抱き着いているタレ目の少女の方こそが、感情を大爆発させてわんわん大泣きしてしまっていたのである。美夜子、美夜子、と初めて下の名のみを呼びながら早苗は、一番ショックを受けているはずの美夜子がぽかあんとしてしまうくらい激しい勢いで泣き続けていたのである。

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