04 足の指でピアノを
「お腹、すいたなあ……」
反省している。
バカなことをして、体力を浪費してしまったことに。
あの関西弁がすべて悪いとはいえ、乗ってしまったのは自分だ。
銭湯帰りに彼女をまいてから、一度も遭遇することなく帰宅出来たのは幸運であったが、それまでにもう疲れに疲れ切っており、すっかりお腹がすいてしまっていた。
部屋の中を漁れば、カップ麺がたぶんまだある。が、激安の時に買い込み過ぎて、さすがにちょっと飽きがきている。出来れば別の物が食べたい。
なんて不便な
普通の食事からしか燃料摂取が出来ないだなんて。
手足どころか内臓も全部機械だというのに。
普通の人と同じ物を同じように食べて味わえることは幸せだ。ありがたい。でも、ハイブリッドにしてくれてもよかったのではないか。
それならメンテナンスがてらエネルギー補給してもらうことだって出来るのに。それなら食費も浮くのに。
「宮本さんをバカに出来ないくらい、うちも貧乏だから贅沢はいえないけど……でも、出来たらなんか他の物を食べたいなあ」
とはいえ最近すっかり買い出しを怠けているから、他にはなんにもないはずだ。
仕方ない。買い物に、行ってこよかな。
「いや、今日はやめとこ」
外に出たら……いそうな気がするから。
我慢して、カップ麺にしますかあ。
「特売で大量買いしたはいいけど、せめて色んな味にすればよかったよね。カレーばっかり買っちゃって人生一番の失敗だあ。もうやだよカレーは」
ぶつぶついいながら、重い腰を上げて立ち上がった。
重いのは腰だけはないが。なんたって体重104キロである。
ぶつぶついいながら、ヤカンに水道水を入れてコンロの火にかける。
あえての作りであろうが、このアパートはこの通り設備が古風極まりないので、必然的に行動のことごとくがこのように古風になる。百三十年ほど前の、昭和の高度経済成長期ちょっと手前みたいな感じになる。
分かっててこの物件を選んだのであり、別に不満はないけど不便は不便だ。
さて、沸かしている間にちゃぶ台の足を立て部屋の真ん中に置き、そこでカップの蓋を開くとちょうどお湯が沸いた。
お湯を注いで、蓋に重しを置いて、待つこと三分。三分間待つのだぞ、とカレー味カップ麺の完成である。
十七時半、食事にはまだまだ早い時間だけど、今日の美夜子は気にしません。その分、早く寝てしまえばいいのだ。
あの極道みたいな喋り方の女子が、そこで聞き耳を立ててやしないだろうなあ、とちょっと気になって、四つん這いでこそーっと玄関へ。かちゃりそろーっとドアを開けて、誰もいないこと確認。ちゃぶ台の前へと、戻りはバタバタ素早く、そして正座すると両手を合わせた。
「では、いっただっきまあああす!」
味に飽きてきているのをごまかそうと、無駄に大きな声を張り上げた。
「カップ麺はカレーが大好き、と」
部屋の外に、制服姿の
美夜子はちゃぶ台におでこをガッコンぶつけ、ぶつけた瞬間ぎゃっと呻いて、びょいんとバネの如く上体起こすと、腹立たしげにちゃぶ台を叩いた。
「いい加減にしろお!」
ざざざざっと四足で妙に低く化け物みたく這い寄って、早苗の眼前へと羞恥と憤怒の混じった自分の顔をぐぐぐいーっと寄せに寄せた。
「酷いよお! 二階の窓からってさあ。常識がなさ過ぎる! プライバシーとかあ、人として最低限のことくらい守れえええ!」
「やかましいわ! 敵を前にして常識も非常識も非常食も乾パンも心躍るカレー味もあらへん」
「違うんだよう! 別にカレー味にテンション高まってるわけじゃなくて、むしろ飽きてるからテンションを、ってなんでこんな弁解しなきゃならないの! なに食べようとあたしの勝手でしょお! もう、出てけえ!」
突き飛ばして窓から地に落としてやろうと手の出掛かる美夜子であるが、だが、いままさに突き出されようとしていたその手は、宙ぶらりんのまま止まってしまっていた。
なんだか呆けたような、それにちょっぴりの意地と羞恥が混ざったような、なんとも複雑な表情でちゃぶ台の上のカップ麺を見ている宮本早苗の様子につい気を削がれてしまって。
なんだろうか。
味を想像しているのだろうか。この顔は。
満腹になった自分を想像しているのだろうか。この顔は。
などと考えているうち他人事ながらなんだか虚しく悲しくなってしまった美夜子は、力無く肩を落とすと鼻で小さなため息つきながらカップ麺を指差した。
「それ、あげる。食べてよ」
「ほんまか! お、お、お前、すす少しはええやつやな」
早苗は満面キラキラ輝かせ、高揚した小声を放ちつつ、窓枠に手を掛けよっこいしょ。
「靴のまま上がるなああ!」
「やかましいな。これでええやろ」
早苗は窓枠に腕を掛けながらも器用に靴を脱いで、部屋の反対側である玄関へとぶんぶん放り投げた。
あらためて窓枠ひらり飛び越え部屋の中、そのままちゃぶ台前にすとんと着地して、箸を持つ。
神憑り的に無駄のない動きだ。
「ほな遠慮なくいただきまあす!」
微塵の躊躇も見せることなく、早速と食べ始めた。
「テンション高まってるの、そっちじゃないかあ。……普通ちょっとくらいはさあ、遠慮がちな顔をするもんじゃないのかなあ」
「だあから遠慮なくって前置きしたやろ。んなもん気にしとったら堪能出来ひんやん。……空腹は最大の調味料とはよくいったもんやなあ。うち朝からぜーんぜん食べてなかったんや。めかまじょが餓えて死んだら、一体どんなニュースになんのやろ思ってたんやあ。こんな美貌で餓死やなんて、ありえへんよなあ」
一体いつ咀嚼嚥下しているのか、ひたすら食べ続けているはずなのにまったく声が止まることがない。
「行儀悪いな。黙って食べなよお」
「カレー味も、なかなかええもんやなあ。これまであまり食べたことなかったんやけど。でも豚肉がなんや本格的過ぎてミスマッチやなあ。やっぱ謎肉の頃のがよかったわあ。最近、見いへんよなあ。いっそ単品で売ればええのになあ」
「いつの時代の人間ですかあ?」
単品で売ってようと買うお金がないくせに、といってやりたかったけど黙っていた。口の中の物をぶほばほ飛ばしながら、反撃してきそうで。
さて、喋り続けつつも箸持つ手を休めず器用に完食した早苗は、食後のデザートよろしく人差し指でカップの内側についた汁を拭って、その指をしゃぶった。
「ごっそさんでしたあ! 美味しかったあ!」
両手を合わせ、軽く頭を下げた。
「満足したようで、なによりだ」
ちゃぶ台の反対側で美夜子は頬杖をついて、なげやりな顔を明後日の方へと向けている。
「あっ!」
早苗は、突然驚いた大声を出すと、肩をぶるっと震わせた。
美夜子を見る顔が、みるみるうちに赤くなる。
「て、敵は敵やで!」
立ち上がり美夜子を睨みつけると、玄関に置いた靴をそそくさと取って、だったらそのままそこから出て行けばいいのに、わざわざ引き返して部屋を突っ切って窓を開けて、くるり振り向き啖呵きる。
「夜道はせいぜい背中に気をつけることやな。月夜の明るい晩ばかりやないで。ほなっ」
再び窓の方へと向き直り、飛んだ。
いや、飛ぼうとして、窓枠に足を引っ掛けて、頭から庭へと落ちた。
ずっどおん爆音、地響き、ボロアパートがぐらぐら揺れた。
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