08 泣きたい逃げたいでもそれじゃ守れない!
「やめろおっ!」
栗色髪の小柄な少女、
美夜子が、自分の持っているバッグを投げ付けていたのだ。
ナイフを突き付けられた女の子を助けたいという明確な意思を持ってのものでなく、むしろ怖くて逃げたくてたまらなかったというのに、無意識に叫び、無意識に手が動いてしまったのだ。
生じた隙に、女の子は小太り眼鏡の押さえ付ける腕の中から抜け出して、素早く逃げ出した。
「こっちへ!」
美夜子が招くが、そうせずとも女の子の行動は変わらなかっただろう。
逃げやすそうな方向に立っているのが、美夜子だけだったからだ。
女の子は、美夜子の背中に隠れた。
「ガキャア!」
小太り眼鏡の怒声が上がる。
怒声を上げながら肥満した身体で美夜子たちへ駆け寄る。
すん、という音と風圧を感じた瞬間、美夜子は、腰を低く屈めていた。
ほとんど同時、コンマ何秒かの差で、頭上をナイフが水平に滑り、空気を焦がした。
無意識に身体が動いていなかったら、どうなっていたか。
栗色の髪の毛を焼き切られていたのは間違いなく、下手をすれば顔面だって溶かされていたかも知れない。
ただ、攻撃を無意識に避けたはいいが、女の子ともども壁に追い込まれてしまった。
「リコちゃん!」
母親が悲痛な叫び声を上げた。
現在、この路地裏には六人がいる。
壁に背中を付けて、美夜子と女の子。
その前には、ひったくり犯である小太り眼鏡の男が高熱ナイフを持って行く手を塞いでいる。
その背後には追ってきた二人の若者。近くにリコちゃんの母親、という構図である。
小太り眼鏡は、背後を気にして時折ナイフを振るって牽制しながらも、じりじりと美夜子たちへと距離を詰めていく。
詰めながら、にやりと笑う。
ひったくりすらも向いていない気の小さな者が、そうであるが故にこの状況にすっかり興奮してしまっているようでもあった。
狭い道であるというのに中型バイクが迷惑駐車されており、気付いた小太り眼鏡は車体に高熱ナイフの切っ先を当てた。
じゃ! という音と、金属の溶けるにおい。
ハンドルの先端が、バターを切るよりもたやすく切断されて落ち転がった。
「おい女! お前なあ、関係ないだろ! おれがかっぱらったバッグと、お前はああ、関係ないだろおおお!」
小太り眼鏡は高熱ナイフを両手で持ち、美夜子を威嚇しながら喚いた。
「な、ならっ、こ、このっ、この女の子だってっ、かか関係ないっ!」
理屈の理不尽さに、美夜子も金切り声で怒鳴り返していた。
「関係ないくせにおれの顔に物を投げ付けやがって! ふざけてやがんのかあ!」
脂肪で塞がっているのか、小太り眼鏡の耳に美夜子のいい分などまったく入っていないようであった。
「ひっ」
美夜子は、その威勢にたじろぎながらも、思っていた。
もしかしたら、ここで殺されてしまうのかな、と。
そんな冷静に考えていたわけではないが。
護身術なんか習っていないし、殴り合いの喧嘩なんかもしたことないし、頭は真っ白。恐怖に身体がすくむばかりだった。
どうすれば、いいのだろう。
ナイフで突き掛かられたら、どうすればいいんだ。
自分の身体はほとんどが機械ということだけど、どこが機械なのか生身なのかよく分からないし、どう身を庇えばいいのか分からない。
こないだ大理石のテーブルを叩き砕いてしまったように、腕力だけはあるみたいだけど、だから戦いに強いというわけでもないだろう。
そもそも身体が機械といっても、失った肉体機能を補うためのものであって、もしかしたら戦ったら普通の人間よりも遥かに弱いかも知れないじゃないか。
ましてや相手の持っているのは高熱ナイフ。金属をもたやすく切断するその威力は、いま見た通りだ。
意外とこの機械の身体は頑丈で、簡単には殺されないかも知れない。でもそれは希望的観測であり、いともたやすく殺されてしまってもそれは別に不思議ではない。
でも、でもっ……
だからといって、ここで殺されていたら、この女の子を守れない。
わたしが刺されたら、刺してしまったことで興奮して、逆上して、さらにこの子にも刃を向けるかも知れない。
さっきナイフの攻撃をかわせたように、この身体も鈍くはないみたいだから、わたし一人なら逃げられそうだ。
でもそうしたら、この女の子が……
どうしよう。
どうしよう……
「ミヤちゃん!」
焦る美夜子の人工鼓膜が捉えたのは、よく知った声だった。
知ってまだ一ヶ月も経っていないが、いま一番、聞きたかった声であったかも知れない。
顔を横へ向け、声のした方を見る。
美夜子の青ざめて強張った顔に、僅か安堵の色が浮かんでいた。
「ノリマキくん……」
声の主は
両手に書類ケースを提げていることから、ヒロインのピンチに駆け付けた白馬の王子様というわけでなく、駅への近道でたまたま通ったというだけなのだろう。
だけど、ただならぬ状況であると察した典牧三郎青年の、次の行動は素早かった。
右手のケースを手放して地面に落とすと、左手のケースを地に置きながら開いて、がさごそなにかを取り出した。
「これを使えっ!」
ぶんと腕を振って、なにかを投げた。
僅か数メートルの距離だが、それは放物線を描いて美夜子の両手の上にぽとり落ちた。
鍵だ。
銀色に鈍く輝く、家のドアや自動車用としてよく見る普通の鍵であった。
「なに……これは?」
ぽそり疑問の声を発する美夜子であるが、発した瞬間には理解していた。
何故だか理由は分からないけれど、この鍵の使い方を。
不意に右腕が重たくなり、右肩が引っ張られたかのようにがくりと下がった。
なにが起きたのか視線を落とすと、自分の右腕が真っ赤な金属で覆われていた。
いや、覆われたは正しくない表現だ。事故から奇跡の復活を遂げた現在、これこそが本来の、美夜子の腕であるのだから。
栗色髪の少女は、介護用ロボットアームに似た無骨な右腕を高く掲げ、ゆっくり下ろしながら左腕を交差させる。
左手に持っている鍵を、無骨な右腕にある鍵穴へと差し込むと、ガチャリひねった。
ブゥゥウン!
大型バイクをアクセル全開にしたような、凄まじい爆音が空気をつんざいた。
そして、美夜子は叫んだのである。
「精霊マジック発動!」
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