07 自分がおかしくて
「どうもお、はじめましてえ。
父の助手を名乗る男は、なんだか態度が軽かった。
副所長という肩書にしては、とても若く見える。
三十、少し手前であろうか。
銀縁の丸眼鏡、その奥には柔弱そうな現代っ子といった感じの瞳、あえてか怠惰かぼっさぼっさに爆発した寝癖頭。
身長は低くもないが、たくましさとは正反対。白衣の中身は運動したことないんじゃないかというくらいひょろひょろ貧弱そうで、背骨をつまめばポッキリ折れてしまいそう。
と、そんな青年が
ここは
先ほどまで美夜子がいた計器だらけの部屋と、同じフロアだ。
典牧三郎助手は、美夜子に座るよう促すと自分も腰を下ろした。
大理石のテーブルを挟んで、二人は向き合う。
「いやあ、大変だったよね」
軽い口調に、美夜子はついじろりと睨んでしまう。
視線を受けて初めて自分の態度に気が付いたか、典牧青年は突然顔を真っ赤にして、あたふたうろたえ始めた。
「あ、あ、ごめん。……嫌なこと、受け入れたくないこと、たくさん聞かされただろう。だからっ、ふ、不謹慎かなとは思ったけれど、でも辛い時こそ元気を出さなきゃ、出させなきゃ、って思ってっ。ごめん、ぼくそういうの慣れてなくて、失礼過ぎたね。本当にごめん!」
大理石にごっちんしそうなくらい、白衣の彼は深々と頭を下げた。ごっちんしても爆発頭がクッションになって、さしたるダメージは受けなさそうでもあるが。
「いいよ、気にしてないから」
気にしていなくもなく、だから睨んでしまったわけだが、ここまで平身低頭謝られて文句もいえない。
真面目なんだな。と、ちょっとだけこの青年を見直した。
だけど、それはそれだ。
「で、なんの話?」
美夜子は、また不機嫌そうな顔に戻り、話を促した。
まだ、彼からなんの話をされるのか美夜子は知らない。
目を覚ました先ほどの部屋でブロンド髪の外国人女性と話をしていたら、いきなりこの青年がやってきて「今度はボクといいかな」と、ここまで連れてこられて、まだそれ以上の進展はない。
「うん。きみの、お父さんのことなんだ」
典牧青年は、いちいち頭を掻きながら喋る。
大爆発の頭の中に手を突っ込んでいるわけで、なにか物探しゲームでもしているかのようだ。
「お父、さん? あたしの」
「そうだ。イリーナ……さっき、きみといた外国人の女の人、ここに莫大な援助をしてくれている財団の女性なんだけど、彼女から、きみがどうして助かったのかは聞かされただろう?」
問われて美夜子は小さく頷いた。
飛行機墜落事故で生死の境を彷徨っていた美夜子は、肉体のほとんどを機械に置き換える手術を受けて一命を取り留めた。
その手術を施したのは、この研究所の所長である
と、イリーナという外国人女性からは聞かされている。日本人以上に達者な日本語で。
「墜落事故の犠牲者の中にきみがいることを知ったお父さんがね、わたしなら助けられるかも知れない、って急いで病院からここに搬送させたんだよね」
「それ伝えて、どうするつもり? 感謝しろ、愛情を感じろ、ってこと? これまでのこと帳消しだ、って」
「そんなんじゃない。博士はそんな人じゃないよ」
典牧青年は口を尖らせるが、その尖らせた口をすぐ閉ざしてしまい、美夜子もなにもいわなかったので、場に静寂が落ちた。
しんと静かになった通路を、一人、二人、職員たちが通り過ぎて行く。
やがて、また典牧青年が口を開いた。
「会ってみたい? お父さんに。上のフロアにいるはずだから、いつでも会えるよ」
そういわれた美夜子は、ちょっと難しい顔になった。
父の顔を脳裏に思い浮かべようとしているのだが、まったく思い出せない。
幼少の頃の、おぼろげな記憶はあるのだが、それが笑った顔なのか怒った顔なのか、そもそも顔の記憶なのかすらも分からない。情景や感情の記憶が、勝手に表情を作り出しているだけかも知れない。
まだ幼い頃に別れてそれきりで、母親が写真を一枚も残していなかったからだ。
イリーナという先ほどの女性や、このノリマキだかカッパ巻きだかいう青年のいうことが事実ならば、一週間前に施された機械化手術の際に会っていることになるが、当然ながら美夜子にその意識はない。
つまりは、父の記憶などまったくない。
母親の態度からの募る気持ち、それに今回の墜落事故から始まる一連が、文書を読むかの如く脳内に積み上がっただけである。
「ちょっと考えさせて」
いってはみるものの、でも、と美夜子は思う。
考えるもなにも、なんかおかしくないか。
生死の境から復活し目覚めた娘に、真っ先に会いにくるのが親じゃないのか。
普通は、そっちから来るものじゃないのか。
わたしの生命を助けるためとはいえ、実の娘をこんな身体にしてしまったという、後ろめたさのためだろうか。
しかもというか、そもそもというべきか、何故わたしたち母娘が東京行きの飛行機になんか乗ったかというと、それはお父さんに会うためだったのだから。
それとも、事故や機械の身体は関係なくて、ずうっと母と娘だけにしてしまっていた後ろめたさのためであるとか。
分からない。
どうでもいい。
どうでもいいけど、ずるいとは思う。
選択権をこちらにだけ委ねるなんて。
しかもそれすらも弟子にいわせて、所長だかなんだか知らないけど自分はどこかでふんぞり返っているんだから。
そっちから、会いにくるべきだろう。
なにを置いても、そっちから会いにくるべきだろう。
本当の、血の繋がった父親だというのなら。
……わたし、ちょっと意地になっているなあ。
そう思った瞬間、ぷっと笑いが漏れていた。
意地になるだなんて非合理的なこと、やっぱり自分は機械の身体なんかじゃないんだ。
ということは、ここのみんなで嘘を付いているんだ。
嘘付く理由は分からないけど、事故でわたしの頭がおかしくなっていないかを確かめているとか。
すっかり騙されていたよ。
なんのドッキリだ、これは。
なにが機械の身体だよ。
バカバカしい。
飛行機事故なんてのも、きっと大嘘だ。
決まってる。
美夜子はいきなり、腹を抱えてあははは大笑いを始めた。
すっかり騙され信じていた自分がおかしくて。
おかしくて。
「美夜子ちゃん……」
典牧青年が立ち上がって、なんだか様子のおかしくなっている美夜子へと心配そうに手を伸ばす。
あはははうふふふ大笑いしていた美夜子であるが、手を差し伸べられた瞬間、不機嫌そうに顔をしかませて、だんとテーブルに拳を叩き付けた。
ぶ厚い大理石のテーブルにピシリと亀裂が走り、真っ二つに割れた。
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