10 時を戻せれば……
そよそよと心地よい夜風に頬を撫でられながら、遠くを囲む高層ビル群の無数の窓が作り出す
眠ろうと布団を敷いてタオルケットをかぶったはいいが、どうにも睡魔がやってこず。ならばモヤモヤした気持ちをせめて少しでも夜気に流せぬものかと思い、こうしている。
「ぼーっとしてて、風邪引くなよー」
下からの声に視線を落とすと庭に初老の男性、この「しのげ荘」の大家さんである。
大工道具と板切れを、小脇に抱えている。
先ほどまでトンカン打ち付ける音がしていたので、建物の修復でもやっていたのだろう。
「気遣いありがとう。もう寝ますから」
愛想で微笑みを浮かべつつ、思う。
大家さんは、自分が風邪を引くような肉体というか機体というか、ではないことを知っているはずなんだけどなあ、と。
いつも、昨日は凄い活躍だったねえ、とか、超変身なんかもあるのかあ、などとめかまじょについてわくわく楽しげに聞いてくるくらいなのだから。
まあ、風邪引くなよ以外にかける言葉がないくらい、わたしがぼけっとしていたということか。
「どうしました?」
まだなにかあるのか、大家さんがこちらをじーっと見上げている。
「いやあ、なんかな、そんな感じに外を見てるあんたを見てると、いかがわしい職の女が風に当たりながら酒飲んでるみたいに見えるなあ、って」
わははは笑いながら、大家さんは庭の隅にある物置の方へと去っていった。
「はあああ?」
なんだよお、いかがわしい女って。
失礼にもほどがあるだろ。
花の女子高生だぞ、わたしは。機械の身体であるとはいえ。
「まあ、いいや、どうでも。機械でも。いかがわしくとも。ふーんだ」
などとぼそぼそ呟いているうち、遠目に見えていた大家さんも家の中に入ったようで、美夜子はまた部屋の中ではあるが夜風に一人。
視線を夜景へと戻した。
街の灯りを受けて、広がる紺色の空。その遥か遥か下にはビルが立ち並び、真っ黒なシルエットが高さを競い合っている。
ビルの窓から漏れる無数の灯りが、きらりきらり銀河の星の如く輝いている。
電灯だけでなく、この地球は空気そのものが銀河のきらめきだ。
といっても、これは普通の人間には見えないものだが。
精霊等のエネルギー体を捉えるセンサーがあるから、美夜子には見えるのだ。
霊的大気。
だけど存在そのものや、効果のいくつかは実証されている。
解明されておらずとも、少しずつ実世界において応用され、実用化されてもいる。
例えば、精霊に対して情報を伝達することなどに。
人間が空気の震えを鼓膜で受けて音として認識するように、精霊は霊的大気で情報のやりとりをするのである。
そうして情報を伝え、精霊を制御するのだ。
精霊、といっても人間の言語を用いた便宜上の表現であり、こちらも精霊大気同様にまだよく分かっていないものであるが。意思あるものか単なるエネルギーか、それすらも。
霊的大気は太古の昔から自然に存在するものであるが、生身の人体では扱うどころか感じることすらも出来ない。
肉体がそう出来ていないのだから仕方ない。
雷や炎の存在を知っていても、自分の肉体で作り出せないのと同じだ。
繰り返すが、近代の科学発達により、ようやく発見されて分からぬまま利用されている段階だ。
なお、便宜上の表現である精霊の、実証はされているその力を利用して事をなす技術を、これまた便宜上「魔法」と呼んでいる。
理論がまるで解明されていないというのに応用され現実に使われているのだから、まあ魔法と呼んでおかしくもないのだろう。
先日、美夜子は凶悪犯の乗る武装ゼログラと戦った。
浮遊重機であるゼログラが浮遊する原理、これもまた魔法だ。
魔法で何故重力が軽減されるのかは分かっていない。だが、霊的大気に特定の波長を与えると対応した精霊が反応し、軽減されるということは分かっている。理論が分からないまま、応用したものである。
生身で感じることが出来ずとも、このように認識し制御する技術はあるわけで、精度や応用の知恵など少しずつ発展を遂げていくのだろう。要は他の科学と同じだ。
精霊魔法で出来ることは現在のところ、通常の科学を補強、補間する程度。これまでになかった物理制御の概念が生まれたわけではない。
だがいずれは、神を呼んだり、瞬間移動をしたり、死者を生き返らせたり、これまでの概念を完全に覆す、そんなことが出来るようになるのだろうか。
時を戻したり、とか……
「出来ると、いいな」
遠く夜景を見ながら、美夜子はぼそり呟く。
そうなれば、こうなる前に戻れるのにな。
楽しかった毎日に戻れるのにな。
お母さんと二人きり、転々とする日々だったけど……
自分も、他人も、運命も、すべてを愛することの出来た、幸せだった頃、幸せな自分に。
お父さんのことも、お母さんが好きになった人なんだからきっと素敵な人なんだ、と素直に愛することが出来たんじゃないか。
戻りたいな。
身体は、もう仕方ない、現在の機械のままでもいいけれど、気持ちを、心を、あの頃に巻き戻したいな。
出来たら、いいのにな。
せっかく、この世には精霊や魔法があるのだから。
勿体ないなあ。
どこからか、すすり泣く声が聞こえている。
壁が薄いからなあ。
誰だよ。
……と思ったら自分だった。
自分が、いつの間にか水っぽい鼻水出して泣いていたのである。
ず、と鼻をすする。
気管系は全部機械のはずなのに、なんで鼻水が出るんだよ! 心に文句いいながら、腕を伸ばして床のティッシュ一枚取って鼻をかむ。
「どうせ機械の身体にするんならさ、こんなことで悩まないように作ってくれればよかったのにさ。そうだよ、身体よりも脳をロボットみたくしてくれれば良かったんだ。ンを取るだけでいいのにさ」
メンタルをメタルにしてくれなかった研究所に恨み節を呟きながら、美夜子は抱えた膝に顔を埋めると、なおも泣き続けた。
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