第44話 ファミレス

 仕事を休んで病院に来た。

 青いセーターは着てこなかった。2日連続にはちょっと目立つ色だ。


 昨夜はほとんど眠れなかった。だから出勤してもまともに頭が働く気がしなかった。

 気が付いたら職場に休みの連絡を入れていた。俺はとにかく病院に向かうしか無かったのだ。

 病院に着くと、受付の人に面会は午後からと言われた。



 何やってんだ、俺。



 病院の近くのファミレスに入る。とりあえず座りたかった。気持ちの整理がしたかった。

 ドリンクバーだけ頼んでコーヒーを飲む。一口飲んだ瞬間、ちょっと胃がキリっと痛んだ気がして慌ててミルクを取りに行く。

 ブラックに、ポーションミルクを四つ入れて飲み直す。変な味。今まで飲んだことのない。でも苦手ではない、飲める味。原田さんに会いたい。


 面会は午後二時から。まだ五時間近くある。


 俺の、はやる気持ち。

 それに反し、そんな気持ちを抑えようとする何かの力。

 急に強く自覚した想い。

 兄貴でもなく、兄貴に似た隣人でもなく。

 ねえ、あなたといると自然体でいられるんだ。どんな自分も、受け止めてもらえる気がして。

 自分でも変だと思ってる自分のこと、「何が変なの?」って、言ってくれる気がするんだ。思いもよらない言葉で、受け止めてくれる。最初に声をかけられて、少し不安な気持ちでついて行ったあの日から、あなたといる時は気を遣わなくて良い。つい本当のことを言う。自分を隠さなくて良い。

 弟みたいに思ってるんだろう。でも、だったら、どうしてセーターをくれたんだ。なんとも思ってなかったけど、有子さんに質問されて、勝手に意味深な気持ちになっている。

 『かわいい』って何回か言っただろ。そこに少しでも恋愛感情を期待する自分がいる。

 いや、多くを望んじゃいけない。分かってる。昨日口を滑らせてしまったけれど、気にせず、これからも会って欲しい。

 軽口を。

 俺に意味のない会話を。

 意味のない、大切な時間を。


 目の前の景色が不意に滲む。


 理由はよく分からないけど、多分大切なものって、思い出すだけで感情が揺さぶられる。





「どうも」

 突然小さな声がして顔をあげると、テーブルのそばに女の人が立っていた。

「泣いてるの?」

 そう言われて、普通に泣いている自分を自覚した。

「小さい子みたいに見えるわね」

 有子さんは、手にしたハンカチで俺の涙を拭いた。あまりよく知らない人にそんなことをされて、普通なら驚いたり嫌な気持ちになりそうなものだが、何故だか俺はその時その状況を受け入れた。

「座っても良い?」

 そう言うと、有子さんは俺の返事を待たずに目の前の席に座った。

「会いに来るには早くない?」

「面会の時間、知らなくて」

「そうだったの」

 お互いに主語なく理解が進む。お店の人が来て、有子さんもドリンクバーを頼んだ。

「ちょっと失礼」

 そう言って席を外し、コーヒーカップを持って戻ってきた。ずっと前から知り合いのようだ。今までもこのように振る舞っていたような。

 俺は有子さんを、なんか変な人だなと思い始めた。

「…あなたは…」

「高橋でいいわよ」

 高橋さんっていうんだ。

「…高橋さんは今日は」

「今日はお見舞いじゃなくて、たまたま、この横を通ったの。そしたらお店の中であなたが泣いていたから」


 泣いていませんって言ったら、高橋さんは俺の涙を拭いたハンカチを見せた。

「すみません」

「思い出した?」

「はい」

 反論できないことを思い出しました。

「素直なのね」

 いいえ。

「泣いていたから、来たんですか」

「うん。多分」

「多分って」

「泣いていると思って、気が付いたらここに立っていた」

「なんか、すみません」

「いいえ、私の勝手だから」

 高橋さんはコーヒーを一口飲んだ。

「でも、もう泣いてないみたいだから、これを飲んだらここを出るわ。お邪魔しました」

「いえ、そんな。ゆっくりしてください。俺こそ帰ります」

「帰るの?」

「面会までまだ時間があるので、一旦帰ろうかと」

「そう」

 小さく頷いて、続けて彼女は言った。

「好きなの?」

 俺の返事は簡単だった。

「はい」

「そう」

 高橋さんは驚きもしない。

「良かったわ」

「良かった?」

「うん。多分」

「それはどういう」

 俺の恋心がこの世の中に、プラスに働くことなんて無い。

 今まで一度だって無い。

「あのセーターを買った時、一緒にいたの」

「……」

 一緒に買い物に行く仲だったと知って羨ましく息が苦しくなる。

「そう…ですか」

 言葉に詰まった。高橋さんは、そんなこちらの様子も気にしない。

「私の買い物に付き合ってもらっていた時、一人で見つけて、買っていた。好きな色のセーターだけど、自分には似合わない、いつかこれが似合う人に出会うはずだから、プレゼントすると言っていた。おとぎ話みたいね、ガラスの靴か何かのつもり?って訊いたら、違うよ、ガラスの靴は落とし物でしょって言って笑ってた」

 ガラスの靴をただの落とし物扱いする原田さんの様子が目に浮かぶ。

「でもあのセーター、男物でしょ」

 原田さんは女性が好きなのでは。

「ユニセックスよ」

 ……。


 それは、どちらでも大丈夫ってこと?

 本当に?


 そんな気持ちで高橋さんに首をかしげてみせると、彼女は「本人に訊いて」と言った。やっぱり脳内を読まれている。

 どちらでも大丈夫ですか?って、そんなの、訊けないけどさ。




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自分でも変だと思うんだ 吉野 戯 @rk5

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