5.計画変更、或いは台無し


 女二人が手を組めば、立場の弱い男などは早々に居場所が無くなってしまう。出された茶は残さず飲んで、女二人が話に興じている間に早々に孤児院を後にした。

 本当に今日あの二人が酒場に来るのならば、無理矢理時間を合わせて相手をせずとも良いだろう。気の合う二人がたまの夜遊びをするだけだ、それでいいじゃないか、と。

 アルカネットの懸念は、これでひとつ消えたわけだ。後のことは知らん、自己責任だ、とやや捨て鉢に諸手を挙げる。

 結局、計画は酒場を出る時となにひとつ変わっていない。なのにアルカネットが酒場に戻る足取りは僅かに軽い。余計な仕事が増えないだけ楽だった。

 少しずつ日が傾く時間、酒場に帰りついて正面入り口から扉を開けると、来客を知らせる鐘が鳴る。まだ開店時間でもないから、その鐘はあまり意味を齎さないけれど。


「あ!! あるかねっとおにーちゃん!!」

「おにーちゃんだ!!」


 中に入ったばかりだというのに、軽く弾むような高い女児の声が聞こえる。素直に名前を全部呼んでくれるところが孤児院の子供達と違う。

 アルカネットが手を離した扉が閉まるよりも早く、孤児院と同じように子供達が群がって来る。急にぎゅむぎゅむと抱き着いてくるのも、まだ小さい子供達となれば全然痛くない。それも二人だけとなれば、愛らしさの方が勝つ。アルカネットの背中で、閉まった扉が鐘の音を再び鳴らした。


「おかえりおにーちゃん!!」

「おにーちゃんおかえり!!」

「ああ、ただいま」

「きょうねぇ、そるびっととあそんだんだよ!!」

「ふゅんふせんせえともあそんだんだ!!」


 お兄ちゃんと呼ばれて悪い気はしない。似通った銀色を髪に宿す双子は、親に似ず庇護欲をそそる。

 二人は外出から無事に帰って来たばかりらしく、着ている服は余所行きのまま。形は多少違えど色を揃えた外出用の衣服は、二人の愛らしさを更に強調していた。


「ほらほら二人とも、お兄ちゃんが動けないよ。退いてあげて」


 双子との僅かな戯れの時間だった。それが、母親の声によって終わりを告げる。

 えー、と不満を声にしながらも離れるのは躾が行き届いているからか。それとも本人達の資質か。

 しょんぼりと表情を曇らせる双子だが、それは次の瞬間笑顔に変わる。


「……ウィスタリア、コバルト。風呂の用意が出来た」


 奥の、店主一家の部屋がある廊下から姿を現したのは、店主の夫である男だ。白銀色の髪を結んだ、背の高い細身の男。

 風呂に入れ、と同意語の言葉を聞くや否や、光り輝くような笑顔で双子は喜色に染まる声を出しながら走っていく。


「ぱぱー!! ぱぱとおふろぉー!!」

「ぱぱぁー! おふろはいるぅー!!」

「共には入らぬ。頭と体だけ洗ってやろう」

「「わーい!!」」

「……」


 去る三人の姿を視線で追うアルカネット。騒がしいのは一瞬で、去るのも一瞬だ。まるで春の嵐のような双子だが、この酒場で暮らす者には馴れた光景。

 春に嵐が吹き荒れるなら、散る花びらもあるだろう。しかしこの場所は屋内の酒場で、残されたのは店主とアルカネットのみ。


「……ふいー」


 散らない花が、いるだけだ。


「今日は二人とも楽しかったらしくてな。帰ってからずっとあの調子だ。急に囲まれて驚かせちまったか?」


 疲れを隠さない息を吐いた後に、女がアルカネットを気遣う。

 花は、その華麗な外見と反して粗野な女だ。この五番街一の美人と謳われる美貌を誇るのに、内面で台無しにしている。

 口は悪く酒が好きで、子煩悩で旦那馬鹿の色ボケ。さらりと靡く銀髪は手入れも甘く、括ったりする方が珍しい。自分の子供達である双子に向ける口調と、アルカネットに向ける口調の落差が酷い。

 双子が居なくなった辺りから、空気が途端に重くなる。重力さえ支配しているかのような女の視線が、アルカネットの瞳に向けられた。


「別に、あんなの、孤児院の奴等と比べたらなんてことない」

「そう、安心したよ。もう疲れさせちまったら、今晩の『お仕事』も失敗するかも知れねぇしな!」


 自身の言葉に付け足すようにからっと笑う、その声が不快だ。顔だってそうだ。

 その顔がお前のものじゃなかったら、きっとシスターにだって好感を抱いたかも知れないのに。


「……仕事と私生活は別物だろ。子供がすることで疲れる俺じゃない」


 体力には自信があるアルカネットが、負けず嫌いな様子で店主に対抗する。

 肩を竦めた店主は、微笑を浮かべながらアルカネットの様子を探る。


「まぁ、そうだな。別に良いんだよ、疲れてても。そんなにお前に無理させるつもりも無いし」

「………」


 その言葉は、侮られているのか気遣われているのか判断しかねる。

 血も涙も無い女ではない事を知っている。だからこそ、この女が苦手だ。


「でも、今日は一番お前さんに期待してんだよアルカネット。一ヶ月振りの重大な用件があるだろ?」

「………」


 店主の女、アルギンは唇を弧に歪める。

 その顔が、嫌いだ。


「ずっと待ってたんだよ、アタシ。今日帰って来たら、お前さん出掛けていったって聞いたからさ。だからアタシ、お前さんの事を色々指折り数えながら待ってたんだ。ついにこの日が来るってな」

「……」

「ほら」


 女が差し出すのは――両の掌。


「御家賃ちょーだい」

「………………」

「一ヶ月分の部屋代と掛かった食費。金貨二枚と銀貨八枚と銅貨九枚だけど端数切って金三でいいよ。アタシって優しい」

「値切られてないじゃないか!!」

「出す金は少ない方がいいだろ」

「数こそ少ないが価値は端折った方が上だな!?」

「けちぃー」

「守銭奴のお前が言うか!? 俺はケチじゃないしお前はぼったくりって言うんだよ!!」


 このやり取りも、何回目か分かったものではない。

 すっとぼけた顔をする店主――アルギンは、恨めし気な視線を向けて来るが知った事ではない。

 アルギンの発言がただの冗談であることはアルカネットも知っている。しかし、毎度似たような会話が繰り返されてそれに付き合う羽目になると軽くあしらっても居られないもので。


「ぼったくりでもいいですぅー。金は命の対価ですぅー。無くなったら死んじゃいますぅー」

「……全く、お前みたいなのがどうして……。……ほらよ」

「わぁ」


 アルギンの手に乗せられたのは、しぶしぶと言った雰囲気でアルカネットが渡す金貨三枚。しっかり握り込んだアルギンは、まるで先程の双子のようなキラキラとした視線を向けた。


「ありがとうアルカネット。お前さん、やっぱりいい奴だな?」

「今日、俺の知り合いが酒飲みに来る。その予約と注文の代金だ。無条件で渡す訳じゃない」

「予約?」


 その言葉が出た瞬間、二人の間にピリッとした空気が流れて沈黙が漂う。

 理由の分からない沈黙は、忙しなく四度五度と瞬きを繰り返す彼女の瞼が開いた後に霧散した。


「マジで? 何処の? 席どこにする? 料理は何が良い?」

「席はカウンター。なるべく誰もちょっかい出せないような場所がいい。女が二人だ」

「女? ……ちょっとアルカネット、お前二股掛けてんじゃねぇだろうな。止めてくれよ酒場で痴情の縺れとか」

「んな訳あるか。俺の妹とその同僚だ」

「妹、……あー」


 その一言で、アルギンも合点が行ったようだ。成程、と独り言ちに呟いてから金をカウンター奥に仕舞う。

 アルカネットからも、他の人物からも、孤児院に勤める妹が居るのを聞いていたから知っている。実物を見るのは初めてになるかも知れない。


「妹って、まだ若かったよな。酒飲める年か? ってかシスターなんじゃねえの。良いのか」

「飲んだ事はあるだろうが、あんまり薦めるなよ。……もう一人来るシスターは酒好きらしいがな」

「へええ?」


 アルギンは早速カウンターの中に入って、壁面に並ぶ酒の検分をし始めた。婦女子に勧められる甘い酒の類は数少ないから、どれがいいかと迷っている様子だ。


「『私は神の与え賜うた世界の全てを愛しています』だとよ」

「っはは、なんだそれ。いい詭弁じゃんか。そういう奴アタシ好きだよ。話が盛り上がりそうだ」

「……だと思うよ」


 小声で同調したアルカネット。実物はまだ無くても、二人が酒場でカウンターを挟んで酒の話で盛り上がる所が見えるようだ。

 話を吹っ掛けるアルギンと、それに乗るシスター・ミュゼ。初対面が今日である筈が、昔からの馴染みのように話が盛り上がる二人の姿。

 他人の目から見ても、まるで『似ている』と思わせる程に。


「……? 何か言った?」

「いや、別に」


 本当は『別に』で済ませていい話では無かった。

 シスター・ミュゼが、店主であるアルギンに外見が似ている――などと。

 他人の空似というだけの話で、アルギンの興味が引かれる姿をこれ以上体感したくない。


「んー……。苺や葡萄、桃の果実酒はあるがなぁ。そのお嬢さん達、何が好きだろう」

「適当で良いだろ。特に俺の妹なんか、酒の味もまだ分からないだろうしな」

「本当? じゃあ味より軽めの向きで考えてみるか。果物はまだあったし、あんまり深酒させないようにすれば……」


 酒の話に本気になったアルギンは、こうなっては人の話を聞かなくなる。酒瓶を幾らか見繕ったその視線が、そろそろ『仕事』の為に部屋に戻るかと移動しようとしたアルカネットの影をその場に縫い付けた。


「ああ、アルカネット」

「……何だよ」

「今日の『仕事』な、また後日にしてくれねぇか」

「は?」


 言われた言葉が一瞬理解出来なかった。組んだ今日の予定を崩壊させるような言葉だったから。

 しかし、アルギンは笑顔を向ける。酒瓶を持って、アルカネットに向かって。


「今日は、お前さんの御姫様達がご来店だろ? 美味しい酒と美味しい料理、それから共通の話題がある話し相手が酒の場には必要だ。持て成しは最大限にしねぇとなぁ?」

「持て成しって……。お前、俺に接客でもさせるつもりか!?」

「いいじゃねえか。知り合いが一緒に居る場所で飲む酒って、安心感あって良いモンだぞ。……それとも、何か?」


 アルギンが再び向ける笑顔は、アルカネットを挑発するもの。


「『お仕事』の日付、勝手に変えられちゃ困るってか? まぁ、アルカネットは繊細さんなんでちゅねぇー」

「……な訳あるか! 馬鹿!!」


 こうして、アルカネットは即座に敗北した。

 女というものにとことん弄ばれる運命に生まれ付いたアルカネットは、勝利の微笑を浮かべるアルギンを無視して二階に自室へ向けて歩き出す。また負けた、などとは思いたくない。

 彼自身、女難の相に気付いていないのだ。

 

 

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