4.二人だけでも姦しい
やや暗い孤児院の中に通されて廊下を進む兄妹。
窓も少なく灯りを余分に点す事も出来ないから、気分の沈むような雰囲気だ。
昔は国の貴族が慈善事業として運営していたのだが、戦争による費用捻出が難しくなって運営から手を引いた。それでも孤児がいなくなる訳ではなく、寧ろ戦争のせいで増えてしまう。なんとか生活を繋ぐには、孤児院の努力もそうだが寄付が無くては子供達が餓えてしまう。アルカネットは今は援助する側に回って、感謝と尊敬の念をその身に受けているのだ。
「今日は、お前だけなのか?」
「そんな訳無いじゃない。今は小さい子達はお昼寝の時間だから、そっち行ったり洗濯当番だったりしてるよ」
自分の居た頃とは少々生活様式も変わって来た孤児院。小さい子に混ざって無理矢理寝かしつけられた時もあった。その間のシスター達は金策に励んだり小さな畑へ農作業に向かったりと、子供ながらに守られていたことを覚えている。
そんなシスター達を見れば、妹が金に煩い女に育つのも無理のない話で。
「今日は繕い物の当番だったんだけど、シスター・ミュゼが代わってくれたんだ。アリィも知ってるよね、シスター・ミュゼ」
その名が妹の口から出て来た瞬間、アルカネットの眉が寄った。
模範的なシスターである人物の名だが、苦手だった。
「……ああ」
「あれ」
兄の様子が変わったのに気付かない妹ではない。
彼女は模範的だが特別厳しい訳では無い。特にアルカネットのように寄付をくれる人物には殊更丁寧に応対する。外見だって若く美しいし、嫌う要素があまり見つからない女性だ。
これが色めき立つような雰囲気で有れば、フェヌグリークだって茶化したかもしれない。でもアルカネットの顔は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。
「どうしたの、アリィ? ……もしかして、何かあった?」
「いや。……シスター・ミュゼとは、何も無い」
「『とは』? シスター・ミュゼ『とは』って、どういう意味?」
妹が深堀りして来るのが面倒で、羽虫の時と同じように手で追い払う仕草を見せる。
一瞬むっとした顔をしたフェヌグリークも、追及されたくない様子を見れば「ああそうですか」とだけ言って不機嫌そうに道の先を見た。
そう、シスターだって、フェヌグリークだって悪くない話だ。悪いのは、アルカネットだけ。
「それじゃ、私はお茶淹れて来るからいつもの所で待ってて。御茶請けも何か探して来る」
「菓子無いって聞いてるし、別にいいぞ」
兄妹はそれぞれ向かう方向を変えた。フェヌグリークは炊事場、アルカネットは応接室。
今にも床の抜けそうな、たわんだ廊下を抜けると応接室だ。寄付金で順繰りに改修していると聞くが、これでは完全に改修が終わる前にまた別の場所が悪くなりそうだ。
かといって、新しい建物を用意する金は何処にも無い。今から開く応接室の扉だって、金具が錆びて音を立てているというのに。
「あら」
……金具の軋む音とは別に、声が聞こえた。
扉は既に開けてしまったから、閉め直して戻るなんて出来ない。
観念して中に入る。案の定、中の朽ちかけたソファに座っている金髪の女性と目が合った。
「お久し振りです、アルカネット様。こんな格好で申し訳ありませんわ」
「……いい。作業中だろ、座ってろシスター・ミュゼ」
うふふ、と上品に笑う彼女――シスター・ミュゼ――は膝に繕い物を乗せている。季節感はどれもバラバラだったが、穴の開いたり擦り切れたりしたものを継ぎ接ぎで間に合わせようとしているらしかった。
その顔を、心の準備も無しに見るなんて思わなかった。顔自体は小さいのに、翠色をした切れ長でやや吊り目の瞳は大きい。細く長い金色の髪は後頭部で一纏めにされて、豊かに揺れている。
美人だ。知人だから贔屓目に見ている訳では無い。黙っていても喋っていても美人なのだ。それこそ、アルカネットが気味悪く思うほどに。
苦手なのは雰囲気で感じる育ての良さというか、滲み出る教養がそうさせるのかも知れない。
「それ、フェヌグリークの仕事だったろ。……代わって貰って悪いな」
「ええ? 良いのですよ。誰にだって体を動かしたい日と、内に籠って作業したい日がありますから。どちらもこの孤児院では必要な仕事です。適材適所というものですよ」
フェヌグリークは針仕事を始めとした面倒臭いものを苦手としていた。だから仕事を代わってくれたのだろう。その点、シスター・ミュゼの針捌きは見事なものだ。針子の仕事でもしていたのではないか、と思わせる程に。
アルカネットが彼女の斜向かい、テーブルを挟んだ場所に座るまでの間、針に糸を通すところから数目縫う所まで進んでいる。あの不器用な妹が茶を運んでくるまで、どれ程作業が終わるものだろうか。
苦手な相手だが作業風景は見ていて面白いものがある。じっと手元だけに視線を注いでいると、やがて彼女も気付いたのか苦笑いを浮かべた。
「……アルカネット様。そこまで見られては私とて作業がやりにくく思います……」
「あ。……すまん」
華奢な体の線や、フェヌグリークさえもが美しいと思っている顔。
それらに似合わず、あかぎれが多い手。
働き者の彼女だから、冬の傷もまだ残っている。痛々しい関節部分からはまだ血が滲んでいるようだ。
下世話な話だが、これだけの器量よしであればこんな傷と無縁に暮らせるだろうに。
「アルカネット様」
シスター・ミュゼに対して失礼な事を考えていたら、不意に声を掛けられた。
しまった、と思った。
また見過ぎていたか、と。
「アルカネット様は、五番街にある酒場にお住まいでしたよね?」
針を布に刺しながらシスターが口にしたのは、先程のようなやんわりとした注意でもなく問い掛けだけだった。
一瞬何を言われたか分からなくなったアルカネットだったが、声を脳内で反芻して意味をやっと理解する。
「……あ? ……ああ、そうだが」
「私、この施設にお世話になってから暫く経ちますが……五番街の事についてもあまり詳しくないのですよ、アルカネット様がいらっしゃる時に、その酒場に行ってみたいと思っていまして」
「……酒場に? シスターが?」
こんな品行方正を女性の姿にしたようなシスターが、人目に付く場所で酒を飲むところが想像できない。
それこそ、自分が塒にしているあの酒場で、煩いマスターと寡黙なその旦那がいる、あの場所で。
「……」
「どうかされました? ……御都合が悪いでしょうか」
「……いや」
シスター・ミュゼを苦手としている理由。
すべては、その顔のつくりだった。
更に言うなら、その顔と同種の美人を、他に知っているから。
「問題は無い。でも、シスターの口に合うようなものが出せるか分からないな」
「大丈夫ですよ。酒場に行った方々からは美味しいと聞いておりますので、是非私もお邪魔したいなと」
「酒場に邪魔も何もないだろう、あいつらだって客が来ないと生活が、………」
「……?」
言葉を切ったのには理由がある。別に、酒場店主夫婦は万が一『酒場が無くなっても生活できる』だろうし、寧ろ『客が来ない日がありがたい』時だってある。
でも、それをシスターに言う必要は無い。アルカネットばかりが背負いこんで、また背中が重くなる。
アルカネットを取り巻く環境はいつだって面倒臭い。
まるで呪いかなにかのようだ。
「……いや。来る日付、決められるなら今からでも聞くぞ。俺の妹の同僚って事で予約出来る」
「本当ですか? ……あ、でも良いのでしょうか。実は今夜にでもお伺いしようと思っていて」
「今夜、……」
「流石に急すぎますか?」
今夜と聞けば話は変わる。急なのもそうだが、シスターが酒場に来る時間までにあの色ボケ夫妻が帰っているかも分からない。流石に休みにしないだろうが。
何より、予定のある自分が同席出来ない。色々アルカネットとの仲を勘繰られて、嫌な思いをするかも知れない。
「……いや」
でも、そんな事はこのシスターには関係の無い話。妙齢の女性だ、そういった物の躱し方くらい覚えがあるだろう。
このシスターとの関わりなんて、そんなものだ。
「俺は居ないが、多分大丈夫だ。変な奴は多いが、上手く対処してくれ」
「居ない? ……お仕事ですか? 自警団もお忙しそうですものね」
「……ああ」
自警団の方ではないが、仕事には変わりない。生返事で返して、軽く頷く。
「最近は奴隷商人が城下に入って来たって噂があるからな。攫いやすい女子供を連れていく。この孤児院自体もそうだが、シスターも気を付けろよ」
「まぁ。そんな話があるんですか? ありがとうございます、気を付けます。……でも、この孤児院はきっと大丈夫」
ふふ、と笑みを浮かべるシスター。花が綻んだような笑顔、というのはこういう表情の事を言うのだろう。
なのにアルカネットは、言葉に出来ない悪寒が背中を走っている。言い知れない、このシスターの不気味な部分を感じ取っているかのように。
「アルカネット様が自警団員としてこの街にいらっしゃるんですもの。そんな奴隷商人なんてすぐお縄ですわよね?」
「……そう、だな」
「それにしても楽しみです。買い出しに行くたびに耳に入るんですよ。アルギン様とディル様の酒場の話」
ぎくり、とアルカネットの心臓が跳ねる。
「明るく美人と話しに聞くアルギン様と、遠目からでも分かる程の美形と噂のディル様。今まで一度もお目にかかった事が無いのですが、やっと今日お会いできそうです」
「……言うほどの価値は無いと思うぞ、あんな奴等」
「そんな事はありません!」
アルカネットがくさすように言うと、シスターは反論に声を大きくする。
その声と、応接室の扉が開くのが同時だった。
「何? どうしましたシスター?」
入って来たのはフェヌグリークで、盆に三人分の茶が乗っている。彼女だってシスター・ミュゼがここに居るのを知っていたのだ。
アルカネットが返答に困っていると、ミュゼがフェヌグリークに言いつける。
「私、今日アルカネット様がお住まいの酒場に行こうとしたんですけど……店主の御夫婦に対して心無い事を言われて」
「へぇ? え、だってアリィ、店主の人ってアリィのお――」
「言うな」
思い出したくない店主との関係性を口にされそうになって、妹の声を自分の声で押し潰す。
その顔がどうしても苦いものになってしまうので、変な勘違いはされない筈だ。
暫く三人の間を沈黙が漂い、茶を配る物音だけが聞こえるようになる。針仕事を中断するために一度針を仕舞ったシスター・ミュゼが、ふと何かを思いついたように両手を叩いた。
「そうだ、シスター・フェヌグリーク。貴女、今日の夜時間はあるかしら?」
「え、私? ……子供達の寝かしつけが終わった後になら」
「じゃあ丁度良いわ。一緒にその酒場、行ってみません?」
「はぁ!?」
次に大きな声を出したのはアルカネットだ。
まさか妹まで来るなんて思ってない。あんな変わり種ばかりが身を置く酒場になんて、妹には刺激が強すぎる。
「わぁ! 本当にいいんですか? 私一回も行ったことなくて、でも夜って怖いから一人じゃ不安だったの!」
「大丈夫ですよ、安全な道を選んで行きましょう? そう遅くならなければ、きっと神もお許しになりますよ」
「楽しみにしてますね!!」
待て、そんな、と言いあぐねているうちにフェヌグリークも乗り気になってしまった。
女はどうしてこんなに姦しいのか。一人も二人も三人も変わらない。
「……シスターが酒を御所望とはな」
「あら?」
嫌味のつもりで言った言葉は、耳聡いミュゼに聞き取られてしまう。
「そう仰る方々は多いですね。しかし、私はいつもこう返すのです。『私は神の与え賜うた世界の全てを愛しています』と」
わざとらしく胸元で組んだ両手。神に祈る姿は変わらず品行方正なシスターなのに、口にした言葉が生臭い。
意外な面を見た、とアルカネットが目を丸くする。そして、また同時にこう思う。
――本当に、『あいつ』に似てるんだよな。
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