3.兄妹


 アルカネット。

 今の名前はアルカネット・エステルという。


 彼は元々孤児だった。正確には、幼い時に孤児院に入ったのだ。

 物心ついて久しい筈の年齢の彼は、その時既に親の記憶が無かった。孤児院の門の側に捨てられるように蹲る彼の側に、籠に入った生まれたばかりの赤子がいた。その子と兄妹同然に育てられた彼だけが、とある男の手によって引き取られる。

 青臭い正義感を抱いた彼は、自警団員となった。

 城下に住む人々が、安全を守られる権利として金を出す。微々たるそれらが集まって、自警団の運営資金の一部となる。城下には王家の指揮下にある騎士団がいるというのに、彼等は貴族連中の住む場所しか守らないらしい――とは、昔からの政治批判で言われている常套句だ。

 アルカネットも、騎士が嫌いだ。高圧的で、民草の住む場所になど興味が無い。命令を聞くのは城に関係する者達の言う事ばかりで、民の陳情にも耳を貸さない。


 確かに、そう思っていた。


「……」


 アルカネットが今向かっているのは、同じ五番街にある自警団詰所。彼の基本的な仕事場であり、城下に住まう民に何かあった時の拠り所。

 凶悪犯を相手取る事は稀だが、喧嘩や盗みと言った微罪から、強姦や殺人などの重犯罪まで団員の出動が可能。警邏や雑用などもこなす、民に寄り添った組織だ。

 そう遠くない詰所に、今日もまた足を運ぶ理由。それは昨日忙しくて渡されなかった給料を受け取る為だった。

 自警団の給料は微々たる額でもない。市民からの援助もそうだが――数年前から、旗色が変わった。給料の額が跳ねあがる事件が起きたのだ。

 その事を知っているのは、アルカネットと、一部の者のみ。自警団の仲間達は、殆ど知らずに給料の額面に喜んでいる。

 アルカネットの複雑な心境は全く知らないで。


「あら? アルカネット」


 そうして複雑な心境続くアルカネットが自警団詰所の、日に焼けたような褪せた扉を開けた瞬間、奥から声がした。

 来客用のカウンターと、事務員が詰めている小部屋は繋がっている。民が用向きを伝える時は、このカウンターに世話になるだろう。

 そのカウンターは民の為だけのものではない。こうしてアルカネットも、今日は仮眠室のある二階ではなく一階カウンターに向かって進むことになる。そこにいるのは、顔馴染みの事務員ミモザ。


「今日……休みじゃなかったかしら? 貴方を呼び出したなんて話も聞かなかったわよ」

「違う、今日は給料貰いに来ただけだ。用が済んだらすぐ帰る」

「あ、私を飲みに誘いに来てくれたの?」

「馬鹿言え、先月も先々月もお前からたかられてるんだ。もうお前に出す金は今月は無い」

「こんげつは」


 言われたお人好しが滲む言葉を復唱するミモザ。

 他人の事を能天気が過ぎるとか、お人好しだとか、そういった事を言う彼だって同じ職場の者にたかられて無下にしないのだ。これでいずれは自警団の偉い立場になるだろうと幹部候補に入れられようとしている男。面倒見が良く人好きのする性格なのは――きょうだい譲りか。

 血の繋がっていないという話なのに、不思議なものだ。ミモザの口端に笑みが浮かぶ。


「別に、奢ってくれなくたって構わないわよ? 私だって貴方と同じ日に給料日だったの。どう、今夜にでも飲みに行かない? 私奢るわよ」

「………」


 その誘いは魅力的だった。カウンターに体を預けて身を屈めたせいで、ミモザの豊かな胸の谷間が誘惑してくるかのよう。

 実際、一晩の過ちを犯すならという自警団員同士の戯れで頻繁に名前が出てくるミモザだ。アルカネットに特別な感情を抱いているのではないか、との噂もこれまで自分の耳に入って来た。

 抱える複雑な事情さえ無ければ、男女の仲になってもいい相手。しかし、アルカネットは一瞬遠い目をして首を振る。


「今夜はな、無理だ。予定がある」

「えー?」

「俺だって行きたくないよ。酒が飲めるならそっち行きたい。……それよりも、だ。給料くれ給料」

「はいはい」


 奥に一度引っ込んだミモザが、貨幣が入ったそこそこ大きい布袋を持って出てくる。彼女の片手に余るようなそれは、アルカネットの手にはしっくりと馴染んだ。

 これが無いと話にならない。その場で中身を軽く確認したアルカネットは、およそ一割程度だけを自分の手持ちの財布に入れ込んだ。そして荷物入れの中に仕舞い込む。


「そろそろ、金貨で給料欲しいものだな」

「いいじゃない、銀貨だったら両替の手間が無くて。袋も大きいしお金持ちになった気分を味わえるわよ」

「お前、質より量を選ぶのか……」


 確かに五番街だったら、金貨より銀貨の方が使い勝手がいい。金持ち連中の住む八番街だったら話は違うが。

 街に割り振られた番号で、暮らしの質が変わって来る――なんていう場所に住んでいれば嫌でも思う。


「それじゃ、また明日。ミモザ」

「……うん。また明日」


 穏やかな別れの言葉を交わして、アルカネットが詰所を出て行く。手を振って見送るミモザは、まるで新婚夫婦の妻側といった所か。

 これで交際していない男女というのだから周囲がやきもきするものなのだが、その光景を見ていた自警団長は呵々と笑う。


「はははっ、ミモザ。振られちまったな」


 ぎくり、と肩を揺らすミモザだが、次の瞬間には噛みつきそうな表情で振り返る。


「振られてません!!」

「そうかぁ? あいつに予定なんて相当の事だぞ。きっと女だな」


 ニヤついた表情を隠さない団長は人相が悪い。およそ堅気の者とは思えない顔は、どちらかというと自警団に厄介になる方の面構えだ。髪の毛一本残らず剃った頭もまた、良からぬ雰囲気を出している。


「女、って……。そんな見え透いた嘘言ったって無駄ですよ、アルカネットが一番親しい女の子、妹さんだけって知ってますから」

「っはは、そりゃそうかも知れんがよ。もしお前が俺の娘だったとしたら、あいつは止めといた方が良いって言うぜ」

「何でですか?」

「そりゃお前」


 ログアスのニヤついた表情は変わらない。


「あいつ多分、結婚してからも『きょうだい』優先するからだよ」


 やや揶揄うように言った彼の声は、既に出て行ったアルカネットの耳には届かない。




 給料を受け取り、額を整えたアルカネットが次に向かったのも同じ五番街の建物だった。

 建物、というには少々敷地が大きい。用があるのは、建物を含むその場所自体だ。

 入口にある、鉄の格子で出来た門は背が低い。家畜かなにかなら閉じ込めておけるだろうが、アルカネットを含む大人の男にはこんなもの意味を成さない。

 最低限の行儀は知っているから、留め具に指を掛けて開くくらいのことはする。その敷地は文字通り『庭』だった。建物に付随する、さして綺麗に整えられている訳でも無い場所。生えっぱなしの雑草は、去年立ち枯れたままのものが残っている。


「あ!! ありぃにーちゃんだ!!」


 小さな住民達に、早速見つかった。

 年齢、およそ四歳から十三歳。七人ほどの子供達が庭遊びをしていたところを見つかり、あっという間に包囲される。

 包囲と言っても、自警団がするような物騒なものではない。体だけで取り囲まれ、平和で温かい。


「だからお前達、その『アリィ』は止めろって言ってるだろ」

「え、だってシスター・フェヌグリークがいつも言ってるから」

「あいつの真似はするな」

「ねーねーにーちゃーん。今日は何の用? おかしならもう無いよ?」

「いつも菓子を食べに来てる訳じゃないぞ?」


 わちゃわちゃとした空間で、子供達に囲まれる昼下がり。

 ここが、アルカネットがエステル姓を貰うより前に暮らしていた孤児院だ。金も物も無かったが、親代わりになってくれたシスター達のお陰で、アルカネットは自警団員を志す青臭い少年へと成長した。

 引き取ってくれた男が死んだ今も、自警団員として生計を立てている今は恩返しとばかりに孤児院へ毎月寄付している。


「にーちゃん! 遊んでよー!」

「おはなしもきかせて! じけいだんってたいへん?」

「あー。お前達の相手もしてやりたいが、一先ずフェヌグリークに会わんといけないんだ。すまんが、ちょっと退いてくれないか……」


 孤児院の外の世界をあまり知らない子供達にとって、孤児院出身でありながら外に住む大人の男であるアルカネットは興味の対象だ。それで自警団員として人々の暮らしを守っているのだから憧れの意味合いも強い。

 それだけ純粋に慕われているのだ。裏表のない純粋な行為が、とても嬉しい。


「アリィ?」


 ――その行為が、純粋であれば、なのだが。


「アリィ! お帰り!!」


 元気にアルカネットを愛称で呼ぶ、少女と呼んでも差し支えない高い声。

 この声の人物と会うのが目的だった筈なのに、アルカネットの眉間が嫌そうに縮まって皺を作る。


「……お前、今こいつらにそう呼ぶなって言ったばかりなんだが……」

「そうなの? いいじゃない、アリィはずっとアリィなんだから」


 指摘されて丸くなる瞳。

 アルカネットと同じ黒い髪はもみあげ付近だけ胸元まで伸ばして、後は肩に付かない程度に切っている。

 身長はもう伸びないだろう。小柄で細身な彼女はシスター服を纏っている。


「それより、今日は届けに来てくれたんでしょう?」

「……」


 にっこり笑顔で子供達を掻き分け、側に来て両手を出す。その笑顔が小憎らしくて、アルカネットは動かない。


「……」

「………」

「……」

「届 け に 来 て く れ た ん で し ょ う?」


 このシスターの出す圧は怖くない。まるで小動物の威嚇のようなものだ。

 けれど素直にそう言っては喧嘩を売っていると思われてしまうので、威嚇が実力行使に変わらない内に荷物を渡す。

 銀貨ばかりが入った、貰いたての給料袋。


「ありがとう!! お兄ちゃん大好き!!」

「こういう時だけ妹面か……」


 兄よりも大切そうに給料袋を抱き締める彼女からは、どうも金蔓としか思われていない。

 お兄ちゃん、と呼ぶこのシスターこそ、同じ時にこの孤児院にアルカネットと捨てられていた赤子だった。


「まぁまぁ、折角寄付届けてくれたんだもの! お茶くらい出すから中へどうぞ」

「フェヌ……。お前、寄付渡さなかったら茶も出さないつもりだったのか」

「冗談よ」


 うふふ、と笑うフェヌと呼ばれた女性。

 フェヌグリーク。アルカネットを慕う人物だ。

 彼女の誘導で子供達は散り散りになり、アルカネットの身体は自由になる。

 そのまま、二人は孤児院の中へと入って行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る