第5話:説得

 那由は電車の中でMCCを使い、ひたすら一野の情報を探っていた。

 ネットワークの最下層、ダークウェブと言われる領域に個人の端末で侵入するのは危険だが、ここは横着するしかない。髪につけていたピンでSDカードの差込口を開けてカードを交換すると、ハッキングを開始する。単語でふるいにかけていけば知りたい情報はすぐに見つかった。

 情報系の大学を出てハッキングに手を出しそのままクラッカーになって金儲け。粗悪なプログラムの売買にも一躍買っていたようだ。その先のデータがないのは、その後組織に捕まったからか。組織に入ってからは捕獲能力を披露したものの然程評価されず次第に不満を溜めてきた。そして三か月前、那由に追放された。


 今でもその状況を思い出すことができる。

 組織の者は皆、自分で作った独自のプログラムを所持している。というより、所持していない者はこの優秀な組織の中で生き残れないのだ。那由ならデータを破壊するためのプログラムを、上里はIPアドレスを追跡するためのプログラムを、高塚はデータを保存するためのプログラムを、自分で作って所持している。それを誇りにしている。那由も各自の得意分野を把握して仕事を振り分けていた。そのような中で、一野は他者の作ったプログラムを盗もうとしたのだ。人によっては命の次に大事な財産とも呼べるプログラムを勝手に盗んで手柄にしようとした。それを、那由は厳しく問い詰めた。


「人のプログラムを盗むことでしか仕事ができないような低能がこの先生き残れるとは思えない。悪いけど出ていってくれない?」

「は? 既存のプログラムを有効活用できてこそプログラマーだろ? 思いあがるなこのガキ」

 確かに那由は一野と十歳以上年が離れている。しかしこの場では圧倒的に那由の立場の方が上だった。

「何? こんな簡単な依頼をこなすために既存のプログラムの力を借りないといけないの? だとしたらあなたはもう使えない。とっとと失せて」

 その言い合いは暫く続いたが、やがて鶴木が一野のことを連れて行ってしまったため彼の姿を見たのはそれきりだった。

「絶対に復讐してやる」

 という言葉をどこかぼんやりとした気持ちで聞き流したものだ。


 電車を降り、殆ど廃墟となった五階建てのビルに辿り着く。MCCで確認すれば、時刻は五時四十六分。

 おそらく彼はまだここにいるはずだ。というよりも、いなければ困る。

 駐車場となっている一階からエレベーターに乗り込み、一番上のボタンを押した。人を探すなら一番上まで行ってしまって階段を下りながらフロアを見ていく方が効率がいい。エレベーターでいける最上階はどうやら屋上のようで、流石にこんな場所にはいないだろうと一応非常扉の外を覗いてみれば、中心にパソコンを持った一人の男がいることが分かった。馬鹿と煙は高いところが好きというがその部類だろうか、となんとなく考える。バイオパンクの戦闘ステージの一つ、「ビルの屋上」とも雰囲気が似ていた。

 那由はじっと周囲を見渡した後、

「一野」

 と、その人物の名前を呼んだ。記憶よりやや痩せているが、想像通りの顔がそこにある。

「やっぱりきたかプロジェクト長……松井那由」

「うん、来た……から、もう馬鹿な真似はやめてくれない?」

「はっそんなに自分の保身が大事か? こっちはMCCに特殊な細工をされて、不用心に外に出て防犯カメラに映るようなら即警察に通知がいくようになってしまった。お蔭で人間らしい生活なんてできやしない。人権が奪われた」

「それはあなたが悪いんでしょ? 犯罪者」

 元は自分が犯罪を犯したせいで入れられた組織だ。はじき出された後に自分の罪で逮捕されるのは何も間違ったことではない。

「犯罪者?」

 一野は那由の言葉に顔を歪めた。

「犯罪者……だったらこんなものを作ったお前も同罪だろう」

 そのノートパソコンの画面には那由が作ったデータを食すプログラムが表示されている。

「こんな極悪なプログラムを作っておいて人を犯罪者扱いなんて笑えるな。大体お前だって例え犯罪を助長すると分かっていてもそういうプログラムを作ったことがあるじゃねえか」

 確かに、それは間違っていない。

 犯罪者のための逃走用シミュレーションソフト、だけではない。人に催眠暗示をかけやすくなるような電波を発するソフト、一般人でも簡単に相手の情報を奪うことができるようになる違法ソフト、ウイルスを使ったデータベース破壊や依頼された情報の搾取など様々な悪質な仕事をしてきた。それも全て依頼があったから。

「確かにそうかもしれない。でも、あなたが今やろうとしていることはそういう次元の話じゃない。それがスーパー人工衛星に居座って、セキュリティーシステムや金銭管理システム、医療やインフラに関わるようなシステムが停止したらどうなると思う?」

 那由はその悪夢を覚えている。しかし頭の片隅で体感した事象なんて、よほど衝撃的な出来事でもない限り記憶に残すことは不可能だろう。

 一野がもしあのシステムの中に意識を飛ばしていたとしても、覚えている訳がない。

 覚えていないから、そのように残酷なことを実行できるのか。

「そんなこと、俺の知ったことじゃない」

 一野は、ぞんざいな態度で言い放った。

「下々の人間がどうなろうと俺の知ったことか。今更善人ぶるんじゃねえよ犯罪者が」

 違った。覚えているか覚えていないかの話ではない。那由が唇をぎゅっと噛みしめた。

 世界がどうなろうとこの男にとってはもうどうでもいいこと。それほどに自暴自棄になっている。

 だったら説得などせず強引にでもデータを壊すまでだ。

 既にバックアップを取っている可能性は高いが、ひとまずハードを壊す。ここから投げ落とせばすぐに手も届かず、操作はできないだろう。後は以前金田にやったように仮想空間作成システムか幻影システムでも使って相手を騙しMCCも奪う。理論上はできるはずだ、と思った。だから、まずはパソコンを奪おうと走るが、現実は想像の通りにはいかなかった。

「……っ」 

 身体が一瞬宙に浮き、その場に落下する。何があったのか分からず、身体を起こして理解する。一野に蹴り飛ばされたのだ。蹴りあげられた腹とコンクリートの床に叩きつけられた肩に、それぞれ種類の違う痛みが走る。

 思えば金田の時もそうだった。どうして相手が反撃してくる可能性を考えられないのか。

 プログラムのイレギュラーは想像できるのに、人の行動を想像する能力が欠如している。

 那由は改めて自分の無力さを思い出した。


「何故俺がお前をここに呼んだか分かるか? プロジェクト長」

「そんなの、分かる訳……」

「見たかったんだよ、いつも傍若無人に振る舞うお前の絶望した顔をなあ」

 再び蹴り倒され、足で心臓のあたりを踏みつけられる。息ができなくなりそうな圧迫感が身体を襲った。

「お前の前でこのプログラムを実行してやる。自分が犯罪者として世間に知られるところをそこで震えながら見ていろ。最初から気に入らなかったんだよ。乳もねえガキがでしゃばりやがって」

 犯罪者として知られること……この際、そんなことはどうでもいい。

 ただ、プログラムの実行だけは止めなければいけない。

 立ち上がって相手の服の裾を掴む。その途端、肋骨の辺りを思い切り殴られた。

 これがバイオパンクの中だったら宝石が二つ割れて、疑似的な痛みを感じて終わりだった。

 しかし現実はそんな生易しいものではない。倒れた瞬間足を捻り、痺れる様な痛みが走る。

 それでも、立ち上がらない訳にはいかなかった。

「この国のプログラムは……たくさんの人たちが知識や技術を持ち寄って、長い年月をかけて組み立てられたものなの」

「は? だからどうした」

 ようやく立ち上がることができたが、もう一度殴られればもう後がない。

「それを使って生活している人がいる。中にはそれに命を救われている人だっている。プログラムと共存しているこの社会を壊すなんてそんな……」

「うるせえ」

 蹴りとばされ、手を踏みつけられる。身体に限界を感じた。

「そんなことのために、プログラムを作っていたわけじゃない! 確かに少し前まで私だって言われるがままにプログラムを作っていた。自分が作ったものがどうなるかなんて考えないようにしていた。でも、本当は違う。医師が人を救うように私だって誰かを救いたい。もう二度と私のプログラムで誰かを傷つけたくはないの」

 自分のことを助けてくれた医者見習いがいた。彼は自分の役目というものを自覚し、常に自分の仕事に向き合っていた。しかし自分は違う。プログラムを作るのは好きだが、その先のことを考えていなかった。あの仮想現実を体感するまでは。 

 自分が一野のことを軽率にクビにしなければよかった。自分が送ったプログラムが実行された後のこともちゃんと責任を持って考えるべきだった。様々な後悔が頭をよぎる。

 これが実行されれば彼に合わせる顔がない。それが怖かった。例え突き放されても、それでもまた彼の隣に並びたい……そう思うほどに那由は。

「たあああっ」

 突然背後から威勢のいい声がして、倒れた那由の横を通り過ぎる。直後、鈍い音と共に一野の悲鳴が聞こえた。

「ふう……金属バッドじゃないけど振り甲斐はあるかも」

 見れば、セーラー服の少女が鉄パイプのようなものを掲げて立っていた。それを使って一野を殴りとばしたようだ。一体どこから来たのかと呆然としていると、肩に温かなものが触れた。

「那由」

「恭人……」

 何故彼がいるのか。何故心配そうな顔で自分を見ているのか。考えようにももう頭が働かない。

 ひとまず助かったらしい……彼の顔を見てそう判断しながら、那由はゆっくりと目を閉じた。

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