最終話-3

 光葉町のほとりでひっそりと営む小さな焼き肉店は、その日、いつになく賑やかだった。


「今日はあたしと兵頭先生のおごりだ! お前ら好きなだけ食え!」


酒が入って顔の赤い柴乃の言葉に「ふぅぅぅぅぅぅぅ!」と奇声を上げる部員一同。


「うめええええええええ!」「やばい、トぶ……!」「目キマリすぎだろ」「おい塁! それ俺の育ててた肉!」「……? そこにあったから」「塁の分は僕が焼いてあげるから! 人のとっちゃダメ!」「わかった」「兵頭先生、この『当店のオススメ』頼んでいいですか?」「なにそれ高っ!? 店長さん! このお店のオススメは今日からライスにしてください!!」――


 いつものように騒がしい、私服姿の光葉野球部。今日は店主の好意で貸し切り。ここの店主は無類の高校野球好きで、中でもあの一戦以来、熱烈な夏生のファンらしく。さっきから夏生の席だけ異様に盛り付けが豪華で高そうな肉が運ばれていく。


「その肉美味そ~! 夏生、一口ちょうだい! あーん」


「なに言ってんだ爽介ェ! 夏生のあーんは渡さんぞ! 夏生、俺にくれ! 噛まずに持って帰るから!」


「お前がなに言ってんだ!?」


 夏生の「あーん」を取り合って取っ組み合う爽介と誠に、夏生が苦笑しながら肉を一切れフォークで突き刺す。と、そこに隣から大きな手が割り込んで夏生の手を掴んだかと思うと、フォークを持った夏生の手を自分の口元まで動かして、要が横から一口に食べてしまった。


「あー! オレの肉が!」


「俺のあーんがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 表出ろや要ェ!」


「んまい」


 ナプキンで口元を拭う要に、夏生は隣で「でしょ?」と笑う。


「脂身が少ないから、要が好きそうだと思った」


「よく分かってるな。鶏むねがあれば一番だけど」


「さっき飲み物と一緒に頼んどいたよ。サービスしてくれるって」


「マジ?」


 露骨に顔がほころぶ要と、愛おしそうに微笑む夏生の横顔を、爽介は向かいで頬杖をつき、微笑を浮かべて見つめていた。


「なあ誠。オレらけっこーピンチかもな」


「? なんの話だ?」


『――空振り三振ィィィィィンッ!! 永聖学園の小園! この大ピンチを抑えたァァァ!』


 会話をぶった切るように、店内中央のテレビからアナウンサーの絶叫が飛んだ。マウンドで雄叫びを上げる長野代表のエース。今、遠く離れた兵庫の地で、彼らは灼熱の中戦っている。


 冷房の効いた店内で熱い肉を頬張りながら、ほんの一瞬、全員がテレビを睨んだ。



 桜火を破って臨んだ四回戦。光葉は新星・永聖学園に大敗した。


 背中の怪我で塁はドクターストップ、田中と夏生も、野手陣も満身創痍。そんなことは、誰も言い訳にしなかった。互いに条件は同じ。何があろうとも無敗で勝ち続ける――それだけが、甲子園に行くための、たった一つの方法だ。


 また積み上げなければならない。三年生がいなくなり、大きく戦力を落とし、一年かけて整えてきたチームのバランスを崩しながら、もう一度新しいチームを作り直さなければならない。


 これをもう二年繰り返すだけで、ここにいる全員、光葉高校野球部からいなくなる。


「さみしいというか……いっそ、儚いですね」


 兵頭の呟きに、柴乃は店内の部員を見回し、薄く笑って首を振った。


「いいんですよ、あっという間なくらいが。こんなにキツくて、素晴らしい時間がこれ以上長かったら、囚われちゃうでしょう。大人になれなくなっちゃいますよ」


「ああ、なるほど。柴乃さんみたいにですか」


 冗談めかした兵頭に、柴乃が「ぶはっ」と吹き出した。


「言ったなぁ~!? 飲めよオラぁ!」


「ちょっ、だいぶ酔ってます!?」





 その夜、要の部屋を、あの日と同じように、夏生が訪ねて来た。


 要は祖父母にばれないように、窓からそっと外に出て、二人で満天の星空の下を歩いた。やがて、吸い寄せられるようにして、気づけばあの日と同じ場所に腰かけていた。


「ちょうど一年前か」


「そうだね。懐かしいなぁ」


「いきなり草野球の試合に誘われてな」


「ボクのこと男だと思ってたよね」


「いや、だってお前――」


 なかったじゃん、と言いかけて、無意識に隣の夏生の胸元に目がいった。今は、ある。けっこうある。不思議そうに小首を傾げた夏生から、光の速さで目をそらす。


「なんでもない。俺がどうかしてた」


「なにそれ」


 夏生が吹き出す。二人きりになっても、変わらない距離間。軽やかで、他愛のない、どこか表層を撫でるだけのようなむず痒い会話。二人とも、「契約」を覚えていた。


 だから、あの星月夜の約束が果たされるまで、二人の距離が、今より縮まることはない。


 はずだった。


 夏生の左手を、要の右手が不意に握った。


 硬直して夏生が隣を見上げると、要はクールに星を見つめたまま、耳だけ赤く染めていた。


「……契約は、どうするの」


「……今日だけだ。本当に今日だけ」


「……誓う?」


「誓います」


 互いに血の滲むような、傷だらけの手の平が、設えたようにピッタリと重なり合う。肩が触れ合い、夏生の髪が一束、要の肩に乗る。ずっと同じ方向を向いて走り続けてきた二人が、今、向き合って、お互いの目にお互いだけを映す。


 今日が終われば、二人はまた、前を向いて走り出す。健やかなるときも病めるときも。喜びのときも悲しみのときも。



 これは、彼と彼女が、最高の夫婦バッテリーになるまでの物語。




                                 第一章 完

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スイッチ!~女投手と素人捕手が甲子園を目指す話~ 旭 晴人 @Asahi-Aoharu

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