第20話-3

 そこからは、凄まじい攻防だった。


 さながら、姫宮塁と馬場翔星の、ノーガードの殴り合い。剛速球と切れ味抜群の落ち球を駆使し、三振と凡打の山を築く。五回、六回、七回と、互いに意地と矜持で斬り結ぶ。馬場は凄まじい暴れ球で四球を散発四つも与えるものの、圧巻の無安打無得点ピッチング。同じく無失点ながら各打者に粘られ、三回の頭から投げている塁の球数は、七回までで七十球を超えた。


「はぁ……はぁ……っ、クソが……!」


 両者の実力は互角でも、打線の厚みは桜火が上。二球種しかない塁に対応し、誰も簡単には三振しなくなった。ベンチに帰るたび、紫乃が献身的にマッサージをしたりと回復に努めてきたが、指の間で挟んで投げる「スピリット」は直球の何倍も握力を使う。前のイニングあたりから、塁の球はだんだんと、毒が回るように、走らなくなっていた。


「しゃあああああああ!」


 八回の裏、桜火ベンチから快哉が飛ぶ。プレイボールから二時間以上が経過し、太陽は真上に差し掛かっていた。この回二死から、ついに塁が三番・岩本に初安打を許した。


 そして、一流の打者とは、最も嫌な場面で打順が巡ってくるものだ。


「虫の息だな、姫宮。そんな体で、よくここまで投げた」


 バットを腰に携え、静かに打席へ入るのは桜火の主砲、駒場。


「……塁君は、毎日最後尾でも一生懸命ランニングしていました。それでも一向にスタミナが向上しないのは、何かわけがあるんですよね」


 兵頭の問いに、紫乃は「本当によく見ているな」と感心しながら頷いた。


「チーターやライオンに持久力がない、という話を聞いたことがありませんか」


「ああ、はい。長距離だとシマウマに勝てないんですよね、確か」


「あれは、筋肉の『質』が違うからなんです。ライオンなどの筋肉は『白筋』と呼ばれ、瞬発力が高いかわりに持久力がありません。逆にシマウマの『赤筋』は酸素とエネルギーを豊富に蓄えているので、持久力に優れている。塁の場合、生まれつき全身の筋肉のほとんどが『白筋』――凄まじい爆発力を持つ一方で、その輝きは花火のように一瞬。体質ですから、鍛錬でどうこうなるものではないんです」


 兵頭は、ため息交じりに頷いた。


「彼の素晴らしい能力に、合点がいきました。でも……今、彼は苦しいでしょうね」


「筋疲労で、腕を上げるのも辛いと思います」


「一度外野で休ませるというのも……」


「そうですね。正直、自分でも正解が分かりません。小一時間でも時を止めたいぐらいです」


 祈るように、紫乃は顔の前で腕を組む。



 

 腕に、パンパンに砂が詰まっているみたいだ。


 塁は荒く呼吸しながら、必死に何度も肩を回した。腕の重さが抜けない。暑さで脳までミディアムに焼き上がりそうだ。ああ、早く帰って、冷たいシャワーを浴びたい。濡れ髪のままクーラーの効いた部屋のベッドに飛び込んで、泥のように眠りたい。


 それ以上に――勝ちたい。


「ぬぁぁ……ッ!!」


 力いっぱい腕を振る。汗が迸る。大きく外れてボール。フォームが崩れて、思ったところにボールがいかない。どんなに力を込めても、もう一五〇キロが出なくなった。


 必死に呼吸を整える。このマウンドに立った瞬間をイメージして、体をリセットしようと試みる。勝つ、勝つ、勝つんだ。腕よ上がれ。この回を終えれば少し休める。あとたった三球だ。投げられないはずがない。自分に言い聞かせ、心を奮い立たせる。


 文字通りの全身全霊。不格好でもいい。投げた後、塁は勢いそのまま転倒した。その甲斐あって、全体重を乗せたストレートは、以前までの球威を取り戻した。


 それを完璧に弾き返せるのが、駒場が桜火の四番である所以。


 佐藤が消耗の大きいスプリットは投げさせないと、読んでいた。打球はライトの頭上を越える。ランナー、岩本、巨体を揺らして走る。二死だからこそできる捨て身のベースラン。岩本の足は決して速くない。ライトの不破が打球に追いつく。二塁を蹴って三塁へ、ランナー更に加速する。不破がクッションボールをむしり取る。三塁コーチャーは――腕を回している!


「――不破さん!」


 誰かが不破の名前を叫んだ。この状況では守備に関わりようのない人物の声だった。振り返ると、異様なことが起きていた。セカンドの守備位置深くまで、背番号「6」が不破めがけて走りこんでいる。セカンドの加賀美も、顔を真っ赤にして怒鳴る。


「――王城に投げろ!」


「――ダラァッ!!」


 腐ってもかつての正遊撃手。雄叫び一閃、不破の強肩が唸る。セカンドの位置で中継に入った要は、捕球するや否や、ぐるりと体を反転し――ホーム目がけて宝刀を抜いた。


 横殴りの爆風の如く。前のめりに倒れ込むようにして振り抜いた要の手から、一直線に大砲が飛んだ。足をもつれさせながら、鬼の形相で岩本がホームへ飛び込む。あまりの威力に吹き上がった送球を頭上で捕球し、佐藤もまた、修羅の形相でミットを叩きつけた。


 砂煙と、一瞬の静寂。


 低い姿勢で全てを見届けた主審は、力の限り、両手を左右に広げた。

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