第15話-3

「背番号『6』。王城」


 六月末に行われたユニフォーム発表。紫乃が要の名を呼ぶと、誰も声は出さないまでも、やはり空気が変わった。


 白紙になったショートの座を巡って勃発していたレギュラー争い。元の正遊撃手である不破、器用に内野守備をこなす山本、定位置の決まっていない山路との競争を、野球歴一年未満の一年生が制したのである。要が返事をしたところで、不破は小さく二度頷いた。


「異論のあるやつはいないだろうが、ここに関しては選考理由をちゃんと言っとく。フィールディングは正直山本山路の方が上手い。けど王城には、追いついた打球を全部アウトにできる異次元の肩がある。何よりどんなに難しい体勢からでも強く正確な送球ができる体幹の強さ。上背、ジャンプ力、動体視力――『上方向』を含めた守備範囲なら、王城がトップだ」


「大丈夫っす監督。王城なら納得です」


 不破は笑顔で要の肩を叩く。彼が悔しくないはずがない。要はただ黙って小さく頭を下げた。


 ショートは、要が心から望んだポジションではない。本当は正捕手の座を奪いたかった。ただ、ショートというのが野球において特に重要なポジションの一つであることも、多くの選手にとって名誉となる花形であることも、不破を筆頭に、プライドとこだわりを持って競争に挑んでいた仲間から勝ち取った場所であることも、全て心得ていたから、受け取った背番号「六」のユニフォームは、要にとってとても特別で、着たまま眠りたいくらいの宝物になった。


 迎えた一回戦、東城高校との試合で、要は「九番ショート」で先発出場を果たした。塁のために集まった球団関係者の目にも、要の身のこなしと肩は特別に映ったようだった。帰り際、記者に声をかけられた。実のところ、要は「ついで」だったのだが――



『夏の長野大会に紅一点 可憐すぎる高校球児が鮮烈ゼロ封デビュー』



 ネットニュースにそんな見出しが躍ったのは、試合翌日のことであった。マウンドで力投する夏生の顔写真、ド緊張しながら誠実に答えたインタビュー全文が、いつ撮られたのかも分からないオフショットまで添えられて地元新聞社のサイトに掲載された。大きな記事ではなかったが、光葉の全校生徒を巡るのに丸一日とかからず、夏生が月曜日の朝に登校するころには学校中の注目を集めていた。


「記事見たよ! めっちゃかっこよかった!」


「次の試合いつだっけ? 学校サボって応援行くわ!」


「今のうちにサインください! あと握手もいいっすか?」


 袖にできない性格が災いし、対応に疲れ果てた夏生は、昼食時間に要に泣きついてきた。


「知らない人にめっちゃ話しかけられる……コミュ障には辛いよぉ要ぇ」


「お前が順当に活躍すれば、いずれこうなる未来は見えてた。思ったより早かったな」


「他人事みたいに~……!」


「応援してくれる人が増えるのはいいことだ。けど、あんまファンの顔色うかがうなよ。プレーも日常生活も狭苦しくなる」


「さすが、元日本代表は言うことが違う……」


 いつものように向かい合いながら、弁当を囲んで軽口を叩き合う。違うのは、自分たちに集まる視線が一気に増えたことぐらいだ。要は気にも留めないが、夏生は居心地悪そうだった。



「次の試合、塁は使わない」


 その日の部活前ミーティングで、紫乃はそう切り出した。要を含め、部員たちはすぐにその理由を察した。次の試合に勝てば、三回戦の相手は――あの桜火になる可能性が高い。


「たとえ次の試合に勝っても、三回戦は二日後。桜火相手に中一日じゃ、塁のスタミナがどれだけ持つか分からん。塁を温存した結果二回戦で負けるのも、塁を使って桜火に負けるのも一緒だ。塁は全ての照準を桜火に合わせる。お前ら十一人で、必ず塁をそこへ連れていけ」


「じゃあ、二回戦の秀明館しゅうめいかん戦は幸久さんが先発ですか?」


 加賀美の問いに、紫乃は「いや」と首を振った。


「田中は桜火戦で先発させる」


 鈴木と山本が思わずと言った感じで声を上げて田中を見上げ、バチンと彼の背中を叩いた。


「お互い勝ち上がれば、桜火は間違いなく塁を意識して対策してくる。その出鼻をくじくための作戦だ。あたしの判断で、いけるところまで投げてもらう。オープナー的戦術だな」


「……じゃあ、秀明館戦の先発は」

 誠の言葉に、全員が一人を見た。見られた夏生は、緊張した面持ちで背筋を伸ばす。


「一条に任せる」

その華奢な肩にのしかかるには、とても重い一言だった。しかしチームメイトの口から滑り出たのは、「よし」「いいね」「やったな!」――どれもこれも前向きな言葉ばかり。


「田中と一条には、組み合わせが出た時点でこのプランを伝えている。気持ちの準備はできていると信じる」


 田中はいつもの朴訥な顔で、夏生は固い顔で頷いた。


「一条の捕手は王城で行く。佐藤はファーストへ、山本がショートに入れ」


 これにも、またもや肯定的な反応で溢れた。桜火との練習試合を思えば考えられなかった光景に、要は大きく頭を下げた。夏生の球であれば要でも安定した捕球ができるし、強肩は佐藤にない武器だ。何より、夏生の精神的支柱となりうる部分を買って、紫乃は夏生の専属捕手に要を指名したのだ。「第三捕手」と呼ばれて三か月――強く拳を握ったと、夏生の目が合う。


 ついに、公式戦で、夏生とのバッテリーが実現する。嬉しくて、高ぶって、逆にどんな顔をしていいか分からず、二人はその日、微妙にぎこちなかった。

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