第11話-2
練習試合から六日経った金曜日。その練習前に、事件は起きた。
練習着に着替えてグラウンドに集合したナインの前に兵藤が現れた。練習時間は今週から午後八時まで大幅に伸ばしてくれていたが、練習を見に来ることは依然ないままだったから一同少し驚かされた。
それを事件と言ったのは、彼が隣に金髪巨乳の女を侍らせていたからである。
「なっ……何考えてるんですか先生! 白昼堂々、ふふふふ不倫ですかぁ!?」
こちらへ並んで歩いてきた二人を指差し、不破が素っ頓狂な声を上げる。
「なに言ってるんだ! そんなんじゃありません!」
両手を振って焦る兵藤とは対照的に、金髪美女は切れ長の涼しい目でナインを品定めするように舐め回す。女にしてはかなり背が高く、一七五センチは下らない。ゆるいジャージ姿でもはっきりと分かる豊満な胸と尻の膨らみ。雪のように白い肌と、淡く紫がかった色気滴る瞳。外国人、いや、ハーフか。とんでもないフェロモンだが雰囲気はまだ若い。二十前半といったところである。なんだか誰かに似ているような、と要が目を細めたときであった。
「ね……姉ちゃん……?」
震える声の主は、珍しく顔を強張らせた塁だった。練習試合以降、塁はしばしば練習に参加するようになっていた。全員一斉に彼を振り返り、美女と交互に見回して絶叫する。
「ええええええええええええ!!?」
「塁の姉ちゃん!? マジかよ!!」
「すっげー美人……」
「いやでも確かに似てるわ……!」
ギャーギャー騒ぐ一同を咳払いで黙らせ、兵藤は佐藤に整列をかけさせた。兵藤と美女と向かい合うように並んだナインに向かって、兵藤はようやく彼女を紹介した。
「こちら、姫宮
まさか登場時を上回るサプライズが紹介の中にあるだなんて、誰も予想しておらず。流石に叫ぶのははばかられて、全員の喉の奥から変な声が漏れた。
監督……指導……この人が……?「女」というワードがすんでのところまで過ぎりかけて、夏生の存在が踏みとどまらせる。他の皆も同じだったろう。
「兵頭先生、わざわざ指導者を探してくださっていたんですか!?」
感激する佐藤に、「べ、別に、たまたまね!?」と兵頭はしどろもどろ。
「……桜火との練習試合、僕はベンチで何もできなかった。それでも、素人なりにさ、ウチと桜火に絶望的な戦力差があるとは思えなかったんだ。みんなはすごい選手だよ。勝敗をわけたのは、指導者の差だと思うんだ。僕が何もできない一方で、相手は君たち一人ひとりの特徴に合わせて、攻め方、守り方を迅速に修正していたような気がして……あっ、ごめん! 素人が何言ってんだって感じだよね!?」
「いや……その通りだと思います」加賀美が意外そうにうなずいた。それは、要も試合中に強く感じていたことだった。この人は、ルールも分からないのに、あの試合を最後まで集中して見てくれていたのだ。
「監督、ご挨拶を」
兵藤に促され、金髪美女は一歩大きく踏み出すと、その場に足を開いて仁王立ちした。
「姫宮紫乃。二十二歳。見てのとおり、女だ」
堂々と胸を張って、美女はそう切り出した。
「文句があるやつもいるだろうが、あたしはあたしのやり方で、頭下げて頼んでくれた兵藤先生に全力で応えさせてもらう。一週間でいい。あたしに時間をくれ。一週間後にあたしを使えねーと思ったら、そんときは首切ってくれて構わない」
白い首にトンと手刀を当て、美女は八重歯を見せて笑った。
「挨拶は終わりだ。お前らの名前とポジションは先生からメモもらってるから、自己紹介はカットでいい。今日はまず、普段どんな練習してんのか見させてもらうぞ。さっさとアップして始めろ! キャプテン、号令」
「あっ、はい! ありがとうございました!」
練習が始まっても、話題はあの女監督のことで持ち切り、いまいち全員の動きが精彩を欠いた。爽介や鈴木に山本は、美女の前でいいところを見せようとして空回り。平常心なのは加賀美と誠くらいで、塁は普段の傍若無人ぶりが嘘のように縮み上がっている。
特に一番様子がおかしいのは夏生だった。全く喋らず、上の空で、かと思いきや最初のランニングから全開で飛ばす。塁が周回遅れになるランニングから始まり、キャッチボール、素振り、ティーバッティング、フリー打撃――いつも通りの練習メニューのすべてを、紫乃はベンチからじっと観察し続けていた。
午後六時前、西の空がぼんやり茜色に焼けてきた頃、仕上げのノックがスタートした。要も内野で参加する。一斉に内外野に散らばるナインに向かって佐藤が打席に立ったとき、紫乃が初めて動いた。
「それじゃお前の守備練習にならないだろ。どけ、あたしが打ってやる」
佐藤からボールとバットをひったくり右打席に立つと、紫乃は「行くぞおらぁっ!」と怒鳴りあげた。困惑するナインに「お願いしますの一言も言えねえのか!」と再び激が飛ぶ。
「お、おなしゃーす!」ショートの不破が半笑いで手を挙げて一歩進み出た。
次の瞬間、目の醒めるような一閃が彼の足元を跳ねて駆け抜けた。
「……え?」不破は棒立ちのまま、一歩も反応できなかった。紫乃は舌打ち一つ飛ばすと、ボールケースから次の球を拾い上げ、ひょいと放ってバットを素早く両手で握った。
「ボケッとしてんじゃねぇぞ!!」
轟く快音。空気ごと切り裂くようなスイングから、鋭い打球が弾丸の如く放たれる。
「いっ!?」あわや顔面直撃という打球をグローブが弾き、たまらず尻餅をついて転がった不破を打席から見下ろす、バットを担いだ鬼の形相。
「正面も捕れねえのかよ。
グラウンドに、戦慄が走った。
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