第8話-3
「これより、光葉高校対桜火高校の練習試合を始めます! 礼!」
グラウンドに対面して並んだ両校が、桜火のコーチの号令で挨拶を交わす。十二名対二十名の人数差だけでなく、体格、顔つき、オーラ、こうして向かい合うと何から何まで差が浮き彫りになるようだった。
「よろしく頼む」
桜火の先攻で試合が始まるというとき、要に逞しい右手を差し出してきた人物がいた。顔を見れば、相手の主将である。どういうわけか、個人的に要だけに挨拶に来たらしい。
戸惑いつつ「こちらこそ」と握手に応じると、彼は熱いまなざしで要に白い歯を見せた。
「俺には分かる。この中で一番強いのは、貴様だろう」
はい? 自信満々に断言した相手の主将に、要の目が点になる。背後で塁が「は?」と灼熱の闘気を放った。
「僕よりそいつが上ってこと? ふざけてんの、
「中学の合同合宿以来だな姫宮。相変わらず貧弱な体だ」
「無駄に筋肉つけても重いだけだから」
ゴゴゴゴゴ――要を挟んで両雄が火花を散らす。
「見ろ、彼の見事に均整の取れた左右対称の肉体美。理想的に発達した三角筋、広背筋。強靭かつ、しなやか。彼の体は柳の巨木を思わせる。芸術的だ……」
駒場と呼ばれた桜火主将はユニフォームに包まれた要の体をうっとりと見つめて言った。ゾゾゾゾ、と要の背筋に寒いものが走る。
「確かにあいつ強そうだよな……オーラあるっつーか」
「背番号的に一年だろ? データにはなかったし。体出来上がってんなぁ」
「おい、すぐに光葉十二番の経歴を洗え!」
駒場につられる形で、桜火の選手たちが一斉に要を警戒し始めた。
えらく不機嫌になってしまった塁が、金髪を逆立てて「邪魔」と要をどつき、そのままマウンドに向かう。駒場に軽く礼をして、要が向かったのは反対方向、夏生と山路が待つ三塁側ベンチ。この三名はスタメンを外れた控え選手。ちなみに兵頭もベンチの端っこにいる。
「ベンチ……そうか、秘密兵器は温存というわけか。フハハ、小癪な!」
まだなんか言っている。
「最強は僕に、決まってんじゃん」
マウンドに立つ塁が、苛立った声で呟く。白土のグラウンドに光葉ナインが散った。センターには爽介、サードには誠が、スタメンを勝ち取って守備についている。
要は、炎のような目で彼らを見ていた。
「……要ってさ、前から思ってたけど、ピッチャー向きの性格だよね」
隣に座る夏生に言われて、「そうなのか」と適当に返事をした。スポーツに向く性格ならともかく、ポジションに性格の適性があるというのは信じていない。
「野球はさ、ピッチャーが投げて初めて動き出すスポーツでしょ。どのスポーツを見ても、こんなにあからさまに責任の偏ったポジションはないよ。マウンドに立てば、後ろの仲間は見えない。チームの勝敗を背負って投げ続けられるには、マウンドを譲らないって強い気持ちが必要なんだよ」
「……あの人みたいにか?」要はマウンドを踏み荒らす塁を睨んで言った。背中に輝く背番号『一』――練習にも出ていない二年生が、試合当日に遅れてきて、当然のようにエースナンバーの縫い付けられたユニフォームを着て、あそこに立っている。夏生は悔しくないのか。
「塁さんはまさに、投手をやるために生まれてきたような人だよ」
「あれが?」要が鼻で笑っても、夏生はマウンドに、羨望と憧憬、嫉妬の混じった視線を注ぐ。
「プレイ!」桜火の一番バッターが打席に入り、試合開始。夏生は何やら自分のエナメルバッグから分厚い紙の束を取り出すと、ピンクの眼鏡をかけてページを繰り始めた。
「……あった、三年ショート栗橋さん。群馬の名門若松シニアで三年間リードオフマンを務め、桜火でも一年秋からレギュラー入り。特にインコースの対応に定評あり」
凄まじい早口でブツブツ言い始めた夏生に、山路がギョッと顔を引きつらせる。
「な、何見てるの、一条さん」
「相手チームのデータだよ。役立つかと思って持ってきたんだ! ヤマちゃんも見る?」
嬉々として広辞苑みたいな分厚さの資料を渡す夏生。彼女は高校選びのために、全国の野球部を調べまくった過去を持つ。桜火は地元の名門校。夏生が調べていないはずがない。
「す、すご……ストーカーと紙一重だよこれ……」
「えへへ」山路が引いていることなど気づきもせず、何故か照れる夏生。
「あ、あとこれも持ってきたんだ」
夏生が続けてバッグから取り出したのは、見慣れない機材だった。L字型の形状で、見た目は髪を乾かすドライヤーに近い。
「スピードガン!?」山路が泡を食った声を出す。
「すごい、そんなの持ってるんだ! けっこう高いって聞いたことあるけど……」
「えへ、誕生日プレゼントにねだっちゃった」
「誕プレにスピードガン頼む女子高生、人類で君だけだよきっと……」
そのとき、マウンド上、塁が大きく振りかぶった。慌てて夏生がスピードガンを構える。金の短髪が風に揺れる。熱い血潮の流れる血管が、透けて見えそうな白い肌。
淡い桜色の瞳が、見下すようにバッターを射抜いたかと思うと、次の瞬間、眠たげに細めた目から燃えるような闘気が噴き出した。踏み込んだ左足のスパイクが、力強く大地を咬む。全体重を乗せて放たれた白球は、佐藤のキャッチャーミットに轟音を上げて突き刺さった。
「……は?」
ど真ん中に投げられて、振ることすらできなかったバッターは、絶句してミットを見つめていた。上ずる球審のストライクコール。震撼する桜火ベンチ。数秒かけて我に返って、要は隣で呼吸も忘れて固まっている夏生のスピードガンを覗き込んだ。
『一五三キロ』。平然としているのは光葉の二、三年生だけ。捕った佐藤などボールを投げ返しながら、「ナイスボール」と涼しい笑顔だ。
「おい……なんなんだよ、あいつは」人間の投げる球なのか、あれが。鳥肌がおさまらない。要の前に、夏生は分厚い資料の一ページを開いて寄越した。
「姫宮塁。右投げ右打ち。元マイナーリーガーの父と、元短距離走者の母を持つ、日本とアメリカのハーフ。高校一年生の夏予選で自己最速の一五五キロを記録、ついた異名が『信越の怪童』。卒業後は、間違いなくプロに行く人だよ」
要は思い出していた。光葉を選んだ理由を問われて、夏生が「すごい人がいるから」と答えたことを。それは不破と加賀美のことだと思っていた。
この男のことだったのだ。
一回表、桜火高校の攻撃は――一度もボールが前に飛ぶことなく、三人で終了した。
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