102 模様替え
レヴィーリア様がやる気になったことだし、部屋の模様替えを始めることにしよう。まずは冷蔵庫からだ。
俺は十年ほど使っていた冷蔵庫の電源コードを引き抜くと、一旦『
普段の俺なら見なかったことにするところだけれど、今は伊勢崎さんもいる。大人としてあまり恥ずかしいところは見せられない。
とりあえず壁に立てかけているフローリングワイパーでひと拭きしよう――そう思って背後を振り返ると、そこにいたのはすでにフローリングワイパーを手に持ち瞳を輝かせる伊勢崎さん。
「おじさまっおじさまっ! 私がお掃除いたしますわっ!」
「そ、そうかい。それじゃあお願いしようかな」
「はいっ!」
伊勢崎さんのやる気あふれる勢いに押されて了承すると、彼女はさっそく床をワイパーで丁寧に拭き始めた。
「うふふっ、おじさまのお家のお掃除♪ これってまるで……」
小声でなにかを言っているけれど、掃除を伊勢崎さんに任せたからには、俺は俺の仕事に集中しよう。
俺は『
魔道冷蔵庫に入れる食品を先に外に出しておくのだ。伊勢崎さんの掃除が終わるまでは魔道冷蔵庫の設置ができないしね。
上機嫌に掃除をしている伊勢崎さんを横目に、俺は冷蔵庫から食品を取り出してはテーブルの上に置いていく。
冷蔵庫に入っていたのは、先日冒険者に振る舞ってからなんだかハマっているコーラ。それと牛乳とビールに炭酸水、後はほとんど冷凍食品。
いかにも独身男性の冷蔵庫である。まあ魔物肉と野菜は『
それらをテーブルの上に並べていると、物珍しそうにレヴィーリア様が覗き込んだ。
「あら、これはマツナガ様が護衛の皆さんにお渡ししていた黒い飲み物でしょうか?」
「そうですよ。コーラという名前です」
そう答えた俺にレヴィーリア様はもじもじとしながら口を開く。
「あの……先日の領都への道中では言い出せなかったのですが、実はわたくしもそのコーラに興味がありまして……」
貴族のわりに
「では一度飲んでみますか?」
「まあっ、よろしいのですか!?」
前のめりに問い返すレヴィーリア様。またしても模様替え前の脱線だけど、伊勢崎さんはいつの間にやら雑巾まで取り出して床掃除をしているし、飲み物の一杯くらいなら構わないだろう。
「もうレヴィったら。休憩するにはまだまだ早いわよ♪ ふふっ、うふふふふっ」
伊勢崎さんは掃除の手を止めることなく、上機嫌に笑みを浮かべながらレヴィーリア様に物申している。すごく楽しそうだけど、そんなに掃除が好きだとは知らなかったよ。
「お姉さま、この一杯だけですわ。急いで飲みますので!」
レヴィーリア様がそう答えると、俺がコーラを注いだコップを両手に持ち、口につけて勢いよく傾けた。
ゴクッゴクッゴクッと喉が鳴り、あっという間にコップの中身が空になる。ああ、そういう飲み方をすると――
レヴィーリア様はハンカチで唇を軽く拭い、空のコップを見つめながら感想を語る。
「ふうっ……。苦くて甘くて不思議な味ですわね! ですが、なんとも爽快でクセになるような――――けぷっ!」
かわいいゲップと共に、レヴィーリア様がカアアアアと顔を真っ赤にした。
「わ、わわっ、わたくしとしたことが、なんとはしたない……!」
あわあわと慌てふためくレヴィーリア様。どうやら淑女としてゲップはマナー違反というのは異世界でも同じのようだ。
だがやってしまったものは気にしても仕方ない。ここはなんてこともないように通してしまおう。俺は涙目のレヴィーリア様にゆっくりと話しかけた。
「落ち着いてください、レヴィーリア様。地球には『コーラを飲んだらゲップが出るっていうくらい確実じゃ』という格言を残した偉人もいます」
「そ、そうなのですか……?」
「そうです。ですから気にする必要はありませんよ」
「なるほど……そういうことでしたか。確実でしたら仕方ありませんわね。それではわたくしも気にしないことにいたしますわ!」
胸を張って答えるレヴィーリア様。いささかチョロすぎる気がしないでもないけれど、これを引きずられてもかわいそうだしね。
そうして落ち着きを取り戻したレヴィーリア様に胸を撫で下ろしつつ冷蔵庫の中身を取り出し終わった頃、なぜか頭に三角巾まで巻いたスタイルになっていた伊勢崎さんがよろよろと近づいてきた。
「掃除が、掃除が……終わってしまいましたわ……。ああ、掃除が……」
なんとも名残惜しそうに掃除をした床を見つめる伊勢崎さん。床は大理石かというくらいにピッカピカに輝いているというのに、伊勢崎さんの表情はそれとは真逆に曇っている。掃除をやり足りないのだろうか。
しかしこのまま大掃除をされても困る。さっさと冷蔵庫を設置することにしよう。
俺はさっそく『
「まあ、シャグナ作なのですか。さすがはレイマール商会、良い物を取り扱っているのですね」
「シャグナというのは有名な職人さんなんですか?」
「ええ、グランダに居を構える魔道具職人でして、我がカリウス領のみならず、他領にまで名前が響くほどの腕前と伺っております。……さて、マツナガ様、それでは魔道冷蔵庫に魔力を注入しますわね。ふふっ、腕が鳴りますわ……!」
レヴィーリア様はまるで挑むように眉を上げると、魔道冷蔵庫の中心部分にある青い魔石に指で触れた。その瞬間レヴィーリア様の指先がほのかに光り、その光がすうっと魔石に吸い込まれていく。
それが十数秒ほど続いただろうか、ふう……と長い息を吐いたレヴィーリア様が魔石から指を離し、魔道冷蔵庫の側面にある目盛りを見つめた。
購入した魔道冷蔵庫には魔力残量メーターまでついているのだ。さすがは高級品である。その目盛りは10%ほどのところで止まっていた。
「まあっ、十日分も溜まりましたわ! おほほっ、少しはお役に立てたようですわね! オーホッホッホ!」
満足げに高笑いするレヴィーリア様。その顔を見るからに人並みほどの魔力しかないと言っていたのは謙遜で、実はそこそこ自信があったのかもしれない。十日分とはそれほど多いのだろう。
「では残りは俺がやりますね」
「魔道コンロも買われているのでしょう? マツナガ様の魔力はそちらに使ったほうがよろしくなくて?」
「いえ、問題ないですよ」
そう言って俺は魔石に触れて魔力を流した。魔力を流すという感覚は伊勢崎さんに魔力を供給している感覚に近いようだ。
そうしてしばらくそのままにしていると、魔力が流れていかないような感覚になってきた。そこで冷蔵庫の側面に目を向けると目盛りはすでに最大値。これで百日ほど使えるのだそうだ。
「こ、高位の魔術師が数人で注入する容量ですのに……。マツナガ様、よもやそこまでの魔力がおありですとは……」
満タンになった目盛りを見て、目を丸くするレヴィーリア様。そんな彼女に伊勢崎さんが自慢げに胸を張った。
「ふふん、レヴィ? 見ましたか、おじさまはすごいのですよ。さあおじさま、魔道コンロの方も設置いたしましょう! こちらも私がお掃除いたしますからね!」
雑巾をグッと握りしめて声を上げる伊勢崎さん。とんでもないやる気のようなので、コンロの下も彼女に任せることにした。
そうしてしばらく経ち、魔道コンロの設置も完了。掃除をやり足りないらしく、寝室の掃除まで始めようとする伊勢崎さんをなんとかなだめ、部屋の模様替えは無事に終わったのだった。
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