81 因果応報

 俺は兵士たちの足元に異空壁を滑り込ませると、すくい上げるように彼らを乗せ、そのまま上空へと浮かび上がらせた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

「ひいっ! う、浮いてる? 浮いてるううう!」


 つまづいて四つん這いになった二人が、おわん型に変形した異空壁に包まれてゆっくり空へと上昇していく。


 数日前、俺は異空壁に乗って空から地上まで降りたけれど、今回はそれの逆バージョンだ。


 異空壁に乗せられて上昇していくヒゲ兵士が、俺を見下ろしながら必死の形相で声を荒らげた。


「おいっ、なんだこれは! 今すぐ我らを降ろさぬかっ!」


「え? いいんですか?」


「無論だ! 早くしろバカ者!!」


 上空からこちらを覗き込み、ツバを撒き散らさんばかりに大声で怒鳴るヒゲ兵士。俺は素直に頷いた。


「はい。わかりました」


 俺の言葉にヒゲ兵士は一瞬ホッと顔をほころばせるが――


 フッと消えた異空壁に顔を引きつらせた。


「そういう意味ではないいいいいいいっっ!!!!」

「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」


 ヒゲ兵士と同僚兵士は叫び声を上げながら落下していき――


「――ぐへあっ!!」


 そのまま地面に激突。兵士たちの着込んだ鎧がぶつかり合い、甲高い金属音が辺りに鳴り響いた。


 高さは家の二階ほどだから、おそらく死にはしないだろう。しかしただうずくまっている同僚兵士とは違い、ヒゲ兵士は足をジタバタとさせながら転げ回っている。


「ぐあああああっ! 腕がっ、俺の腕がああああ!!」


 どうやら不運なことに右腕が折れてしまったらしい。変な角度に曲がった腕を押さえながら叫び続けるヒゲ兵士に、俺はゆっくりと近づいていった。


「痛みがあるんだし、幻術ではないと納得していただけましたか?」


 俺の声に、叫ぶのを止めてハッと息を呑むヒゲ兵士。


 これまでの尊大な態度とは打って変わり、ヒゲ兵士は俺を見て表情をこわばらせると、尻もちをついたままじりじりと後ずさりを始める。


「ヒッ、ヒイッ! くっ、来るな! お、俺が悪かった! 悪かったです! で、ですからどうか、どうか命だけはお許しを……!」


「ええ、もちろん構いませんよ」


 俺の率直な答えに、ヒゲ戦士はポカンと口を開いた。


「ほっ、本当に……!?」


「はい。ただしここで起きたことを誰かに話せば……わかってますね?」


 脂汗を流しながらコクコクコクコクと無言で何度も首を振るヒゲ兵士……と、ついでに同僚兵士。


 まあ実際のところ、話されたところで俺にはなにもできないんだけどね。雰囲気で言ってみただけである。口封じに転移でどこにでも現れると思ってもらえれば御の字だ。


「わかったようでしたら、おかえりはあちらです」


 俺が再びわだちを指し示すと、ヒゲ兵士は目を見開いたまま恐る恐る立ち上がり――


「ひいいいいいいっ! た、助けてくれえええええ!」


 くるりと背中を向け、絶叫を響かせながら一目散に駆け出していった。


「うおおおおおい! 俺を置いていくんじゃねえーー!」


 その背中を同僚兵士も追っていく。やがて二人の姿は地平線の向こうへと消えていったのだった。



「おじさまったら、相変わらずお優しいですわね」


 いつの間にか隣にいた伊勢崎さんが、ため息混じりに声をかける。


「そうかなあ」


 俺としては権威を笠に着た連中のお仕置きは、さらに上の権威を持つ者にやってもらおうと思っただけだ。因果応報というヤツだね。


 とはいえ、最初にさっさと引き返していたのならまだしも、剣を振り回して体力を消耗し怪我までしている彼らが、デリクシルの食事の終了までに領都にたどり着くとは思えない。


 デリクシルが俺の印象通りの人間なら兵士二人は手酷い罰を受けるだろうし、もしかすると彼らはデリクシルから逃げることを選択するかもしれない。それはそれで罰としては十分だ。


 俺は大きく息を吐くと、伊勢崎さんに話しかけた。


「なんにせよ、これで解決だね。それと伊勢崎さん、演技だってわかってるだろうけど、酷いことを言ってごめんね」


 俺の即興の演技に伊勢崎さんはすぐさま乗ってきてくれた。だからもちろん演技だということは理解してくれているとは思う。しかし彼女に酷い言葉を言い放ったことには違いないので、そこは謝らないとね。


「あっ、いえ、それは問題ありませんけれど……」


 伊勢崎さんはうつむきがちに、もじもじと手を握ったり開いたりしている。


「どうかしたのかな? もしかして俺が怖かったとか……」


 だとしたら大変申し訳ない。俺の卓越した演技力ゆえの悲劇だ。しかし伊勢崎さんは顔を上げると、ポッと頬を赤らめた。


「いえ、いつもお優しいおじさまから酷い扱いを受けたのがなんだか新鮮で……私、なんだかドキドキとしてしまいましたの」


 頬を赤らめたまま、うっとりとした顔で答える伊勢崎さん。


 もしかして伊勢崎さんはMっ気でもあるのだろうか。さすがに人の趣味嗜好にまで口を挟んだりはできないので、俺としては苦笑を浮かべる他はないのだけれど。


 そして彼女はさらに言葉を続ける。


「でも、おじさま? あんなに酷くわざとらしい演技をしなくたって、私ならきっとおじさまの演技を見抜けましたわ。次の機会がありましたら、もっと真に迫った演技で私をののしってくださって構いませんからね?」


「あっ、うん。そうなんだ……」


 えっ? 俺の演技ってもしかして――


 ――いや、いやいやいや! 俺に今以上の演技力を求めるということだろう。うん、そういうことだ。どうやら伊勢崎さんはなかなかのこだわり屋さんのようだね。


 とはいえ、なんだか心がざわつく。


 俺はひとまず心を落ち着かせるべく、一度日本の自宅へと戻ることを伊勢崎さんに提案するのだった。

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