76 商談成立

 真剣な表情でカーラント氏が静かに語り始める。


「貴重なアースドラゴン……。その中でもかなりの大物。さらには傷も少なく、保存状態も良い……。そういうことで――」


 ゴクリ……。俺がツバを飲み込みながら次の言葉を待っていると、カーラント氏がテーブルにバンッと両手をついて顔を寄せてきた。


「私どもといたしましては、ぜひとも8000万ゴールで売っていただきたい! そう考えておりますっ!!」


「ええええええええええええええええええ!?」


 思わず声を上げながらのけぞる俺。だって8000万Gだよ!? それってつまり、雑な計算で日本円にして8000万円くらいってことだよ! そんなにも貰っていいの?


 俺はこれまで異世界で300万Gほど稼いできた。しかしこれは俺の日本円という自腹を切って稼いだもので、延々と稼げるわけではない。


 大切に使っていこうと、これまでは食費と宿泊費くらいしか使っていなかったのだ。


 しかしこれほどの大金が降って湧いてきたとなると、話が変わってくる。今まで買い控えしていた物が一気に購入可能になってくるのだ。


 例えばこの異世界には、魔道冷蔵庫なんて魔道具がある。


 価格はエミーの宿に置かれていたような小さな物でも80万Gくらい、レイマール商会で陳列されていた高級品だと500万Gを超えるような値段だ。


 家電の冷蔵庫ほど至れり尽くせりの機能があるわけではないけれど、単純に冷やすだけなら魔道冷蔵庫で十分であり、それになんといっても魔力さえあれば電気代ゼロで使うことができるのが素晴らしい。ついでにエコだよ。


 買いたい物は魔道具だけではない。今座っているようなフカフカのソファーだって買えるだろうし、なんなら異世界に別荘を持つことだって可能かもしれない。とにかく8000万Gとは一気に夢が広がる金額なのだ。


 しかし俺が脳内で夢に思いを馳せている間に、興奮気味につり上がっていたカーラント氏の眉が徐々に下がっていった。


「あ、あの……もしかして、この金額ではご不満でしょうか? 私といたしましては公正な金額を算出したつもりなのですが……」


「あっ、いや――」


 そんなことないです。と、俺がその先を言うよりも早く、カーラント氏が拳をグッと握りしめる。


「わかりました! 我が商会といたしましても、この商機を逃すわけには参りません! こうなれば8500万Gでいかがでしょう!?」


「ええっ、ちょっと待ってくださいよ! そんな――」


「むむう! でしたら9000万Gで!」


「いやいや!」


「うおおおおおおおおお!! 1億G、では1億Gで!! これで、これでお許しください! どうか私めにアースドラゴンを売ってくださいませ! お願いします! この通りです!」


 甲羅のテーブルにゴンと頭を叩きつけて叫ぶカーラント氏。俺は彼を眺めながら、なんとか声をしぼりだした。


「は、はい……それでいいです……」


「ありがとうございますっ! ありがとうございます!」


 カーラント氏は顔を上げ、うっすら血の滲んでいる額を気にすることもなくパアアアアアアアアと満面の笑みを浮かべた。


 なんだろうね、得はしたんだけど、ちょっぴりの罪悪感とすごい疲労感が……。


「それではさっそく!」


 そんな俺を気にすることもなく、カーラント氏がテーブルに置いてあった呼び鈴をチリンと鳴らすと、すぐに従業員がやってきてお金の用意をしてくれた。



「――それではお納めくださいませ」


 テーブルの上に積み上げられたのは、金貨10000枚ではなくて白金に輝く硬貨が100枚。見るのは初めてだけど、たぶん白金貨という貨幣だろう。


 チラッと隣を見ると、伊勢崎さんがコクリと頷く。やはりこれで間違いないようだ。


「それではいただきます。お買い上げありがとうございました……」


 俺はそれを『収納ストレージ』にしまい込み、ぐったりとしながらカーラント氏に頭を下げたのだった。


 ◇◇◇


「ありがとうございました!!」


 カーラント氏に見送られ、俺たちはドルネシア商会を後にした。


 ちなみに「ついでに魔物肉を買っていきたいんですけど」と話したら、グレートボアの肉をたくさん包んでくれたよ、タダで。なんだか申し訳ない。


「素晴らしい交渉術でした。さすがはおじさまです!」


 伊勢崎さんが上機嫌に跳ねるように歩きながら笑顔を見せる。


「いや、相手が勝手に値段を吊り上げてくれただけなんだけどね……」


「いえいえ、おじさまが絶妙のタイミングで声を上げることで相手の気勢を削いだのです! 私にはわかりますからね! ああ……お仕事もできるおじさまは本当に素敵!」


「あははは……それじゃあもうそれでいいよ……。ところでさ、これからゆっくり観光と行きたいところだけど――」


「はいっ、どこへでもお供いたしますわ」


「そうかい。それじゃあとりあえずあの城の方角に向かおうか」


 俺は大通りのはるか向こうの高台に見える城を指差す。アレは領主の居城であり、つまりレヴィーリア様が向かった場所なのだそうだ。


 もちろん居城に行くつもりはないし、そもそも入れない。しかし居城の周辺ともなれば、きっと観光によさそうな建物やお店もたくさん立ち並んでいることだろう。


 俺の話を聞いて、伊勢崎さんが瞳を輝かせる。


「まあっ、それなら是非ともサラティナの噴水に行きましょう」


「へえ、人気のある観光名所なのかな?」


「はいっ。その……背中を向けてコインを噴水に投げ入れることができれば、願いが叶うという言い伝えがありまして……」


「なるほど、この世界にもそういう感じの観光名所はあるものなんだね。いいね、それじゃそこにも行こうか」


「はいっ、おじさま♪」


 微笑みながら俺を見上げる伊勢崎さん。俺は彼女を伴い、大通りを居城を目指して歩き始めた。

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