44 異空間

次元転移テレポート』で自宅に戻った俺たち。まずは伊勢崎さんのアドバイスに従い、『収納ストレージ』に水道水を溜めることにした。


 時間に余裕はあまりない。俺は慌ててキッチンに向かうと、シンクの蛇口を全開にして異空間に水を流し込んでいく。


「おじさま、水を溜める時間は10分程度にしましょう」


 家の時計を見ながら伊勢崎さんが言う。10分なら浴槽一杯分も溜められるか微妙なところだ。十日の旅なら少し心許こころもとないかもしれない。


 家の中にはいくつか蛇口があるのに、その一つしか使えない。そのことになんとも言えないもどかしさを感じた俺は、ふと試してみたいことを思いついた。


 異空間は俺の意思で広げたり小さくしたりできる。ということは、異空間が分かれるように意識すれば――


「おおっ!」


 成功だ。俺の意思に反応した異空間は、ぐにんと形を変えて綺麗に二つに分裂した。


 俺はダッシュで風呂場に向かうと、さっそく風呂場の蛇口を全開にして、その分裂した異空間に流し込む。


「……あれ?」


 しかし、思っていたほど蛇口から水が出てこない。そういえば一人暮らしだから失念していたけれど、水道って同時に使うと水圧が下がるんだっけ?


「お、おじさま? これは一体……?」


 ガッカリしながら流れ落ちる水を眺めていると、背中越しに伊勢崎さんから声がかかった。俺が急に駆け出したのでついてきたのだろう。彼女は何かに驚いたように目をぱちくりとさせている。


「ああ、うん。別の蛇口からも水を出せば効率がよくなると思ったんだけど……なんだか微妙だね。残念」


「い、いえ、そうではなくて、おじさまは異空間を分裂させられるのですか?」


「ああ、それはできるみたいだよ。ほら」


 俺は風呂場の蛇口の下の異空間を広げてさらに分け、その片方をさらに分裂、分裂、分裂――と繰り返していった。一度やり方に気づいてしまえば、いくらでも細かくできそうだ。


 その様子を眺めながら、伊勢崎さんが興奮したように弾んだ声を上げた。


「まあっ、すごいです! 異空間を広げたり、分裂させたりなんてことができる方を初めてみました! さすがはおじさまですわ!」


「そうかい? でもあまり使い道がなさそうな気も……」


 調子に乗って異空間を分裂させた結果、厚みがまったくない直径1センチほどの円形が空中にびっしりと浮いている。なんだか昔なつかしの蓮コラみたいだ。


 異空間の穴は小さくなると、穴より大きな物はその中には入れることはできなくなる。不思議なことに、手で押し込むと異空間の中に入るのだけどね。


 俺は試しに風呂場に置かれていた石鹸を、水平に並んだ異空間群の上に乗せてみる。


 すると思ったとおり『収納ストレージ』には入らずに異空間の上に乗ってしまった。収納ができない異空間なんて、なんの役にも立たないだろう――


 ……ん? 


 あれ? これってもしかして何かに使えるのでは?


 そんなちょっとしたひらめきを頭の片隅に残しつつ、俺は水道水を溜める作業をひたすら行うのだった。



 ◇◇◇



 ひとまず水を溜めた後、俺と伊勢崎さんはエミーの宿へと『次元転移テレポート』した。


 借り部屋を出て、自室でくつろぐエミールに尋ねたところ、今は正午の鐘が鳴る前だとのこと。どうやら待ち合わせ時刻には間に合ったらしい。


 俺たちは前線都市グランダの北門に向かい、そこでレヴィーリア様が訪れるのを待つことにした。



 そうして初めて訪れた北門。


 これまで何度も通った荒野側のボロボロの門とは違い、こちらは欠けた箇所がひとつもなく、その周辺も綺麗に積み上げられた立派な石壁でぐるりと囲われている。こちら側は戦火に荒らされていないのだろう。


 他に見るものもないので、そんな石壁を眺めてしばらく待っていると、一頭の騎馬に先導され、二頭の馬に引っ張られた一台の馬車がやってきた。たぶんアレだろう。


「……なんだか地味だねえ」


 隣の伊勢崎さんにこっそりとつぶやく。


 伯爵令嬢なのできっと豪華で真っ白な馬車に違いないと思っていたのだが、こちらに向かってくる馬車は茶色のこじんまりとしたものだった。


「本来ならもっと派手な馬車で貴族としての権威をアピールするものなのですが……。まあレヴィらしいといえばらしいですわ」


 くすりと微笑む伊勢崎さん。どうやらレヴィーリア様は使わないでいいお金は使わないタイプの人のようだ。


 その馬車の左右にも、馬とそれに乗った兵士が1セットずつ。そして馬車をぐるっと取り囲むように、十人ほどの人員が徒歩で付き従っていた。


 馬に乗った兵士はみな統一された鉄の鎧を身にまとっているのだが、歩いている人員は革鎧や胸当てやローブといった風に服装も装備もバラバラ。おそらく護衛として冒険者を雇ったのだろう。


 そしてそんな冒険者の中には、俺の見知った人物たちもいた。宿のお隣さん、ギータとシリルである。

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