最終章 9-3


 トウタクの奸計かんけいに陥った彼女を救うべく、私はやつらの隠れ家へと向かった。ご丁寧にも私を名指しで呼び出してくれたお陰で、アグニとの約定は回避することが出来た。


 しかし、それは二重に仕掛けられた罠であった。私は迂闊にも彼女の前で幻術を披露し、くうの力を発動させる切っ掛けを作ってしまった。


 裏で糸を引いていたのはサナリエルだろう。私の脳裏にはあの女の北叟ほくそ笑む顔が浮かんでいた。そして、私と彼女の旅は終わりを告げた。


 でも、結果的にはこれで良かったのかも知れない。あの女の庇護を受けることはしゃくではあるが、それは彼女にとって決して悪いものではない。


 いずれアグニはカイン皇国を復国し、武力によるヌーナ統一に踏み出すだろう。そうなればハナラカシア王国の滅亡は必至だ。もはや私にはそれを止めるすべはない。


 せめて彼女だけでも無事でいてほしいと願う。胡蝶邯鄲ヴィニャーナが健在の内はアーカーシャが顕現することはない。すれば、危害を加えられることもないはずだ。


 それが気休めに過ぎない自己欺瞞じこぎまんであることは分かっていた。既に彼女に掛けた魔法は消失を始めている。今はそれが少しでも先になることを祈るしかなかった。


 しかし、私の思惑は全て外れ、彼女は導かれるように来てしまった。アグニが空の力に目覚めた彼女を見す見す手放した理由、それは私に最後の仕上げをしろということだろう。


 私は彼女にプラナの概念を指南した。元々はアーカーシャに対抗するために会得した知識が、自身の手で完成させることになるとは皮肉でしかなかったが、私はまだ微かな希望を抱いていた。


 ひょっとしたら、空の天人になっても人格は残るのかも知れない。あの泣き虫で、間が抜けていて、でも底抜けに明るくて、お人好しの彼女であれば、私たちは争うことなく、互いを許し合うことが出来るのではないだろうか。


 しかし、その想いは呆気なく打ち砕かれてしまう。ラーマとシータ、そして狂躁熊クルーエルベア。眼前の敵に向けて空の力を行使する様は、もはや私の知らない彼女であった。


 沸き上がる衝動に身を委ね、命の奪い合いの最中で狂乱的にわらう彼女……あんな姿は、見たくなかった。


 もう、あの優しかった彼女は……いつも私を温かくさせてくれた、私のことを愛してくれた彼女は、もうすぐいなくなってしまうのだと、そのとき悟った。


 なぜ、あなたは生まれたのか。なぜ、あなたは来てしまったのか。なぜ、あなたは目覚めてしまったのか。


 あなたと出会わなければ、こんなに苦しむことはなかった。あなたが幸せでいてくれたら、独りきりでも平気だった。あなたがあなたのままでいてくれたら、もう他に何も要らなかったのに!


 アーカーシャよ、お姉ちゃんを、お父様を、私から何もかもを消しただけでは飽き足らず、今度は彼女まで奪おうというのか。絶対に許さない。絶対に許せない。絶対に許したくない!


 どんな相手だろうと構わない。どんなに強大だろうとも構わない。万難を排し、不可能を奇跡で塗り替え、私の全存在を賭して討ち滅ぼすのだ。

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