最終章 9-2


「うぅ、せっかく一生懸命用意してきたのに……」


 彼方の山間やまあいから姿を覗かせた恒星が惜しみない陽光を浴びせ続ける街道で、隣を歩く彼女が絶望的な声を漏らす。どうやら生活用品をまとめた肩掛け鞄に加え、母親から預かった路銀も置いてきてしまったようだ。


 全く、相変わらず間が抜けている子だ。まあ、今回は私にも責任があるので、そんな小言は仕舞っておこう。


 最後の御幸ごこう、永き旅路の終わり……その陪従者ばいじゅうしゃとして、彼女はいた。


 私は彼女を置き去りにすることに徹せなかった。心の何処かで一緒にいてほしいと願っていたのだろう。その迷いが彼女に追い付く時間を与え、あの真っ直ぐな好意にすっかりほだされてしまったのだ。


 それにしても、クラウディがあんな大金を持たせようとしたことは意外だった。まさかあの深謀遠慮な当主様に限って、ただの親馬鹿ということは考え難い。


 ひょっとして、本当は全て気が付いていたのではないか。やはり、我が子を想う母親の気持ちまでは、如何なる魔法であろうとも誤魔化すことは叶わなかったのだ。


 私たちは王領を越えてキノ領へと足を踏み入れた。流石さすがに今回は一人旅とはならなかったが、果たして彼女はどこまで私に着いてくることが出来るだろうか。


 キノ領では思わぬ足止めを食らうも、世子せいしのオユミと接触を持てたのは収穫だった。どうやら彼女の方も興味が湧いたらしく、オヒトには可哀想な話であるが、幼馴染の壁を越えることは難しいようだ。


 ハナラカシア王国に別れを告げ、シュウシンカン帝国との国境を跨いだ私たちを待っていたのは、あの女であった。


 サナリエル=トク=シュウシンカン、いけ好かない女である。別に彼女にちょっかいを出すことに腹を立てている訳ではない。いや、それも多分にあるのだが、あの女からは私と似た気配を感じていた。


 かつてホーリーデイ家に生まれた最高峰の魔術師のように、カイン朝からシュウシンカン朝に遷移した火の地姫ちぎの血を色濃く受け継いでいるのだろう。


 何故か胸騒ぎがした。何かを忘れている、何かを見落としている、そんな嫌な予感だ。それは帝都カンヨウが近付くに連れて顕著となり、そして皇帝と邂逅した瞬間、確信へと変わった。


 うのは初めてだった。しかし、間違えようがなかった。


 お父様との記憶が、知覚される魔力が、そして何よりもこの身に宿るマイナがそれを肯定していた。この五百年の間、最も近く、最も遠くに感じていた存在。私が封じていたはずの……火の天人アグニであった。


 激しく狼狽する私に対し、御会見ごかいけんの席においてソウモウ皇帝、いや天人アグニは語った。


 天人たちはもう随分と前から復活することが出来ていた。たとえオノゴロに満ちるマイナを排しても、世界中にあるマイナ溜まりには高純度のマイナが蓄積されていたからだ。


 しかし、ではなぜ今頃になって表舞台に現れたのか。少なくともくだんの軍事演習ではその片鱗は感じ取れなかった。幾ら直接対峙していなかったとはいえ、あれほど近くにいて気付かないはずもない。


 もしや、天人たちは待っていたのか。彼女が成人し、空のアーカーシャとして顕現するのを……かつての仇敵に復讐する機会を虎視眈々と狙っていたというのか。


 私は彼女を守りたい、守らなくてはならない。しかし、魔法の行使を意識した瞬間、私は天人に絶対に逆らえないことを認識してしまった。それは存在としての強度、魔法の力量差というだけではない。


 天人と地姫の関係性、自らに取り込んだ高純度のマイナは、詰まるところは天人そのものだ。


 私の力は天人からの下賜品かしひん、四種のマイナを宿す私は、お父様の水だけでなく、アグニの火の地姫でもあったのだ。拭い難き禁誓ゲッシュが私のうちに深く刻み込まれていた。


 そして、アグニは私に要求した。これから起こることについて、一切の干渉をせずに事の成り行きに任せよと。もはや私には従うより他なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る