最終章 5


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 槍とほこはしばしば混同されがちな武具である。共に長いを持つが、その違いは先端部分の形状にある。槍の穂先が直線的であるのに対し、鉾は丸みを帯びた両刃の構造となっているのだ。


 霊峰タカチホの登頂に挑む二人は、まさに鋭利な槍先のごとく、頂上に向けて最短距離を突き進んでいた。もしも、純粋な人の力だけでこれを成し遂げようとしたら、試算では一月ほどの期間を要すると目されている。


 それは単に歩行距離だけの問題ではなく、うつろい荒れやすい山間部の天候、そして高所がもたらす希薄な大気によるところが大きい。


 人間が生身でこの大気を吸い込み続けた場合、頭痛や眩暈めまい、嘔吐、倦怠感などの症状が出始め、更には呼吸困難や意識喪失、最悪の場合は死に至ることが報告されていた。


 それらを回避するため、徐々に高度を上げながら身体を慣らすという方法が提唱されたが、タカチホの聖地としての神格化に伴い、十分な検証が成されぬままに無期限の閉山となった。


 やがて登山技術は衰退の一途を辿り、風花雪月エア・コンディション古今独歩エア・ウォークを駆使するミストリアを除き、名実ともに登頂は不可能な状態にある。


 そして、天頂に座す恒星が彼方の山脈に向けて傾きを始めた昼下がり、ついに二人はタカチホのいただきへと到達した。人類未踏の極地、天人降臨の舞台、魔法が生まれた場所。御幸の最終目的地にして、封禅の儀の祭祀場である。


 しかし、四方に雲海を望む平坦で開けた山頂は、確かに厳かさを抱かせる空間ではあったが、特に祭壇や祭具のようなものは見当たらず、どのように儀式を執り行うのか皆目見当も着かなかった。


 いぶかしげに辺りを見回していると、隣にたたずむミストリアが右手を掲げてある一点を指し示す。その先に視線を這わせたとき、うずたかくなった岩山の中に何かが見えた。


 氷雪に閉ざされた大地で、まるで身を寄せ合うように敷き詰められた岩塊がんかいの間には、柄を下に向けた逆さまの鉾が突き立てられていた。


「あれが天逆鉾あまのさかほこよ」


 その名には聞き覚えがあった。ヌーナの創世神話に登場する伝説の鉾である。かつて、世界にまだ大陸がなく、全てが遥かなる海洋に覆われていた頃、天から巨大な鉾が飛来し、海中に深々と突き刺さった。


 しばらくして鉾は空へと舞い上がり、再び天上に還っていったとされているが、その際に穂先から滴り落ちた海水の塩が固まり、やがて大地が出来上がったという。


 原始的な信仰では、これを天人の降臨と同一視する向きもあるが、その後の文明の教授などを考えると矛盾点が多い。現在では、天人以上に実在性の疑われる説話である。


 その鉾がいま目の前にあった。もっとも、大陸を作ったとされる伝説の割には、随分と小さいようにも思われた。これではちょうど人の手に収まるくらいである。


「まあ、分祀ぶんしされた形代かたしろだけどね。さっ、あれに触れてみて」


 まるで思考を見透かしたかのようにミストリアが誘う。導かれるままに足を踏み出し、伸ばした手がその鉾に触れた瞬間、周囲の景色が揺れるように歪み、全ては白へと塗り潰されていった。


『あなたに伝えなければならないことがあるわ』


 失われていく視界の中で、聴覚だけがミストリアの存在を知覚していた。しかし、暴力的なまでの真白ましろの侵食は自身をも蝕み、やがては世界との境界さえも曖昧とさせていく。


 そして、垣間見ることとなる。歴史の裏に隠された天人と地姫の真実を。長きにわたり、ある一族を守り続けた少女の数奇な運命を……。

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