第三章 8-5


「……そうですか。兄は自他共に厳格な方でありましたが、いったいどうして道を誤ってしまったのか」


 ダイバ老師の寺院から戻ったラーマたちが門番を労いながら庭園に足を踏み入れると、まるで夫としゅうとを迎える良妻が如くシータが飛び出してきた。


 同時にミストリアが四鏡増鏡ステルス・ミラーを解く。予め伝えていたとはいえ、何もない空間から突如として浮かび上がった彼女たちに、三人は目を剥いて驚くとともにその場に深々とひざまずいた。


 イクシュヴァーク家には既にアナン老師が訪れ、一行の帰りを待っていた。まずはダシャラタ、次いで彼女から一部始終を聞いた老師は、何処か遠くを見つめるようにして、実兄であるダイバ老師の末路をおもんぱかった。


 偽りの天人地姫を擁立して座長を簒奪さんだつする……まごうことなき、死罪に値する大罪である。仮にこれまでの功績に免じて罪一等を減じられたとしても、僧籍を剥奪されて教国を追放されることは避けられない。


 彼女もまた、寺院の一室で覗き見た老師の姿を思い浮かべていた。やっていることは卑劣な悪行そのものだが、不思議とどうして貫禄めいたものが感じられ、その懸隔けんかくに困惑させられてしまう。


 しかし、如何なる理由があれ、背景があれ、信念があれども、天人地姫の庇護者たるホーリーデイ家の名に懸けて、これを看過する訳にはいかなかった。


 成すべきことはもう決まっていた。明日の結集けつじゅうの場において、衆目の面前で偽の天人地姫の正体を暴くのだ。


 アナン老師の計らいにより、非公式ではあるが結集に潜り込む算段も付いていた。今度は堂々とまではいかずとも、気兼ねなく一切皆空アッシュ・トゥ・アッシュを行使できる。


 その晩は明日に備えて早めの解散となった。彼女たちには一際豪華な客間が用意されていたが、シータについてはラーマの部屋に同衾どうきんするようである。最早、そのことに関して誰も異論を挟む者はいなかった。


 客間で就寝の準備をしていた彼女は、ふと教国に入ってからのことを思い返していた。教国では今までの旅路とは異なり、自らの手を下すことが多かった。それはミストリアが意図的に誘導した結果だろう。


 丸太兎ファッティラビット、ラーマとシータ、狂躁熊クルーエルベア、そして偽りの天人地姫……全て自分の手で決着を付けるように仕向けている。


 きっと、これは期待であり、そして手向けでもあるのだ。この一件が片付けば、いよいよその先は霊峰タカチホを残すのみとなる。


 自分は封禅ほうぜんの儀の詳細を知らない。しかし、その先も独りでやっていけるようにミストリアは道を示してくれているのだろう。


 ミストリアのことを信じている。信じてはいるのだが、先ほどから止めどなく不安が押し寄せてくる。何かを見落としているような、思い違いをしているような……そんな感覚だ。


 それを明日の結集によるものとした彼女は、不測の事態に備えて想像を巡らせる。例えば……そう、偽者が違う姿をしていたら。それも身近な人間に化けていたとしたら、どうだろうか。


 無論、空属性により感知は出来るが、それは意識を集中させている間だけである。相手の正体が不明である以上、用心に越したことはない。


「ねえミスティ、もしものときのために二人だけの合図を決めておかない?」


 彼女がそう提案すると、ミストリアは眠そうに欠伸あくびを溢しながら、いまさら不要だと言いたげに手を左右に振る。しかし、不安に駆り立てられた彼女が尚も食い下がると、根負けしたように承知してくれた。


 彼女は右手の甲で額を二度叩く。いざというときに、自分がレイネリアであり、彼女がミストリアであると、惑うことなく指し示すために……。


 ミストリアは素っ気ない態度で頷くと、その先はもう言葉を返してはこなかった。彼女は今一度、自己を証明するその仕草を繰り返すと、綺麗な刺繍ししゅうが施された寝具に横たわり、微睡みの中へと沈んでいった。

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