第67話 魔法師

 離宮の火事が一段落した頃、アデレイドが魔法師を連れてやって来た。


「サラ、前に言っていたあなたの魔法の先生を連れて来たわ」

「エカードと申します。あなたの魔法教師として着任しました。本日から一週間、よろしくお願いします」


 エカードと名乗った人物は、腰まである長い髪を背中で一つに束ねた、穏やかそうな表情を浮かべた男性で、年の頃は三十代前半くらいに見えた。

 上質な生地で作られたゆったりとした朱色のローブを着用していたので体型まではよくわからなかったけど、魔法師にしては背が高いと思った。

 特に印象的だったのは、まだ若いのに髪が真っ白だったこと。

 その髪と対称的に、瞳はルビーみたいに赤かった。


「サラです。よろしくお願いします」

「エカード、説明した通り、このサラは特別魔力が強い子なの。扱いには気を付けてちょうだい」

「心得ております」

「魔法の演習には皇族専用の中庭を使っていいわ。人を通さぬようにしておくから」

「お気遣い感謝します」


 エカードは物腰の柔らかい、礼儀正しい人だった。


 この人が魔法の先生…。

 なんだか優しそうな人で良かった。


 翌日から魔法のレッスンが始まった。

 エカードの教え方はわかりやすく、風魔法しか使えなかった私でも、数日で火と水の基本的な魔法を使えるようになった。

 これにはエカードも感心して、更に色々な使い方を教えてくれた。

 例えば、集中するだけで呪文無しでも発動する高度な生活魔法とか、咄嗟に身を護るのに使えそうな護身魔法をいくつか教えてもらった。


 数日間、日中はずっと魔法の習得に時間を費やした。

 やらされる勉強とは違って、興味を持ってする自発的な勉強がこんなに楽しいと思ったのは初めてだった。

 実習を終えて、塔の私の部屋にエカードを招き入れ、メイドにお茶を用意してもらって、今日の復習をしていた。


「飲み込みが早いので、教えがいがありますね」

「先生の教え方が上手だからですよ」

「謙遜しなくてもいいですよ。あなたは大変筋がよろしい。この調子なら明日にでももう教えることがなくなりそうです」


 そうだ…。

 エカード先生は一週間しかいないんだった。

 今のうちに知っておきたかったことを聞いておこう。


「あの…エカード先生。人の役に立ちそうな魔法ってありますか?」

「人の役に立ちそうな?これまでにお教えしたことはすべて誰かの役に立ちますよ」

「えっと、たとえば戦いで傷ついた人を癒すとか…」

「なるほど、それは光魔法のことでしょうかね」

「光…魔法…?」


 初めて聞いたけど、やっぱりあるんだ。

 聞いてみて良かった。


「初めて聞きました…。どういう魔法なんですか?」

「光を触媒にして人の生命エネルギーを操る魔法です。生物の生命エネルギーを増幅活性化させ、傷や病などを自己修復させて癒すことができる、唯一の治癒魔法だと言われています」


 光魔法…。

 名前からして回復系っぽい。

 いよいよゲームみたいな展開になってきた。

 人を癒す魔法があるのなら習ってみたい。


「先生は使えるんですか?」

「いいえ、残念ながら使えません」

「でも先生はすべての属性魔法が使えるとお聞きしましたけど…」

「光魔法は異界人が開発した魔法なので、普通の人間では魔力不足で使用できないのです」

「異界人が…?」

「千年前の異界人との争いの時、この世界の人間側に立った異界人が光魔法を使って人々を癒したそうです。異界人に勝てたのも、そのおかげだと言われています」

「そうだったんですか…!」

「その異界人以外に光魔法を使ったという記録はありません。なので魔法としては一般魔法からは除外されています」

「光魔法の使い方というか、呪文が載っている教本とかってないんですか?」

「ありません」


 間髪入れずに否定された。


「そ…うですか…」


 私は肩を落とした。

 やっぱり無いのか…。


「記録によれば、光魔法が最後に確認されたのは500年前で、ある山村の人々の流行り病を治したとあります」

「え…500年前?どういうことですか?光魔法を使った異界人は千年前の人ですよね?500年後にまた別の異界人がいたってことですか?」


 あれ?

 でも待って、アデレイドさんの話では千年前の戦乱が収まって以降、異界人は召喚されていないはずじゃ…?


「記録と言っても、目撃談を収集した口伝やら伝承を後世の研究者がまとめたものにすぎず、信憑性には欠けます。千年前の異界人が500年に渡って各地を巡り、光魔法を使って市井の人々の治療をしていたという話もあります」

「500年に渡って…?え?そんなことあるんですか?」

「ええ。まあ、あくまで伝承です。瓜二つの人物がいたという説も否定できませんが、光魔法を生み出した異界人ならば、そういうこともあるのではないかということです」

「異界人って長生きなんですか?」

「いいえ。異界人もこちらの世界の者と同様に普通に年老いて亡くなっていますよ」

「じゃあ、どういうことなんでしょうか」


 エカードはお茶を一口飲んで唇を湿らせると、話を続けた。


「私は光魔法が関係していると思っています。光魔法は生命エネルギーを体の中から活性化させて、怪我や病を自己修復させるという素晴らしい魔法です。それを転用すれば、寿命も操れるのではないかと私は推測しています」

「光魔法で寿命を延ばせるってことですか…?」

「そう考えて差し支えないでしょう。この光魔法を会得した異界人は、戦乱を治めた後身を隠し、行方をくらませたと言います」

「光魔法を使えたのはその人だけなんですか?」

「そう記録されています。争いの元になるからと、誰にも光魔法を教えなかったそうです」

「だから教本もないんですか…!」

「ですが、その異界人が残したという光魔法に関するメモが存在すると聞きます」

「そのメモ、どこにあるんですか?」

「中立国リッケルにある国際図書館の禁書庫です」

「リッケル…?」


 初めて聞く国の名だった。


「それって見ることできるんですか?」

「国際図書館は国際条約機構の管理下にあります。機構に登録している国の者ならば入館はできますが、禁書庫は機構幹部以上の承認なしではまず閲覧許可は下りません」

「どうして国際条約機構が?」

「リッケルには国際条約機構の本部があるんですよ」

「…そうなんですか!エカード先生、詳しいんですね」

「私はリッケル出身なんですよ」

「そうだったんですか…!」


 そういえばウォルフが説明してくれていた気がする。どこかの中立国に本部があるって…。

 それがリッケルなんだ。

 けど、国際条約機構が絡んでるんじゃ、どのみち無理だな…。


「国際条約機構ってどういう組織なんですか?」

「さて、私も詳しくは知りませんが、随分と秘密主義のようですよ」

「秘密主義…。それじゃどっちみちメモを見ることは無理なんですね」


 私が肩を落として露骨にがっかりしていると、エカードが声を掛けた。


「どうして光魔法を使えるようになりたいんですか?」

「私、何もできないから…。役立たずなんです。光魔法が使えれば、誰かの役に立てるかなって思って」

「とても良い心がけだと思いますよ」


 エカードは私の肩をポンと軽くたたくと、私の顔を覗き込んだ。


「世の中の力の強い魔法師は皆、人を傷つけ、自らの利を得ることしか考えていません。あなたのように強い魔力を持つ方は稀有なのに、謙虚で思慮深い。その気持ちを大事にしてください」

「はい…」


 彼の赤い瞳と目が合った。

 じっと見つめていると、なぜか目を逸らせなくなった。


「あなたは予想以上の素養を持っている。何より素直で清らかな心根が気に入りました」

「エカード先生…?」


 そのまま彼の目を見続けていると、なんだか視界がボンヤリしてきた。

 彼は私の額に、熱を測るみたいに手のひらを当てた。


「…あ」

「あなたのような人は、このような俗世にいてはいけない。あなたはあなたに相応しい場所に在って、守られるべきです」


 相応しい場所?

 何を言ってるの…?


「さあ、私の声をよぉく聞くんですよ…」

「は…い」


 あ…れ…?

 口が勝手に動く…?

 どうして?


 エカードが何か話しているけど、とても遠くに聞こえていて、何を言っているのか理解できなかった。

 それはまるで呪文か何かを聞いているような感覚に似ていた。


 なんだか頭がボーっとしている。

 何だろう、なんだかふわふわして体の力が抜ける…


 突然、私の視界に部屋の天井が映った。

 あれ…?私、横になってる?

 何で?

 人と話してるはずなのに、私ったら何してるんだろう?


 何かが直接肌に触れる感覚があった。

 だけど、何をされているのかわからない。

 どうしてだろう、体が麻痺しているみたいに、感覚が鈍い。

 時々、視界に白髪が入って来る。

 私の体の上に乗って、何かしている…?

 だけど意識を集中しようとすると、ぼんやりしてしまって何も考えられなくなる。


 その時、突然扉をノックする音がした。

 それで私はハッ!と我に返った。


「あ…れ?私、いつの間に横になって…?」


 気付くと私はベッドの上に仰向けになっていた。

 慌てて体を起こした私を見て、エカードは口の端を歪めて笑った。


「長い話に付き合わせて、疲れさせてしまったようですね。私はこれで退室するとしましょう」

「あ、いえ、すいません…私ったら」


 今のは何だったんだろう。

 まるで催眠術にでもかかってたみたいに、今の瞬間の記憶が飛んでる。

 もしかして居眠りしてた?

 エカードの言う通り、疲れてるのかな…。


 そこへ、ウォルフが入ってきた。


「いらしたんですか。ノックしても反応がなかったのでどうかしたのかと」


 さっき聞こえていた音は、ウォルフが扉をノックする音だったのか。


「ウォルフ、エカード先生に失礼よ」

「無事が確認できれば問題ありません。失礼しました」


 彼はエカードに一礼して出て行った。


「もう、何なのよ…」

「彼は仕事熱心ですね」


 エカードはそう言って苦笑いした。

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