或る田舎の少年
序
私は今、閑静な森の中にいます。そこには、古びた私の母の実家がずうと佇んでいます。その外壁を、当たり障りないくらいに眺めた後に、意を決して中に入ろうと駆け出します。中は意外にも以前と同じく整然としていて、特に従兄弟の創作室はそのままでした。ただ、二階にあった祖母の部屋だけは、洪水が引いた後のように黒く、どろどろの土で一面覆われて、棚から落ちた本はふやけた後に瓦礫をまともに受けて、原型をとどめませんでした。足が斜に切れて、先がブサブサになった机が斜めに置いてあったその上には、大きく「私の」と書いてある紙が挟まれた赤飯がありました。きっとそれは祖母の字だろうと思うと、急に息苦しくなって慌てて外へ出ました。外へ出ると、いつきたのか、ひっそりと、しかし、威厳の極みのようにどっしりとあったのが父と母が乗る車でした。母はそこからゆっくりと出てきて、手で私を招いた後、またゆっくりと車に戻りました。私がいつまでもそれを傍観しているのを、二人は車内より決して見ずに、プルルルとエンジンの音が広く空気を伝わりました。それを聴きながら私はただ呆然とするのみでした。
一、私の一日
二、癖
三、
一
目を閉じた時に、真っ暗になる前方を、よく確認してみると、そこは本当に何もない。眼中の血液中を流れる白血球や赤血球らの写像が見えることはあるが、前方に人や物が実在として確認されることはない。私たちはその時、決まって瞼の裏を見ている。みんなはこれを、黒を見るとも、影を見るとも表現せず、見えないという。見えないことはないのだけれども、物や人が見えないから、それは見えないのだという。しかし、生まれつきの盲目が見えないを知らぬように、見えないを知るものは、見えると見えないを知らぬ。見えないのではない、見ているが、分類しているのみなのである。 私は朝、ゆっくりと起きる。朝は、最も人が弱く、美しくいれる最高の時なのだから、朝からおしゃべりをしたり、一心に何かを食う者を私は軽蔑する。人は、美しく、可憐に見られてこそ、見えてこそ、価値がある。価値を理解するのは生命体で人間のみなのだから、価値と価値の無碍を知らぬ虫よりも偉いのである。朝は、とても、鈍い。鈍くて、ブサぶさしていて、のろりとしている。シャキシャキなどというふうではない、のそのそ、ぐちゃ、どしり、など、実は人は、これが一番美しいのだ。美しさを集めた嗜好の時ではないか、朝は。朝ごはんは、極めて、不愉快。ご飯は朝に食べる者ではない。朝はのそのそと起き上がって、しばらくかけてから歯を磨いて、鏡で目を見る。自分の目を朝、じっと見ていると、自然に帰った気分になる。
春雪の夢 @ayabero
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