幕間:家族の時間

第82話 遠のく郷愁

 あれだけの威力のレーザー・ビームを見た後では、流石に輸送機での移動はちょっと肝が冷えた。

 だがこれといった襲撃も無く、ものの一時間もすると俺たちは、ディヴァイン・グレイスの地上エアポートに降り立っていた。


「最下段からちょっと高低差があるぞ。気をつけてな」


「はい!」


 そう言いつつ、ニコルはどうあってもゾロの収まったキャリーケースを俺やレダに預けようとはしなかった。大胆にも片手で乗降用ハシゴの最下段に片手でぶら下がり、そこから身長より少し高いくらいの距離を飛び降りたのだ。

 幸いにというべきか、一人であの荒野を横断するだけあって、ニコルの身体能力は想像以上に高かった。

 キャリーケースの上に落下して潰すような惨事は起こらず、むしろ俺の方が地面に降りるのに苦労したほどだ――空のケースなのだから、先に地面に放り出せばいいとレダに指摘されたときは、流石に自分の愚かさに笑うしかなかった。


 そんなわけで俺とニコルはそれぞれ一つづつの猫キャリーケースをぶら下げて、あの壮大な吹き抜けを持つ地下都市へと足を踏み入れた――まあ、俺とレダは出先から舞い戻っただけともいうが。



「ふぁああ……すごいです。こんなの初めて見ました!」


 磨き上げられた金属と高次焼成物メタセラミックに反射する、色とりどりの照明。直径二百メートルの縦坑シャフトは遥か基底部に至るまで、光り輝いていた。レダは住人だけあって何ということもなさそうな顔をしているが、俺自身はまだ慣れていなかった。


「あんまり端っこへ行くなよ……目が眩んでフラッとなるかもしれんからな」


「は、はい……!」


 安全ネットが一応張られてはいるが、信頼性を試す気にはなれない。ニコルがあそこに落ちたら俺は多分慌てふためいて飛び出すだろうが――例によって汚い悲鳴を上げてしまうことだろう。


「まー、街をこういう作りにできるのも、ここの恵まれた立地あってのことだわな……地震が無いのはいいことだぜ、ホント」


「ああ。世界有数の地震国出身としては……うなずくしかないな」


「そういえばおっさん、ニホンから来たんだっけな」


 そういえばそうだった、と自分でも少し驚く。ここしばらくというか、随分長い事意識していなかったような気がした。


「……帰りたいとか、やっぱり思うかい?」


 レダがためらいながらそう訊いてきた。


「まあ、そりゃあ……いや、どうだろうな?」


 さて、とこれまでのことを振り返る――こっちで暮らし始めてはや数か月、いやそろそろ半年になるか。ずいぶんといろいろな経験をしたものだ。

 それも21世紀の日本では、アニメやゲームの中で疑似体験するしかなかったような、途方もない危険とスリルの日々。


 子供の頃読んだ本の中では、だいたいこんな境遇に陥った主人公というやつは、元の世界に帰りたがったり、何か自分がそこに呼び込まれた意味を探ろうとしたりして足掻いたあげくに、とんでもない真実に行き当ったりしたものだが――


 肩越しに振り返って、ニコルを見る。

 前に向き直れば、レダがこちらを見ている。


 俺は思わずフッと笑って頭を掻いた。


「……この時代、今の世界に、すっかり満足って訳じゃないが――捨てるには惜しいものをだいぶ、身の回りに集めてしまった気がするな」


「そうか……」


 俺は――そうだ、俺は今の境遇にわりかし満足しているようなのだ。いずれにしろ帰る手段などありはすまい。


「まあ、あっちに戻ってもレダ・ハーケンもニコルもいない。それは確かだな……」


「……そうかあ。へへっ、まあ、そりゃそうだよなあ!」


 レダがまた、俺の腰に腕を回してしなだれかかってきた。「あーっ、レダお姉ちゃん、自分ばっかり!」ニコルがそう言って俺のベルトとレダの腰回りのハーネスに手をかける。


「おおぅ。ニコルもおっさんが好きか! よしよし、じゃあ一緒に甘えような。ニコル、あんたは左腰だ」


「おい」


 左右にぶら下がるご婦人方に、俺は空の猫キャリーケースをどっちの手に提げていいか迷った。

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