09-09 海の悪魔、クラーケン

 ――出航からおよそ2時間。


 部屋に用意されていたお菓子を食べたり、船内を見て回ったり。思いつく事を一通りやった後、特にやる事もないので甲板に並べられたデッキチェアに腰掛けボーッと空を眺める。


 遙か上空をゆっくりと流れていくのは夏の大きな雲。


 ……船旅って結構暇なんだな。


  ティンク達は部屋でお喋りしながらティータイムだそうだ。

 女同士の話に割って入るほど野暮じゃない大人の俺は、持ってきた錬金術の本を独りパラパラとめくる。


 チュラ島を有する“ウミカジ王国”にも当然錬金術はある。

 ただ、その学術規範は非常に独特で“富”や“権力”といったものには全く欲が無く、ただひたすらに“生命”についての研究ばかりが行われているそうだ。

 “永遠の命を手に入れる”

 “死者を蘇らせる”

 未だ謎だらけの錬金術界隈において、最も難解で……胡散臭い分野ではあるな。



 そんな事を考えている間に、いつのまにかに甲板が慌ただしくっなっていた。

 さっきまでのんびりと海を眺めていた乗客達がなにやら騒ぎながら船尾の方へと駆けていく。


『なぁ! クラーケンが出たらしいぞ!』

『船尾に張り付かれたって!』


 耳に入ってきた会話の内容に思わずギョッとする!


 ――クラーケン!!


 船乗りが揃って恐れる伝説の怪物。

 船に一度しがみつかれたが最期。槍で刺そうがもりで突こうが絡みついた触手が剥がれる事はなく、船は確実に深海へと引き摺り込まれていく……! って、昔読んだ本に書いてあった。


 脳裏をよぎるのは、イリエの水槽で見たおぞましい軟体生物の姿。


(冗談じゃねぇぞ! あんなもん食うからクラーケンが怒って復讐に来るんだよっ!)


 クソッ――どうする!?

 あんかバケモノの餌になるのだけはまっぴらごめんだ。


 水際戦闘特化アイテムである“メロウのトライデント”ならもしかしたらクラーケンにも太刀打ち出来るかもしれない。

 旅の切り札をこんな序盤で、しかもこんな大勢の前で使うのは出来れば避けたいところだけれど――今はそんな事を言ってる場合じゃないな!


 意を決して、ポーションを取りに客室へと走る!

 甲板から船内へと入ろうとした所で――丁度ティンクとカトレアと鉢合わせになった。


「あ、マグナス! 丁度良かった。今から――」


「お前ら! 船の中に入ってろ! クラーケンが出たらしい!!」


 慌てて叫ぶ俺に、キョトンとした顔を向ける二人。


「えぇ、そうらしいわね。だから様子を見に……」


「なに呑気な事言ってんだ!? クラーケンだぞ! このままだと船が沈められる! 俺たちも迎撃に協力するぞ!!」


「……はい?」


 状況が飲み込めていないのか、首を傾げて難しい顔をするティンク。

 こいつ、もしかしてクラーケンの恐ろしさを知らないのか!?


「あの、マグナスさん、落ち着いてください。私達も丁度クラーケンを見学しに行こうとしてた所なんです」


 博識だと思ってたカトレアまでこの悠長さだ。モリノの長い平和による若者の平和ボケは、ついにここまで深刻になってたのか……!


「見学!? 何を馬鹿な事をっ! いいか、クラーケンてのは――」


 思わず大声を上げて、ふと周りから冷ややかな視線を向けられている事に気付く。

 何だか皆んなクスクスと笑いながらこっちを見るような気がする。


(……あれ? なに? 慌ててるのは――俺だけ?)


 そこへ丁度船員さんが案内にやってきた。


「皆様、只今“海の悪魔”クラーケンが姿を現しました。近年では中々その姿を見る機会もありませんので、興味のあられる方は是非後方デッキにてご見学ください。尚、15分程しましたら船の安全のため排撃致しますので、その点は悪しからずご理解ください」


 船員さんは慌てるどころか、良いものを見れたとばかりににこやかな様子で乗客達を案内している。

 その傍を興奮しながら駆け抜けていく元気な子供達。


「あの……クラーケン。海の悪魔が……」


「はいはい、分かったから。私たちも行きましょ」


 事態が飲み込めないながらも、ティンク達に連れられ後方デッキへと向かう。


 ……


 船尾には既にたくさんの人が集まっていた。油断して触手に襲われないよう警戒しつつ、手すりに掴まり海を覗き込むと――いた!


 船の外壁に唸る触手を絡み付かせてへばりつく巨大な軟体怪物が!! 見た目は昨日見た水槽の化け物とよく似ているがその大きさは比べようもないほどに巨大だ!!



 ……けど。

 船の方が遥かに、でかい。



 確かに木造の小舟なら余裕で沈めそうな程には大きな怪物だけれど、この鉄の化物相手ではまるきり相手にならないサイズだ。

 クラーケンの事は全く詳しくないが、何をどー頑張ってもこのサイズ差じゃ船は沈まないだろう。

 なんなら、船尾にたまたまくっついてしまい、訳がわからないままどうにか振り切られないように必死にしがみついてる感すらある。


『えー。クラーケンというのは地方により10本足と8本足の二種の生態がありますが、ソーゲン近海のクラーケンは8本足のほうで――』


 見学に集まった乗客達に向けて、船員さんが手慣れた感じで説明をしてくれている。

 話を聞きながら目を輝かせてクラーケンを見つめる子供達。



『――では、船の安全のためにもそろそろクラーケンさんには下船して頂きます。無賃乗船はダメですからねー。外壁に張り巡らせた装置に電流を流すと、クラーケンは驚いて触手を離します。もちろんクラーケンが怪我をする程の電圧ではありませんのでご安心ください。――それじゃみんな、クラーケンさんにバイバイしましょうねー!』


『バイバーイ!』


 子供達の掛け声と同時に、クラーケンが驚いたように足を引っ込めてパッと船から離れていった。

 恐らく電気ショックを食らったのだろう。


「へぇー。あんなに大きいもんなのねー。海は謎だらけだわ」

「私も現物を見たのは初めて。ラッキーだったね!」


 そんな感想を言い合いながら、さっさと甲板を離れていくティンクとカトレア。

 集まった人達も感想を口々に述べながら甲板を去って行く。


 ……かつての海の悪魔も、今では旅行客の人気者か。



「……魔物も大変だなぁ」


 そんな感想が思わず口から漏れた。

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