第7章 幽霊屋敷と怖がりなシルバーソード

07-01 顔の見えない依頼人

 ある蒸し暑い夏の夜――。

 月が真上に昇る頃。


 虫の音色とふくろうの声しか聞こえないようなこんな時間に、モリノの住人ですら滅多に踏み入らない町外れの森を彷徨う怪しい人影があった……。



「ち、ちょっと、麻の服ちゃん! 押さないで下さい!」


「わ、私じゃないよ。押してるのご主人様だし!」


「俺じゃねぇよ! ティンクだよ!」


「わ、私!? 違うわよ! なに? 私がこれくらいの事でビビってるとでも!? そんな訳ないで――」


 声に驚いたのか――突如として鳥の群れが夜空へと飛び立ち、鬱蒼うっそうとした木々が音を立てて揺れる。


「キャァーー!!」


 夜を引き裂かんばかりのティンクの絶叫が森の中にこだました。



 怪しい人影の正体は、木の盾ちゃんを先頭にギュウギュウにくっついて歩く便利屋マクスウェルの一行だ。

 幼い木の盾ちゃんと麻の服ちゃんを前に押し出して歩く鬼畜な年長者二人。

 それもどうかとは思うが……そもそも、何故こんな事になっているのか。


 発端は数日前に遡る――




 ―――――




 もう夏だってのにここのところ雨ばかり。

 今日も朝から雨で、まだ夕方だというのに外はどんよりと暗い。


 気温も大して上がらず、カトレアお嬢様に貰った"恒冷氷柱こうれいひょうちょう"はお休みモードだ。

 魔力補充用の魔石を節約できるのは嬉しいが……降り続く雨による湿度だけはどうしようも出来ない。

 こうジメジメしてると保存してある錬金術の素材がカビたりするんだよな……。ちょっと奮発して質のいい防湿瓶でも買い揃えるか。



 降り続く大粒の雨を、窓からボーっと眺めていると――突然大きな雷鳴が響いた。


「ひゃっ!」


 カフェのキッチンで洗い物をしていたティンクが小さな悲鳴を上げる。


「……何だ、お前雷怖いの?」


「べ、別に。ちょっと驚いただけよ」


 何事も無かったように取り繕い、洗い物を再開するティンク。


「そーですか」


 俺もカウンターに戻り、読みかけだった本をパラパラとめくる。


(こんな雨じゃもう客も来ないな。今日は早めに店閉めるか……)


 そう思って看板を降ろしに行こうとカウンターから立ち上がった所……何の前兆も無く店のドアが開いた。



 店へ入ってきたのは、真っ黒なレインコートを着た人物。

 背格好からして女性だろうか。


「あ、いらっしゃいませ」


 声をかけるものの……返事が無い。


 黙ってこっちを見つめるお客さん。

 深々と婦人帽を被り真っ黒なベールで顔を覆っているせいで、顔が全く見えない。

 いくら黒いベールっても普通少しくらい顔が透けて見えるもんなんだけど……。向こうからこっち見えてんのだろうか?


 まぁ、どこぞの“お忍び”が下手な人たちと違って、もしかしたらこれが本物の“お忍び”ってやつなのかもしれない。

 お客さんのプライバシーに関わりそうな事は深く追及しないでおこう。



「……いらっしゃいませ。便利屋のご依頼ですか?」


 さすがのティンクも少し戸惑った様子で声を掛ける。



「――あなたが"色欲の錬金術師"さん?」


 外の雨音にかき消されそうなほど、小さくか細い声で問いかけてくるお客さん。女性の声だ。


「いえ、あっちです」


 ティンクが俺の方へ顔を向ける。


「こんにちは! 錬金術師のマグナス・ペンドライトです」


 こっちが不審がってちゃお客さんも安心して相談出来ないはず。せめて挨拶くらいはと、務めて明るく自己紹介をする。


「……キキーナ・シャバキオと申します。さっそくですが、貴方にお願いしたい事がありまして……」


 お客さんがその場で立ったまま依頼の話をし出したので、とりあえずカウンターに掛けて貰う事にした。


 先にカウンターの奥へと入り振り返ると、女性はレインコートも脱がずにそのまま席に着いていた。


(えっ!? さすがにそれはちょっと……店の中がビチョビチョに――)


 と、ふとそこで気づく。


(……あれ? この人、何で濡れてないんだ?)


 馬車の音は聞こえなかったし、手に傘も持っていない。

 あの雨の中を歩いて来たんだとしたら相当濡れたと思うんだけど……。


「……依頼というのは、森にある古い屋敷から絵画を運搬して来て欲しいんです」


 戸惑う俺にはお構いなしに話を始める女性。

 慌ててメモを取る。


「美術品の運搬ですか? お受けできない事はないのですが……。もし貴重な物でしたら慣れた業者に頼まれた方が良いかもしれません。正直なところ、あまりそういった物の取り扱いには慣れてなくて……」


 以前にも一度、カトレアお嬢様の紹介で重たい彫刻の運搬を手伝った事がある。

 丁寧には運んだつもりだったけど、誤って倒しそうになった場面があった。その時は品物も無事で事なきを得たけれど……後から値段を聞いてお腹が痛くなる思いをしたもんだ。

 今後、美術品関係の仕事は慎重に検討しよう……とその時話し合ったのだ。



「――他の業者にも依頼したのですが、中々受けて貰える所が見つからず……」


 困っているのか……も分からないが、相変わらず女性の声は小さくて聞き取りにくい。


「……何かよほど特別な代物なんですか?」


「物はただの絵画です。……ですが、日光に非常弱い特殊な絵の具で描かれており、万全を期すために夜間に運んで欲しいのです。夜間の運搬となると、どこの業者もリスクが大きいからと良い顔をせず……」


 なるほど。確かにそれはそうだろう。

 夜の森はただでも危険が多い。

 その中で美術品のようなデリケートな物を運搬するとなると普通の運搬業者は嫌がるかもしれない。


「それは確かに難しいですね……。万一の事があった場合、お荷物の安全を保証出来ませんし――」


「構いません」


「へ?」


「もし荷物に何かあっても、賠償などを請求するつもりはありません。勿論報酬も全額お支払いします。ですので、どうか引き受けて頂けませんでしょうか――」


 そこまで話して黙り込んでしまう女性。


 正直……依頼の内容としては破格の条件だ。

 だって、極端な話絵画を引きずって持って来ようが報酬は払うと言っているのだから。

 そんな破格の内容を提示してまでお願いしてくるという事は……よっぽど困ってるんだろうか。


 丁度温かいお茶を運んできたティンクと目が合う。

 まぁ……色々と胡散臭くはあるけれど、便利屋を名乗る身としては困っている人を放っておくわけにいかないだろう。


「分かりました。その依頼"便利屋マクスウェル"がお受けします。最善を尽くしてみますね!」


「……ありがとうございます」



 その後、屋敷の場所など細かい内容を打ち合わせるとそそくさとお客さんは帰ってしまった。

 一切手を付けなかったお茶がカウンターの上でまだ湯気を上げている。


「……何だか変な依頼だな」


「そう思うなら受けなきゃいいじゃない」


「いや、だって。何か困ってたみたいだし」


「またそんな事言って。そのうち足元すくわれるわよ~」


 お茶を片付けながらティンクが他人事のように呟く。


 まぁ胡散臭いかどうかはさておいたとして、内容はただの運搬業務だ。

 そう大した事は無いだろう。


 夜の森って事もあるから、しっかりと戦闘の準備だけは整えて行こう……

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