06-22 霧の街のキティー・キャット
――遡る事、数か月前。
今夜は満月。
白銀に輝く大きな月が夜の空を明るく照らす。
……けれど、ノウムを包む深い霧はそんな月明かりさえも覆い隠しおぼろげに霞ませてしまう。
静まり返ったロンドの街――。
昼間の喧騒は嘘のように姿を潜め、街はまるでゴーストタウンのように寝静まる。
時折聴こえるてくるのは番犬の遠吠えと、人間が消え失せた夜の街を我が物顔で歩き回る野良猫の鳴き声だけ。それだけが、この街が生者の在る所だという事を辛うじて教えてくれる。
それ程までに静かな夜だ。
時刻は深夜――。
静寂が支配する夜の街を徘徊する人影が2つあった。
職務に従順なロンド市警の警官が、夜の街の見回りをしているようだ。
小柄で小太りの警官と、痩せたノッポの警官。特に会話を交わす事もなく、ただただ黙って霧の街を進んで行く。
「――おい!? 今そこの路地に誰か居なかったか?」
ノッポの警官が立ち止まり暗がりを灯りで照らす。
「……どこに?」
相方に呼び止められ、小柄な警官が目を凝らす。
「あの建物の間の路地だよ……」
「……ウソだろ? まさか、八つ裂きジャックじゃないよな……?」
眉間にしわを寄せて声のトーンを落とす小柄な警官。
「おいおい、勘弁してくれよ! 安月給で夜勤までやらされるだけでも散々だってのに、その上八つ裂きにされて二階級特進なんて全然割に会わないって! ……お前見てこいよ」
ノッポの警官が身震いして2,3歩後退りしつつ顎で路地の方を指す。
「嫌だよ! 俺だって八つ裂きなんて御免だ、お前行けよ! ……ほら。もしかしたら最近噂の美人怪盗に会えるかもしれないぞ!」
「あ~、"キティー・キャット"だろ。噂の可愛い子猫ちゃんなら大歓迎なんだけどな」
そんな与太話をしながら、結局は2人揃って路地を覗き込み手に持った灯りで暗がりの様子を伺う。
何もない事を確認すると、ホッと肩を撫で降ろし警官たちは去って行った。
……
(……ホント勘弁して欲しいわね、八つ裂きジャック。何処の誰だか知らないけど、おかげで最近警備が厳しくてこっちまで仕事がし辛いっての!)
警官たちが去った後、路地裏の闇から抜け出すように人影が姿を現す。
……こんな深夜の街に似つかわしくない小柄な少女。
夜に溶け街を闊歩する黒猫の目のように鋭い輝きを湛える黄金の瞳。美しく輝く銀の髪は、霧に覆い隠された月の化身とでも言わんばかりに鮮やかに闇を裂く。
黒い布で口元を大きく覆ってはいるが、その整った目元だけでも際立った美貌の持ち主であると十分に想像させる。
彼女こそが最近ロンドを騒がせる盗賊――"怪盗キティー・キャット"である。
(まったく、それにしてもロンド市警もいい加減よね。あれで巡回のつもり? ろくに調べもしないで……本当に八つ裂きジャックだったらどうするのよ。あー、今度苦情でも入れてやろうかしら!)
路地から顔を出して大通りの様子を伺う。
(……よし、さっきの警官は行ったみたいね)
路地から飛び出すと、背を低くして次の物陰まで音も無く一気に走り抜ける。
(お爺様が遺してくれた秘伝のアイテム"盗賊ブーツ"。これのお陰で夜の闇の中では一切足音が立たない。それだけじゃなく、壁を蹴って屋根に登ったり、一瞬だけど超高速で走れたり――この"仕事"ではホントに重宝する代物ね。お爺様に感謝しないと)
路地を縫うように駆け抜け、途中から民家の屋根に登る。そこから家屋や木の上を飛び移ることで、高い塀を飛び越して目標の屋敷の敷地内に潜入を果たした。
(――ルドワード・ゴライアス伯爵。脱税、密猟、密造酒の密売、それに売春の斡旋まで。もはや貴族というよりマフィアね。本人も自覚があるのか、やたらと警備が厳しくて今まで中々侵入の機会が無かったけれど……こないだやっとの思いで手に入れた屋敷の警備計画書。これがあれば安全に忍び込めるわ)
手に持った図面と屋敷の様子を照らし合わせて確認する。
(どうやら図面に誤りはないようね。前々から目を付けていたスケベそうな衛兵隊長にハニートラップまで仕掛けて手に入れた甲斐はあったわ。本気で襲われそうになって、どうにか逃げたけど……うぅ、思い出しただけで鳥肌が立ってくる)
植え込みに身を潜め巡回の警備兵をやり過ごすと、そのまま木々に紛れて屋敷の南側へと向かう。
(ここの窓が……浴場のはずね。計画書から逆算すると、ここから入るのがルート的にも警備の手薄さ的にもベストだわ)
周囲に人影が無い事を確認し、手早く窓の鍵を破る。音を立てないようそっと窓を開け、素早く中へと滑り込んだ。
(……大丈夫、外の警備には気づかれてない)
とりあえず潜入は成功。月明かりに目を凝らし室内の様子を窺う。
やたら大きな浴場の真ん中に鎮座するのは、伯爵自身を模った悪趣味な金の銅像。その足元には裸体の女性の像が何体もまとわりつき、恍惚とした表情で伯爵の股間を見つめている。
――最悪に悪趣味な意匠だ。
(……頭おかしいんじゃない!? どんなセンスしてんのよっ!!)
火薬で木っ端微塵に粉砕してやりたい衝動をグッと堪え、急いで浴室の入り口へと向かう。
"盗賊ブーツ"は、こんな音の響きそうなタイル製の床でもその足音を完全に消してくれる。
入り口まで辿り着くとドアに張り付き廊下の気配を窺った。
(……オッケー、人の気配は無いわね。ここを出たら、北側へ向けて3部屋。その先の廊下を右折して突き当りまで直進。そこが目的の宝物庫。――さっ、一気に行くわよ!)
素早く扉を開け、慎重かつ一気に廊下を駆け抜ける!
(――っ! 曲がり角の向こうから人の気配――!)
廊下の壁を蹴って駆け上がり天井へと貼りつく。盗賊ブーツの力と、彼女自身のしなやかな身のこなしがあってこそ成せる技だ。
(……大丈夫。この廊下照明は暗いし、天井までも結構な高さがある)
曲がり角から現れた巡回兵は、こっちに気づく様子もなく大きなあくびをしながら眠そうに真下を通り過ぎていった。
(……お仕事ご苦労さま。明日はたっぷりとご主人様に怒られる嵌めになると思うけど、恨まないでね)
兵が廊下の先を曲がって行ったのを確認し、猫のように音もなく軽やかに天井から飛び降りる。
(よし、後は目的の宝物庫まで一直線よ――!)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※怪盗キティー・キャット
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