05-07 渾身の右ストレート

 静まり返る店内。

 誰も口を開こうとしない中で、床につっぷして嗚咽を漏らすキロスの泣き声だけが室内に響く。


 そんな沈黙を最初に破ったのは――姫様だった。


「……ごめんなさい。実は、薄々気づいていたの」


 キロスの側にしゃがみ込み、そっとその肩に手を置く姫様。


「だって、あなたと一緒に食事した時とそうじゃない時であまりにも気持ちの浮き沈みに差があったから。それでおかしいと思って、色々と調べてるうちに……錬金術の惚れ薬に辿り着いたのよ」


 ……え? それじゃあ、最初にうちの店に来た時点で姫様は自分が薬を盛られてる事に気付いてたのか。


「あの、だとしたら何でこんな依頼を?」


 単純な疑問を姫様に投げかける。


「……マグナス、あなた説明してくれたわよね。惚れ薬を継続して摂取すると、やがて精神に影響をきたしてそれが本心なのか薬によるものなのか分からなくなるって」


「は、はい」


 姫様の問いに頷く。


「本当はね、私がキロスの事を好きになったのが、本心なのか薬のせいなのかなんてどっちでも良かったの」


 何かを吹っ切ったようにフッと乾いた笑いを一つ吐き出して姫様は遠くの空を見上げるように宙を仰ぐ。


「知ってるかしら? 今王宮は大切な時期なの。お父様……国王陛下が生憎にも男児に恵まれなかったから、上のお姉様は国を巻き込んでの跡取り問題で大忙し。下のお姉様は隣国ソーゲン公国の皇太子様との縁談で両国を行ったり来たり。お父様やお母様、周りの家臣達もその事にかかりっぱなしよ」


 その話は、国民としてよく耳にはしている。ただ詳しい状況までは深くは知らなかったけど……まぁ、大変そうである事は想像出来る。


「私だって仮にも王族の人間よ。別にそれに文句を言うつもりは無いわ。だけど……だけどね」


 そこまで言って、言葉を詰まらせながら深く俯く姫様。そのまま涙ぐんだ声で話を続ける。


「今年の私の誕生日。お祝いの言葉をかけてくれたのは――お祖父様と、誰の言いつけなのか形式ばった賛辞の言葉を並べる侍女だけ。お父様達は私の事なんか気にもしてなかった」


 ……そ、それはさすがに。


 確かに王宮が大変な時期だってのは分かる。

 けど、シェトラール姫は俺よりまだ小さい女の子だぞ。もし直接言葉をかける時間が無かったなら、手紙でも何でもいい。実の家族からお祝いの一つも伝えてあげられなかったのだろうか?


「……そんな時ね、誰に頼まれたでもなく私に声を掛けてくれたのがキロスだったの。『私からのささやかな誕生日プレゼントです』って錬金術で作ったガラスの花をくれたわ」


 あのキロスが……? 意外な所もあるもんだ。いや、ああいうタイプほどそういう事にはマメなもんなんだろうか。


「それからも、独りぼっちの王宮の中でキロスだけが私に向き合ってくれた。楽しい事があった時は一緒に笑ってくれて、悲しい時は慰めてくれて。……たまにワガママを言っちゃう時もあったけど、そんなときも困った顔をしながら付き合ってくれた。――だから、私はそんなキロスの事が大好きなの! もしキロスが居なくなっちゃったら、私……」


 なるほど――そういう事だったのか。


 確かに、姫様の言う通り恋心のきっかけなんか何でも良かったんだろう。

 閉ざされた王宮の中、いつまで続くともわからない孤独に耐える姫様のたった一つの拠り所。それがこのキロスなんだ。

 そんなキロスを繋ぎ止めておくための、今回の依頼ってわけか。


「ごめんなさい、マグナス。せっかく作って貰ったけど……私惚れ薬を使うのはこれっきりにするつもりだったの。王宮に帰ってからキロスに話を聞いて、自分のやった事を正直に話してもらうつもりだった。そうすればこれでキロスと私、お互いにやった事は同じ。対等な立場に立った上で――それからキロスに本当の気持ちを伝えたかったの」


「そ、そうだったんですね。すいません、俺てっきり……」


 それは申し訳ない事をした。良かれと思ってやった事だったけど、姫様の作戦に水を差した形になっちゃったな。


 ブンブンと首を振って、俺を責める気は無いと表情で示してくれる姫様。


 それにしても……ただのオテンバな姫様かと思ってたら、中々律儀な所があるじゃないか。

 姫様の心の内を聞き、キロスは床に蹲ったままブルブルと肩を震わせている。

 さすがのこいつも、姫様の健気な姿にさすがに感動したか。


「ごめんなさい、キロス。ちょっと予定が狂っちゃったけど……後で薬が切れてから私の本当の気持ち、きちんと伝えるわね」


 キロスを後ろからそっと抱きしめて、優しく愛おしそうにその背中に頭を当てる姫様。


 まったく! 見ててこっちが恥ずかしくなるぜ!

 後は2人の問題だな。願う事ならどうかお幸せに――


 そう思ってニヤニヤとしながら2人の元に歩み寄ろうとした時……



「……まさか、こんな手を使ってくるとはな……」


 さっきまでの浮ついた様子とも、泣きじゃくる声とも違った……ドスの効いた唸るような声がキロスから発せられる。


 ……どうやら惚れ薬の効果が切れたみたいだ。異常なまでの効き目と即効性があった代わりに、効果時間がかなり短いのか。


 それにしても様子がおかしい。

 激しく肩を震わせるキロスを見て異常を感じた次の瞬間――



「――やってくれたなぁぁ! このクソガキがぁあ!!!」


 雄叫びを上げて姫様を跳ね除けるキロス! 姫様の小さな身体は勢い良く床を転がりそのまままカウンターに激しくぶつかる。

 慌ててティンクが姫様を抱き起こしに行く。


「何勝手に愛だの恋だの寒ぃ事ぬかしてんだ!? 平等な立場に立って? はぁ? 頭弱ぇにも程があんだろ!? その足りねぇ脳みそで考えてみろ! 王族と一錬金術師だぞ!? そっちは良くてもこっちは王族に薬盛っといて『おあいこです』で済む訳ねぇだろうがぁ! テメェのせえで俺は終わりだよ! ――そもそもな、テメェなんか俺の地位を盤石とするためのただの束石に過ぎねぇんだよ! 一王宮錬金術師でしかない俺がさらに上に行こうと思ったら王族に籍を連ねるしか無ぇだろ!? 俺が欲しかったのは黙って従順に従う駒だ! 誰がテメェのクソみてぇな我儘に一生我慢して付き合うかっ! やってられるかっての!!!」


 修羅の如き剣幕で、罵声の限りを姫様に浴びせ掛けるキロス。

 姫様は床に倒れたままただ呆然とした顔でキロスの事を見上げ、瞳の中に大きな涙を必死に溜めている。

 それでもキロスの怒りはまだまだ治らない。


「本当は第一王女が良かったが、さすがに警備が厳重過ぎて近づく事すら出来ない。他国との戦略結婚が近い第二王女もそうだ。そこで仕方なく、地位も権力も挙げ句の果てに色気すらも無ぇ、ただ煩いだけのガキ臭いお前で妥協してやろうとこれまで散々我慢してきたってのに! 全部パァーーじゃねぇか!! なぁ! よく考えてみろよ!? テメェの足り無ぇ脳みそでも分かるだろうが! この俺様が、テメェみたいな、可愛げもねぇ小娘に恋愛感情など持つ訳ねぇだろ!? 生意気に愛だのなんだの語りやがって、このクソがっ! この辛気臭ぇクソガキがぁぁぁ!!」


 空気を震わせる程の絶叫を上げて今にも姫様に殴り掛かろうとするキロス。

 その様子を目の当たりにしてあの気の強そうな姫様が両手で顔を覆い、ついに子供のように泣き出してしまった。

 それでも、必死でどうにか声を我慢してぐちゃぐちゃの笑顔をキロスに向けようとしてるのは――本当にコイツ以外頼れる人間が居ないからなんだな。

 

 姫様、もういい――大丈夫だ。

 そんな悲しい作り笑いもうしないでくれ!


「あーーーっ! クソ! 何泣いてんだこのクソガキ! 泣きたいのはこっちの方だ! どうしてくれんだよこの失態! こうなりゃ――」


 ――ごちゃごちゃと悪態をつき続けるキロス。その身体が宙を舞う。

 気付けば、俺はキロスの顔面をぶん殴っていた。思いっきり助走を付けて、全力で。


 側に置いてあった椅子と机を巻き込んで派手に床を転がるキロス。

 初めて人を殴ったが、我ながらそこそこの威力は出るもんだ。ロングソードさんの特訓に感謝だな!


「おい、王宮錬金術師! 黙って聞いてりゃふざけんじゃねぇぞ。何が『どうしてくれんだ』だよ。そりゃ姫様の台詞だろ!! 自分の事を本気で慕ってくれた女の子をこんなにも泣かせて――男として何も思わねぇのか!!!」


 床に転がるキロスの胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。


「お前が姫様の何を知ってるか知らねぇし、なんなら俺なんか2,3回しか会った事ねぇけどな! それでも自信を持って言ってやるよ! お前が姫様を辛気臭ぇって感じたのは――そりゃ姫様がお前と一緒にいて心から幸せじゃないからだよ!! お前は知らないだろうけどな、うちでお茶飲んで喋ってる時の姫様は普通に元気で明るい女の子だし、それに……」


 興奮して早口で捲し立てたせいで息が切れた。落ち着いて一旦息を吸い、この馬鹿野郎に大事な事を教えてやる。


「――それに! 楽しそうに笑ってる姫様はな、めちゃめちゃ可愛いんだぞ!!!」


 キロスの後ろで泣いていた姫様が、ハッとしたように顔を上げてこっちを見た。

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