第103話 束の間の休息

「……」

 イチトはベッドに寝転がり、タブレットを開く。

 現在、時刻は午前九時。

 木星に到着するのは十時だから、この気苦労が絶えない旅行もようやく終わりだ。


「イチト、俺もう一回風呂浸かってくるけど、どうする?」

「今から風呂なんか入って、降りる準備は」

「大丈夫。タオルは借りるし、服も昨日着替えたからキレイだ」

 確かに直接ケースに荷物を詰めるなら、三十分程度風呂に浸かる時間もあるだろう。

 イチトはこの後、いかに二人を抑えつつ墓まで行くかを考えたかったため、断って引き続きベッドに転がる。


 だがニコラを野放しにしていることを思い出し、場所を聞くまでもなく食堂へと向かう。


「あれ、イチトも腹減り?」

「お前の監視に来たんだよ」

 何もつままずにいるのも不自然なので、適当なドリンクと間食を持ち、ニコラの前の椅子に座る。


「朝飯、食いすぎたって言ってなかったか」

「いやあ、時間たったらまだいけそうになってさ」

「太るぞ」

「大丈夫、そしたら暫く食事が抜ける」

「どんな節約だ」


 だが流石のニコラも、数度腹が破裂しかければ食事の量を調整できるようになったらしく、盛られた食事は十分に食い切れる程度の軽いものだった。


「木星でははしゃぐなよ?」

「それは大丈夫だって。私、木星出身だし」

「え、そうだったのか。全然そんな話聞いたことなかったが」

「してないからね。ってか、君そういう話しないじゃん」


 ニコラは不機嫌そうにびしっと指を指す。ついでにこっそりとイチトが取ってきたクラッカーを盗み取って口に入れた。

「……食いたいんなら好きにしろ。それで、どのへんなんだ?もし帰りたいなら、時間取るぞ」

「……いいよ。帰ってもなんもないし」

「喧嘩でもしたのか?」

「できないよ。もういないし」


 たらり、とイチトの額から汗が垂れた。

 同時に自分が、どれだけ何もこの少女について知ろうとしていなかったのかを思い知る。


 冷静になってみれば、ヴィーシの過去を知ったのも必要に迫られてからだったし、トレハやアルバーのことも、自分以外が切っ掛けになって知っただけだった。


 イチトは今の今まで、誰かの過去を知ろうとしたことがなかったのだ。

 当然、宙域ではその当たりを深く追求するのが禁止だったというのもあるだろうが、それでもここまで何も知らなかったのは、興味を持っていなかったから。


 改めて正面に座る少女を見る。

 今、知っていることは何があるか。

 借金があること。背が小さいこと。意地汚いこと。性格が悪いこと。普段はニヤニヤと笑っていること。調子に乗りやすいこと。必殺技とかを考えるのが好きなこと。誰かが、大切なものを踏みにじられるのを酷く嫌うこと。


 そのぐらいだ。

 全て、見てわかることかニコラが示したことばかり。


 だから今、こんな場面で突然に、全く予想もしていなかったことを告げられる。


 相棒などと呼んではいるが、二人は『星群』でしか繋がっていなかったのだ。


「……悪かったな、変なこと言って」

「別にー。大体、わかりそうなもんだけどね。こんなかわいい儚げな女の子が、一人で借金返すなんておかしいよ。普通親が止める」

「そう、だよな……周りがもっとおかしいから、そういうもんだと思ってた」


 ニコラは無言で箸を進める。

 その顔には、笑顔が浮かんでいなかった。


「……なあ、ニコラ」

「何」

「俺は、お前のことを何も知らないのか」

「らしいね」

「そうか……」


 初めてニコラに会った時、イチトは確かこう言った。

「何一つ知らないような奴は信用できない」


「言ってたね。それで、どう?君は私を、信用してた?」

「ああ。知ってるつもりになってた」


 今までそれで回っていたのだから、聞く必要はないのかもしれない。

 だがニコラの真剣な、それでいてどこか悲しそうな顔を見ると、何故かこのままではいけないような気がした。


「ニコラ、お前は──」


 ドゴオォン!


 だがその声は爆音によって掻き消された。

「「!?」」

 二人は即座に背中合わせになると、手を繋いで周囲を警戒した。


「トレハは?」

「風呂。放っといて良いだろ」

「わあ安心」


 水を操る『星群』を持つトレハが風呂にいるのなら、恐らく相当な実力者が攻めて来ない限り死ぬことはない。

 精々人質を取られると面倒なぐらいだ。


「ざわついてるねえ」

「抑えるか?」

「その方が良いかもね。みなさーん、落ち着いて下さい!一先ず係員が来るまでその場で待機しましょう!」


 ニコラは即座にいつもの以上の笑顔を浮かべ、握った手が見えづらいような位置に誘導すると声をかける。


 乗客は子供が声かけすることに一瞬不審がったが、どう見ても小学生の子供が安心させようとしていることで、冷静になったらしい。

 各所からクスクスと笑いが起きている。


「なんか思ってたのと違う……いいけどもさ」

「よし、じゃあパパッと様子見に行くぞ」

 そう言って二人がドアを開けると、そこには大柄の男がいた。

 地黒ではなく、日光で焼いた褐色の肌。

 髪は下半分を剃って短く、残っている部分は刺激的な青色に染められている。

 そして一番の違和感は、服がトレハの気に入りそうな、軍隊仕様のチョッキ。


「待たせちまったな、係員の登場だ」

「っ!」

 明らかに嘘。高級客船にこんな見た目の従業員が雇われるはずがない。

 ニコラは即座に顎撃ち抜こうと手を動かす。

 イチトはそれを素早く突き飛ばし、転んで手が伸びたかのように見せかけ、そっと助け起こす。


「……そうは見えねえが」

「つい一分前からの新人だからな。さて!皆々様に置かれましては、今すぐ黙って両手を上げろ!」


 懐から拳銃。後ろからは大量の部下。

 下手に手を出してしまえば、この全員を一気に抑え込む必要が出てしまう。『星群』を使えば出来なくもないが、目撃されるのは余りにも危険過ぎる。後で所属を知られれば、宙域の奇妙な噂が加速する。

 それに加えて、敵に『星群』持ちがいればその計算もひっくり返る。


「さて、まずはお前達からだな?」

 嫌らしい笑みを浮かべる男。

 その名前はガナバ・ギギアーノ。

 宙域以外の警察が、最も力を上げて探し求める犯罪者にして、誘拐のスペシャリスト。


 危険な状況には違いないが、この男は多くの人質を奴隷として犯罪者達に売っている。

 つまり何処にどの手配犯が住んでいるのかを、誰より知っているということだ。


 両手を後ろで縛られながら、イチトはそっとガルガバを睨みつけた。

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